第二話 気付き
戦闘訓練を終えた彼女達は、中央街にある広場に向かった。レンガで整備された道を歩いていくと、街のほぼ中心にある噴水を中心に、街行く人々が座れるテーブル付きのベンチが置いてあるのが見えてくる。ベンチに腰掛けている人々は、真上にある太陽から降り注ぐ陽だまりの中で、のんびりと会話を交わしたり、ボードゲームに興じたりしながら過ごしていた。
「あ、アーリ、ミリナさーん!」ベンチに腰掛け、ぼんやりと噴水を見つめていた黒髪の青年が、ふと顔を上げて二人を見つけた。「こっちこっちー!」
彼は立ち上がると、二人に向けて大きく手を振った。
端正な顔立ちの彼は、ムムジカ肉のステーキなどを出すレストラン「スモークキッチン・ガーレル」を継ぐ一人息子のカルネであった。
彼は少しヨレたエプロンをつけたままで、焼いた肉の匂いやサラダに使う野菜の匂いを微かに漂わせている。額に汗を滲ませていて、慌てて店から飛び出し、走ってきたであろうことは明確であった。
二人は彼に近づいていく。
「やっほー!」ミリナは元気に手を振った。
「カルネ、お待たせー」アーリは少し強張った表情で言った。「いつもお昼ご飯、持ってきてくれてありがとうね」
アーリは心の中では、カルネに会えた事を嬉しんでいたのだが、自分の意思とは真逆にそれを隠してしまいがちであった。彼女はふと、自分の頬が少しだけ赤くなったのに気が付いて、目線を逸らしたのであった。
本当はもう少し二人で喋りたいのだが、彼を前にするとなぜか心から喋ることはできないのが、少女の最近の悩みだった。アーリがカルネに弁当を毎日頼むのは、単に昼食のためではなかった。と言っても、彼女はこれが恋心だと言うことには、気付いていなかったのだが。
「全然気にしないでよ」カルネはそう言うと「アーリには親父を助けてもらったし、ミリナさんには店の修理も手伝ってもらったから。それに俺の料理の練習にもなってるんだよ」
「……そっか」アーリはカルネにそう言われると、少し心の内側が暖かい感じがしたが、なんだか素っ気のない返事を返してしまった。
「今日は何作ってくれたのー?」ミリナがテーブルに両手を付いて、カルネが持ってきたであろう緑色の布に包まれた塊を見た。「うーん、匂いからしてムムジカのグリルかなー? それとココットリスのバターソテーの匂いもするねー!」
「今日は結構上手く料理できたんだ」カルネは包みを開ける。「親父にも見せたら、店に出してもいいってさ!」
布を解くと、その中からは四段の銀色の箱が現れた。カルネが一番上の蓋を持ち上げると、焼かれた肉がぎっしりと詰め込まれている。種類も豊富で、それぞれ焼き色や形が違うようだったが、どれからも香ばしい炭火で焼いた、いい匂いが漂ってくる。
「おおー! 豪華弁当だ!」ミリナはそれを見て、口から涎を垂らしそうになっている。
「朝から準備して、今日は特別にいろんな肉を入れてみたんだ。シールドボアにモウルカウ、ムムジカはもちろん。グリフォンやサーペントなんかの特殊な肉も、アーリのために仕入れておいた」彼は自慢げにそれぞれを指差して紹介していく。「バレントさんに聞いたんだけど、アーリの力は食べることで、強くなるんだろ?」
「う、うん、そうだよ……」アーリは少し照れながらそう返した。「ありがとう」
「なんだよ、反応うっすいなー」カルネは少し残念そうに、しかし照れ隠しに一瞬唇をきゅっと結んで見せた。「まぁ、まだこれを見てないからな」
彼は一段ずつ弁当の箱を開け始めた。
「まずはサラダだぜ」二段目には青々とした野菜を使ったサラダが押し込まれるように入っていた。「はちみつをいれた俺の特製ビネガードレッシングをかけたんだ。酸っぱさと甘みがちょうどいいバランスで、肉とも相性抜群でどれだけでも食べられる」
「おー、今度作ってみよう」ミリナは感心したように頷いている。
「んで次の段が……」次の段を開けると、焼きたてのパンが詰められていて、香ばしい小麦の匂いが周囲に漂う。「親父直伝のパンだけど、丹精込めてこねあげたから粘度がすごくでてソースとよく絡む!」
カルネは自慢げな顔でアーリを見るが、彼女がパンに見とれているのに気付いて、すこし口惜しそうに続けた。
「……そして最後!」最後の段には焼かれた魚が詰め込まれている。「海の魚のグリルだ。新鮮なやつを港から直接仕入れて、特製のスパイスをかけて焼い——」
「いただきまーす!」ミリナはカルネの言葉を遮って、フォークを取り、パンを逆の手に掴んで食べ始めた。
「え、あ……」カルネは少しだけ決まり悪そうにしたが、アーリがくすくすと笑っているのを見て、頭の後ろを掻いて呟いた。「……ま、いっか」
