第十六話 離別
「誰が修理したかしらねぇが、この街の人間にしちゃあ、うまく直したじゃねぇか!」ガジェインは、紫炎と青白い閃光を放つ攻撃を受け止めている。「まぁ、すぐ壊しちまうがなぁああ!」
メルラが突き出した剣と、ガジェインの堅牢な拳がぶつかり合い、鈍い音を生み出したかと思うと、彼女の剣が折れ、腕の構造そのものを粉砕した。肘から先がひしゃげ、歪な形に押しつぶされている。
「……まずい」メルラは衝撃で吹き飛ばされなかったものの、さらなる追撃を避けて後ろへ飛んだ。「強固すぎる」
紫の炎を放つ獣と化したアーリは、低く唸りながらガジェインの腕にしがみ付くが、衣服に付いた糸のように容易く振り解かれてしまう。意識の半分を獣に飲み込まれながら、吹き飛ばされながらも、彼女は男の腕を形作るパーツの一部を噛み砕き、鋭い爪で引き剥がした。
「お前は後だ!」ガジェインは一瞬、アーリを睨みつけるが、横から飛んできた蹴りに向き直る。「そこで大人しく——」
メルラの足をひっ掴もうと手を出すが、彼女は異常な反応速度を武器に、その男の手を踏み台にして追加の蹴りを繰り出し、ガジェインの首を蹴り飛ばす。鈍い音がしたが、男はビンタされた程度に怯んだのみだった。それどころか、振り抜いた蹴りを、肘からの噴出で加速で掴み取った。
「新型機械骨格なんてなぁ」そのままの勢いでメルラの体を地面に叩きつける。「たかが知れてんだよなあああ!」
二メートルほどの高さから、地面に叩きつけられ、メルラの体が逆方向に折れ曲がった。決して堪えられるほどの痛みではないのだが——彼女は痛みを感じる事ができないのだろう、なにも声をあげずに地面に突っ伏した。
アーリは低く力強く唸り、ガジェインの頭部へ組み付いた。今度は引き剥がされないように深く爪を突き立て、がっしりと固定した。
母を壊されたくない。邪魔者を壊したい。憎しみと怒りが吹き出し、アーリの体を覆う紫の炎が呼応するように燃え盛る。怒りに任せ、アーリは男の首を捻り上げる。ぎりぎりと音を立てる、男の首にも一切の躊躇いなくアーリの化け物じみた力がかかる。
「くっそがあああ」男は自分の視界が横へ、自分の意思に逆らって動いていくのに苛立っている。「こわしてやらああ!」
ガジェインはメルラの背中に手を付き、腕に力を溜め込み始めた。腕が光を集めていく。
「お、か、さ、ん……」意識が怪物に飲み込まれ、判断力が薄れてもアーリは、母親が危ないという事を分かっていた。「や、め、ろおおおお」
怪物の遠吠えにも似た彼女の声が、港に響き渡る。
獣の腕に力が漲る。炎が燃え盛り、周囲はまるで昼間のように照らし出された。
「テイアー・インパクトォォォぉぉ……」
ガジェインの光が最大限に強まった瞬間、男の首から鈍い音が響いた。男の叫び声がぐんと小さくなり、掠れていく。
しかし、現実とは非情なものだ。ガジェインの首が折れるのとほぼ同時に、彼の手のひらからエネルギーが放たれ、メルラの体に大きな空洞を空けた。男の手のひら二つ分と、同じくらいの穴で、断面からは内部の構造が見えている。血はどちらからも流れていない。
アーリはそこでふと我に帰った。感情が爆発し、その全てを吐き出したのだ。
「……おか、あ、さん」自我を取り戻した彼女の前にいるのは、首が折れて動かなくなった大柄の男と、背中に大きな穴が空いた母親であった。「お、お母さん!」
彼女は男から飛び降り、母親に駆け寄る。体に走る痛みと、能力の反動による気だるさなど、気にしている余裕などなかった。そんな事よりも、母親が心配だった。
て駆け寄って覗き込んだ母親の目は優しかったが、呼吸は荒く、目からは生気が失せていく様子が見える。これだけの損傷を負ってまだ息がある方が、異常な事であった。
