第一話 訓練
第4部 第一話 小さな街の反撃
中央街の南西には、兵士達の駐屯地のすぐ脇に併設された、戦闘訓練所がある。ただっぴろい広場があり、五メートルほどの高さの石の壁——吹き飛ばされた武器や流れ弾が飛んで行かないため——に囲まれている。ここでは兵士達が、街を守るために様々な訓練を受ける。
この広場の中央辺りの地面には、石畳が三十メートル四方の正方形に敷き詰められている。この石畳の上では、兵士達がお互いに木製の武器を振るい合い、武器の扱いや対人間近接戦闘の模擬訓練を積む。同じものが四つ、窓枠の様に並んでいて、一度に四箇所で戦闘訓練ができるのだ。
時折、捕獲された怪物を放つ実戦形式の訓練もあるが、捕まえるより外に直接出向いて、その場で戦闘した方が早いため、機会はあまり多くない。
壁に寄り添う形で置かれているのは、訓練用の木偶の的だ。これらはかなり使い古され、かなりの傷跡を負っていて、兵士達の訓練の過酷さと真剣さを雄弁に物語っている。さらに雨風に常に晒されていて、剣で斬りつける度に古臭い匂いと、砕けた木の破片が宙を舞う。きっとここで訓練を積んだ兵士達のほとんどは、厳しい上官に対する鬱憤を、このかろうじて人型を為している木人形に、ぶつけた覚えがあるだろう。
「特殊戦闘演習、開始!」凛々しい声で号令を発したのは、兵団長ジェネスであった。
彼の声が訓練所に響き渡ると、様々な木製武器を持った十名の兵士達が意気揚々と雄叫びをあげて、中央にいる一人の少女に向け、一斉に突撃していく。
金色の絹のように柔らかい肩ほどまでの髪は、少女が動くのに合わせて揺れる。革のブーツとグローブを身につけている以外は、防具らしい防具はなく、白いシャツとベージュのパンツを着ているだけだ。兵士達は木でできた槍や斧、剣、盾などを持っているのだが、少女の左手には十五センチほどの木製ナイフが握られていた。
「うぉらぁ!」兵士の一人が抜き出て、槍を思い切り突き出した。
木製で刃がないとはいえ、成人男性が持ちうる力の一杯をもって突かれれば、肋骨の一本や二本が折れることは免れないだろう。
だが、少女は槍先を軽やかに横へ躱し、自分の肋骨の代わりに、兵士の持つ木製の槍を蹴り折った。
折れた槍の先端が地面に落ちるより早く、今度は二人の兵士が斧と剣を振り抜く。だが、少女は斧を躱し、振り下ろされた剣の一撃をナイフで受け流した。石畳を叩いた木の剣が、軽い打撃音を響かせた。
彼女が剣を持つ兵士の胸を蹴り出すと、後ろに構えていた他の兵士二名を巻き添えにして、兵士が後ろへ倒れ込んでいく。彼の握っていた剣が、虚しく宙を舞った。
「とぉりゃああ」雄叫びと共に少女の後ろで斧が振り上げられる。
背後から感じる圧。少女はその片鱗を感じ取った瞬間には、空中で飛んでいる剣を右手が掴み、剣とナイフで斧を受け止めた。そして、二本で斧の一撃を弾いたかと思うと、剣で兵士の顔面を切り上げ、ヘルムを吹き飛ばす。訓練用の兜が十メートルほど飛び、驚いた顔をした男の顔がその下から露わになった。
かと思うと少女の鞭の様にしなる蹴りが、男の膝下をすくい取り、その場で男の体がぐる
りと、まるで風に煽られた木の棒の様に、九十度回転して地面に落ちる。
周りを取り囲んでいた兵士達は、圧倒的なまでの力の差を見せつけられ、飛び込む事を躊躇っている。巨大な怪物を目の前にしたとするカルターハイエナの群——背中にナイフの様な骨が飛び出したハイエナの怪物——のように、少女から一定の距離を取り、手にした武器を構えている。彼らはお互いに鎧の隙間から目を見合わせ、誰がどう動くのか探り合っているが、目には尊敬にも似た畏怖の色が見える。
少女の周囲からは、石畳が鉄のクリーヴと擦れ合う音が、吹き付ける風の音に紛れて聞こえてくる。少女は剣とナイフを手に、静かに呼吸し、周囲の感覚を探っている。
「……前に三人、左右で四人、後ろに三人」少女はそう小さく呟いた。
若干十五歳の彼女が、十人を相手にしているとは思えないほどに、冷静且つ平然とした余裕のある表情を浮かべている。
だが、何より異質なのは、彼女が目隠しのため、白い布を目の周りに巻いて戦っている事であった。彼女は視界を遮るというハンディキャップをおって、鎧を着た屈強な男達を相手にしているのだ。それが兵士達に計り知れない力の差を感じさせ、彼らを尻込ませる原因でもあった。
「目の前にいるのは怪物だ。怯むな!」ジェネスの冷徹な声が響く。「実践での敗北はすなわち、お前らの後ろにいる数万の人間の死を意味する。殺ろす気でかかれ、手を抜いた者には罰を下す!」