「私も食べよっと」アーリはテーブルに腰掛けて、カルネが作ってきた弁当を食べ始めた。
訓練で疲れ切った体に、温かい料理の旨味が染み渡っていく。肉はしっかりと噛みごたえがある。臭みの強いグリフォンやサーペントですら、しっかりとスパイスで揉み込まれて、脂からは甘みと旨味だけが染み出してくる。
肉の合間に野菜を頬張れば、爽やかなレモンとビネガーの酸味が鼻を抜け、肉の脂をすっきりとさせてくれる。魚もしっかりと素材の味が残っているが、独特の臭みがすっかり消えている。さらに野菜のドレッシングに入っているレモンともかなり相性がよかった。
最後にパンを頬張れば、柔らかい食感と小麦の甘みが一噛みごとに広がって、全てを包み込んでくれる。
アーリはカルネの作る料理が、大好きであった。
「カルネ、全部美味しいよ!」アーリは少し興奮したように、ぱっと笑顔になった。「こんなに美味しいもの作れるってすごいね」
「ん……だろー?」カルネは少し恥ずかしそうに、それでいて自慢げだ。「アーリに弁当を持って行き始めてから、親父に料理を教えてもらいながら上達したんだよ。それまでは包丁を握らせてもくれなかったんだけどさー、『アーリちゃんに持ってくなら、お前が作ってみろ』だって」
「もっと美味しくなるってこと?」とアーリ。
「当たり前だよ」カルネは続けた。「スープにも挑戦してるんだけど、あんまり納得のいく物ができなくって、今頑張ってるところだ。できたら一番に食べてくれよ?」
「うん、期待してるね」アーリはにこりと笑いかけた。
「……あ、ああ」屈託のない笑顔を見て、カルネは顔を赤らめ、それを隠すように右を向いた。
アーリもカルネが恥ずかしそうに顔を逸らしたのに気づき、自分で言った言葉に恥ずかしさを覚えて、顔を赤らめた。熱くなった顔を隠すために、彼女は俯いて、小鳥のようにパンを食べ始める。だが、目の前に並んだ料理が、カルネの作ったものだと思うと、またどこか気恥ずかしい感じがした。
彼女は胸の中で、レインボーバードの群が飛んでいくような感覚を覚えた。
今まで一心不乱に飯を頬張っていたミリナが、沈黙を破って喋り始めた。
「ふほふ、ふまい!」ミリナは口いっぱいに肉と野菜を頬張っていたが、ごくりと飲み込んだ。「大切な人を支える、愛の力ってやつだねー」
「え……」アーリは『愛』という言葉にびくりと反応し、喉にパンを詰まらせて噎せそうになった。「み、みり——」
若干十五歳の少女が、顔が夕焼けのように、さらに赤く熱くなるのを感じ、咄嗟にパンで自分の顔を隠した。
「ち、ちげーよ、俺は街一番の料理人になるんだって」カルネの方も、顔を真っ赤にしてむきになりながら言った。「アーリには、頑張ってほしいけど、さぁ」
「アーリちゃん、には?」ミリナは少し茶化すようにわざと意地悪な口調で言った。「ふーん、そっかぁー」
「い、いや、そ、それは……」カルネは一瞬押し黙ってしまった。「ちゃ、茶化すなら、もうミリナさんの分を作るの、やめちゃうよ」彼は苦し紛れに反抗した。
「そ、それはやめて……ご、ごめんってー」ミリナは二人とは対照的に、真っ白い顔をした。
「ま、まぁ今回は許そう!」カルネは踏ん反り返ってみせた。
だが、二人の顔はまだ紅潮しているのであった。
アーリは他人に指摘されて初めて、彼女が胸の中に秘めていたこの感情が、愛と呼ばれるものなのではないかと気が付いた。しかし、バレントやループ、ミリナやロッド、そして母親に抱いていた愛とは、明白に違う感覚であることも分かる。
相手の事をもっと知りたい。なんだかずっと一緒にいたいという想いが、胸の中でずっと反芻しているからだ。
彼女は自分の感情が暴走していくのを感じた。そしてカルネの作ってくれた料理のように、体の内側から温かくなっていく感覚。ほわほわと心臓がどこかへ飛んでいってしまうかのような、不思議な気持ちになったかと思うと、カルネに嫌われたくないという不安を抱く。とにかく感情が左を向いたり、右を向いたり、かと思えばぐっと下を向かされたりと一つの所に収まっていない。
だが、一つ明確の事は、これが悪い感情ではなく、むしろ心地よい感覚であった。
ふとアーリが顔をあげると、カルネと目が合い、また彼らは視線を逸らした。
「お、俺……そ、そろそろ行くよ」カルネが席を立つ。「あ、あんまり遅くなると怒られちまうからさ! じゃ、じゃあな」
「じゃあーねー!」ミリナは能天気に手を振って見送った。
「ま、また明日」アーリは未だ恥ずかしそうに、小さく手を振った。
 