「……おかあさん!」アーリは母親の体を抱き上げ、膝の上に彼女の頭を乗せた。「し、死んじゃいやだよ……」
「アーリ……大丈夫? 怪我はない、かしら」メルラは優しい笑顔を浮かべているが、その声は乱れ、掠れ始めていた。「そんなに悲しそうな顔をしないで……あなたは笑顔でいるのが一番よ」
「う、うん……」アーリはなんとか笑顔を浮かべようと、顔に力を入れるのだが、ぐしゃぐしゃな笑顔にしかならなかった。「これらはずっと一緒にいれるよ、ね?」
「ごめんね、一緒にいたいけれど、もう……」メルラはゆっくりと自分の砕けた手を、アーリの手に重ねた。「アーリ、私はあなたに、幸せな——」
そこまで言うとメルラの声にノイズが混じり、ぴくりとも動かなくなってしまった。少女の膝に伝わってきていた母親の僅かばかりの温もりが、それと同時に薄れていく。
「お、お母さん! 嫌だよ!」
どうして良いか分からず、少女はただ涙を流しながら、冷たくなっていく母親の体を揺さぶるばかりであった。
少女の虚しい慟哭が、海の向こうへ届かんばかりに、響き渡るのみ。
一頻り泣き腫らした後、少女は母の冷たくなった体を背負い、ゆっくりと街の方へと歩いていく。
ロッドならどうにか直してくれるかもしれない。無理だとは心の奥底で分かっていたが、そんな重たすぎる負の可能性は、見て見ぬ振りをした。やっと出会えた母親との別れをこのような形で迎えるのは、少女にとって耐えきれない事であったから。
街へ近く度に、一歩一歩、母親の重みが感じられる。きっと少女がまだ幼かった頃は、逆に自分がこうやって背負われていたのだろうと、アーリは思った。硬く冷たい機械の体だが、確かに自分の母親のぬくもりが宿っていた。
彼女が街へ近づくと、焦げ臭い炎の匂いが鼻をついた。防護壁の上へ黒煙が、上へと伸びていくのが目に入る。
「街が……」アーリが街へと向かう足が、早まる。「一体何が、あったの」
血の気が引いていく。絶望感が彼女を飲み込もうとしていた。彼女がいない間に、街が再び襲われたのだと気が付いたからだ。
戦闘中にあの大男が連絡を入れたのが、作戦決行の合図だったのか、それとも元々そういう段取りであったのか。
そんな事がわかるはずもないのだが、アーリは自分が勝手に街を飛び出した事を後悔し始めた。静かに捕まっていれば、あるいは街の平和が保たれたのかもしれない。
そんな事を考えながら歩いているアーリの目の前に、薄暗い闇の中で七番街から走り寄る人影が一つあった。
見慣れた人影、そして闇の中でもアーリには、はっきりと見えていた。
「アーリ!」それは、疲れて顔をしたバレントだ。「無事、だったか……戻ってきてくれて、よかった」
「……メルラか」走り寄ってきたバレントは、傷ついたアーリが破損したメルラを引き摺っているのに気付いた。「俺が変わろう」
「う、うん、ロッドさんの所に連れて行かないと……」アーリはバレントに母親を渡した。「バレント、怪我してる……」
受け渡しの時に、バレントのシャツが斜めに破れ、血が染み出しているのが目に入った。バレントはちらりと自分の体を見るが、すぐに首を振った
「これぐらいは大丈夫だ」バレントはメルラを背負うと、しっかりとした足取りで歩き出した。「アーリ、お前は大丈夫か、かなり怪我をしているな」
「……うん」
アーリはそれ以上話す気分ではなかった。やっと出会えた母親と、別れなければいけないという気持ちの整理をしたかった。もう少し自分が強ければ、能力をうまく使いこなせていれば、もっと早く動ければ、助けられたのかもしれない。そもそも、自分が生まれてこなければ、母親は幸せに暮らしていたのではないか。
考えれば考えるほど、「責任」という二文字が重たく、のしかかってくる。