豪華な鎧に身を包んだ兵団長は、無表情で腕を組んだまま、冷たい目で兵士達を見据えていた。
兵団長の号令と冷たい視線を受けた兵士達は、一斉に飛びかかる。雄叫びに混じって兵士達の鎧がガチャガチャと音を立てる。兜を弾き飛ばされ怯えていた兵士も、目に力を取り戻して、斧を振り上げながら迫りゆく。
だが、少女が黙って攻撃を受けるはずもなかった。
「まずは前方」彼女は自分に言い聞かせるようにそう呟きながら、前にいる三人の兵士に向かって飛び込む。
咄嗟に少女が飛び込んできたことに、槍を折られた兵士が「うっ」と驚きにも似た声を漏らした。だが、両脇から盾を持っていた二人が、彼を守る様にずんと前へ出てくる。少女の前に立ちはだかるのは、長い木の棒と二本の剣を持つ兵士達だ。
少女は手に持っていた木の剣を投げつけ、一瞬注意を逸らした。その隙に盾を踏み台にして飛び上がり、兵士達の背後へ着地するや否や、振り返ろうとする兵士一人の背中を蹴り押した。
少女が包囲網から抜け出し、兵士の陣形が乱れたかと思うと、そこからは早かった。彼女が自身の持ちうる力を使い始めたからだ。
「サーペント・ウィップ!」少女の右腕が緑色の蛇のような鱗質に変化したかと思うと、鞭の様に長く細い形状に変わり、その先端に石から削り出したナイフの様な重りを形作る。
彼女が右腕をぶんと振るうと、向かってくる兵士の一人の足首を絡めとって、ずるりと引き摺りこむ様に転ばせた。かと思うと、そのまま兵士を引っ張り上げ、集団に向かって投げ飛ばした。
投げ飛ばされた兵士は、他二人に抱きとめられた。だが、次の瞬間には、彼を含めた全員のヘルムが一斉に宙を舞った。少女の蛇の様な腕が、彼の落とした斧を持ち上げ、横薙ぎで兵士達の兜を吹き飛ばしたのだ。
多少時差はあれど、宙を舞った兜はからんからんと石畳の上に落ちた。
「そこまでだ、模擬訓練終了!」試合を止めるジェネスの声が響いた。「午前の訓練はここまでだ。各自食事や休憩を取れ、午後の射撃訓練は一時間半後に再開だ」
「ハッ、了解です!」兵士達は口々にそう言うと、他の場所で訓練していた兵士達も含めて、この場にいる全員が片付けをしながら、訓練場を離れていく。
ふぅと息を吐き、少女は右腕の変化と解いた。それから腰に木製のナイフを差し、目隠しをはらりと外す。怪物の血よりも赤い右目と、鮮やかなラベンダーのような左目が露わになった。眩い日差しが急に飛び込み、眩しさに目を細めた。
額に微かに滲んだ汗が、晩春のすこし湿り気を含んだ風に撫でられて、彼女は若干の涼しさを覚えた。
「アーリちゃーん、見てたよー!」
「ミリナさん、訓練お疲れ様!」アーリと呼ばれた少女が、目隠しをとりながら振り返ると、黒髪の女性が手を振りながら、走り寄ってきていた。
少女よりは少し大人びた顔つきの彼女は、ミリナという名前の狩人で、少女にとっては姉の様な存在であった。だが、少女より六つほど年上だが、性格は天真爛漫で、美味しい食べ物に目が無い。
狩人にしておくには勿体無いくらい整った顔立ちであり、黒の瞳はまっすぐに少女の瞳を見つめている。白のタンクトップに、ダボっとしたカーゴパンツから覗くのは、健康的に日に焼けた女性らしい体つきであった。
「目隠ししてあれは、すごすぎだってー!」ミリナはパッと明るい笑顔を浮かべている。「こー、バーンって蹴って、どーんって!」彼女はアーリの戦いの様子を、体いっぱいにつかって再現して見せた。
「聴覚を使って戦うのに慣れてきたみたい」先ほどまで戦っていた時とは、比べ物にならないほど、年相応の笑顔が少女の顔にあった。「あとはもう少し思い通りに、能力を扱えれば良いんだけど……」
「アーリちゃんは頑張り屋さんだねー」ミリナは動きを止め、感心した様に目を輝かせた。
「あたしより全然強いのにー。あたしなんか兵士さん二人やってで精一杯だよー?」
「うーん、能力があるだけだってー!」アーリは謙遜したように、目を伏せて言った。「それにミリナさんは、拳銃の扱いがすごく上手いでしょ?」
「この街にリロードの速さで、あたしに勝てる人はいないかなー!」ミリナは拳銃を取り出して、構える真似をしてみせた。「まー、この街で拳銃を使ってるの、あたしだけなんだけどね!」
アーリは小さくふふっと笑った。
「じゃ、行こっか?」それからゆっくりと出口に向かって歩き出した。「そろそろ噴水広場に、カルネがお弁当持ってきてくれる時間だよ」
「おー、お昼ご飯だー!」ミリナは跳ねる様にアーリの横を歩いていく。