バレントも神妙な面持ちをしているアーリの表情を察してくれたのか、それ以上なにも言わなかった。
二人は焼け落ちた街への帰路を、静かに歩いていくのみだった。
焼け落ちた街の匂いが、静かな夜の風に運ばれ、北の方へと流れていく。それは誰かにとっては、焼けた肌を撫でる神の加護かもしれない。
しかし、少女にとっては、悲しさを慰める母親の息吹のように思えた。
この夜に起きた出来事は、街の人々の心に良くも悪くも深く刻まれる事になった。焼け落ちた家屋や建物なども多く、総出でお互いに助け合い、数ヶ月間に渡って修復作業に追われた。
アーリが発見した強制怪物化薬と、メルラの持ち合わせた知識によって、怪物へと変わってしまった市民達も、次第に元の人間の姿へ戻る事ができた。彼らに話を聞くと、怪物になっている間の意識がなかったようだ。
ジェネスや各街のリーダー達の判断により、混乱を招くかもしれないため、他の街の存在は伏せられた。一連の事件の責任は、怪物を作り出していたとされる前管理者ルークズ・オーソリティーの生き残りが、仕組んだ奇病であると言う事で片付けられた。
数日後、バレントの家の裏手、森を切り開いただけの広場では、ロッドを含めた少人数でメルラの葬式が執り行われた。葬式といっても遺体を地面に埋め、簡素な墓石を立てるだけのものであった。
昼食前頃の暖かくなり始めた時間、春の晴れた陽だまりの下で、彼らは葬儀の準備を進めていた。
埋められようとしているメルラの表情は、まるで眠っているかのように穏やかであった。機械の体のまま埋めるのは、少しかわいそうだと言ったアーリの意向で、彼女の体には衣服が着せられていた。これだけで少しばかり、アーリの記憶の中にある母親の姿に近づいた。もちろん、口元を覆う機械的なマスクと、つやつやとした装甲むき出しの手を除いてだが。
スコップを手にしているのは、バレントとロッドだ。彼らは神妙な面持ちには、先ほどまで穴を掘っていたため、額に汗が滲んでいる。
「アーリちゃん、直せなくてすまねぇな」ロッドはスコップを地面に突き刺してそういった。「かなり手を尽くしたんだが……俺の技術が足りねぇばっかりに……」
「……ううん、運んでいる段階でなんとなく、ダメなんだろうなって、思ってた」摘んできた花を抱えているアーリは、ゆっくりと首を振った。「それに私には、強くてかっこいいお母さんが居たって事だけで、十分だから」
アーリは手にした花を、穴の中に飾りつけながらそう言った。それが彼女の本心であった。この数日間、寝る間も惜しんで考え、気持ちの整理を付けようとしただが、失った物は元に戻らないのだという結論に至るばかりであった。何度も
もちろん花を飾っている今でも、母親が生きていれば、どんな話をしただろうかとか、どんな時間を過ごしただろうかという考えはちらつく。だが、アーリは母親に言われた「幸せに過ごしてほしい」という言葉に従う事にした。
「そうか……大人な考えだな」ロッドは少し寂しそうな、申し訳なさそうな表情で俯いた。「んで、結局ジェネスは来ないのか?」
「ああ」バレントは額の汗を拭い、そう言った。「あいつは街の復興やら事件の説明やらで、忙しいんだと。通信機も一応かけてみたが、応答はなかった」
「だろうな」ロッドは小さく何回か頷いた。「俺が三人居ても、あいつの仕事は務まらねぇからなぁ、あいつぁ良くやってるぜ」
「お待たせー!」
しばらく二人が話していると、ミリナの元気な声が聞こえてくる。
家の方から歩きづらそうにしているループと、歩幅を合わせるように一緒に歩いてきたミリナが見える。
「すまない、遅くなった」ループが俯きがちに言った。「まだ脚のない歩き方に、慣れきれてなくてな」
なくなった右足の傷が塞がってはいるが、脚自体はなくなっている。痛々しい見た目だが、当の本人はあまり気にしていないようだ。
「今度、代わりの足を作ってやろう」ロッドは少し得意げに言った。「あいつらやメルラみたいに動きが連動したり、武器になったりってのは難しいが……あと半年、ガジェインって野郎の体を調べて技術を盗む時間があれば、なんとかなるはずだ」
「……それまでは、バレントに扱き使われず、静かな時間が過ごせるんだな」ループは掘られた墓穴の前に座る。「使えるようになっても、バレントの耳には入れないでほしいな」
バレントは、ループの言葉を鼻で笑った。
「俺も相棒がいないし、今回の件で怪物相手は少し疲れたからな。ジェネスからもらった金で、しばらくはのんびりさせてもらおう」
少しの間、談笑が続いた。皆、心の中でお別れするのが嫌だったのかもしれない。特にアーリとバレントはその気持ちが強かったのだろう。
だが、バレントが切り出した。
「アーリ、そろそろお別れだ」バレントは、メルラの横に座っているアーリに向けて、優しく話しかけた。「……大丈夫か?」
「うん」アーリは小さく頷いた。「ここだったら、いつでも会いに来れるもんね」
「……そうだな」バレントはしばらくメルラを見た後、ロッドと顔を見合わせた。「いいか、ロッド。そちらを頼む」
二人は顔を見合わせ合うと、ミリナの体を持ち上げて、穴の中にゆっくりと下ろした。それからスコップを手に取り、ゆっくりと足の方から土を被せていく。
その様子をその場にいる全員は、静かに手を合わせてメルラが埋まっていく様子を見届けた。
母親と別れる寂しさ、助けられなかった悔しさ、肉親の死を目の当たりにした苦しみや悲しみなどが複雑に混ざり合った感情が込み上げてきそうになる。だが、アーリはすでにそう言った感情と、この数日間で既に折り合いを付けていた。
というより、彼女は母親と別れてからの数十年間、感情を整理し続けてきた。数億ピースで構成されたパズルを、心の中で、永遠にも感じる時間、組み立て続けていたのだ。だが、母親と再会した後の数日間で、そのパズルが急速に完成し始めていた。
どこか満たされていなかった感情が、欠けていたピースが、母親との再会でどこか満たされたように感じていた。
アーリにとって、母親との再会はそれだけ大きい出来事であった。
母親が死んでもなお、再び出会えたという事だけは変わらない。自分には母親が居た、それだけで十分だった。
スコップが土を運ぶ音だけが、広場に静かに響いていた。しばらくの後、土を叩いて平らにし、埋葬は終了した。
バレントは何も言わず、大きなため息をついた。アーリは、バレントもまた悲しさに踏ん切りを付けたのだろうと、思った。
「いつまでも此処にいる訳には行かないな」ループはそう言って静かに振り返って、歩いていく。「……先に戻ってるぞ」
「あたしもご飯作らないと!」ミリナはループに付いて行く。「今日はハンバーグですよ」
「俺も飯を食わせてもらってから、ゆっくり帰ろう」
ロッドはちらりと、バレントを見た。
「ああ、食っていってくれ」バレントはロッドに返した。「先に行っててくれ」
「おう」ロッドはそう言うと静かに、その場所を離れた。「早く、来いよ。全部食っちまうぞ」
アーリは静かに、暮石の前に、残った花を手向けた。
バレントは、アーリの後ろでその様子を見届けていたが、少女が戻ろうとしないので、声をかけた。
「アーリ、大丈夫か?」バレントはアーリの肩に手を乗せた。「行くぞ、いつまでも悲しい顔をしてたら、メルラも悲しむだろ」
「……うん」アーリは静かに頷いて、墓の前を後にした。
横に歩いていたバレントも、アーリ自身も何も言わなかった。話し始めたら泣いてしまいそうだったからだ。




