第十五話 ブレイル
第十五話
「負傷をしていない者は、他の者の救護と消火活動だ!」バレントが狩人達に向けて叫ぶ。「怪物は、元は人間だ! 電光弾で動きを止めろ!」
未曾有の大火災と怪物の大量発生を前に、肝が座っている筈の狩人達も混乱していたが、バレントの叫びに彼らは若干の安心を覚えたようだった。彼らはお互いに助け合い、怪我人を運んだり、火を消したりしはじめた。
武器に使う火薬などが置かれているためか、炎の回りが早かったのだろうが、屈強な狩人達は判断も早く、消火などに取り掛かるのが迅速であった。
落ち着きを取り戻し始めた七番街を見て、バレントはその場を他の狩人に任せて、六番街へと走った。一番、三番、六番、八番などは、中央街へ渡るための直接的な移動経路がない為、取り残された人々も多いだろうとバレントは思ったからだ。
歓楽街六番街は酔っ払いも多い、こんな深夜の時間はさらにその傾向が顕著だろう。
バレントが六番街への橋にたどり着くと、怪物に追われた人々が、橋を渡ってきている。
「しゃがめ!」
バレントは銃口を向け、怪物に向けて引き金を引く。
撃たれた怪物が倒れこむより早く、バレントは逃げていた男に叫ぶ。
「このまま行け! 兵士達が待っている」
逃げてきた男は必死の形相のまま、バレントの傍を走り抜けた。
橋の上で倒れ込んだ怪物の後ろには、もう数匹の怪物が銃声に気づいて寄ってくる。
「少し寝ててもらおう」バレントは鋭く怪物を睨みつける。「悪いな、少し痛いだろうが、死ぬよりはマシだ」
まだ煙の立ち上る銃口が二度、三度火を吐き出す。
撃たれた怪物は呻き声をあげ、動きを鈍らせ、自分の足にもつれるように倒れ込んでいく。
橋の上で寝転がる怪物達を乗り越えて、バレントは六番街の入り口にたどり着く。
「やはり酷い状態だな」バレントは自分に言い聞かせるように呟く。「……死ぬんじゃないぞ」
その呟きには、自分とそして家族達に向けての言葉であった。
バレントが六番街に入ってきたのを見て、消火作業に当たっていた兵士の一人が駆け寄ってくる。
「ば、バレントさん、来てくれたんですね」彼自身も火傷を負っているが、必死に消火作業に励んでいた。「六番街は非番の兵士が多く居ましたから、消火も早かったんですが……」
「それにしてはまだ炎が強いようだが」バレントは周りを見渡した。「何が起きてるんだ?」
「分かりません」彼は小さく首を振った。「消火した場所にまた、火の手が回ってるんです。空の酒樽や木製の小屋が多いからでしょうか……」
「分からんが……」バレントには心辺りがあった。「とにかく、消火を進めろ。四番街にジェネスが行った。もうじき合流する筈だ、それまで耐えろ」
安心したように消火に戻る兵士を見届け、バレントは六番街の奥へと走る。
大通りの脇道で燃え盛る酒場や小洒落た料理店が、崩れていく様子が見える。壁の上の兵士達はポンプで組み上げた水を、高所からばら撒き、外側からの消火活動が行われているのだが、それでも火の手が収まる所は知らないのだ。
走りながらもバレントは、この六番街にブレイルと呼ばれた、炎と刃を操る男がいるのだろうと直感していた。止まらない炎とこの惨状、考えうる原因はそれしかなかった。
そしてその直感は、現実になった。
バレントの前方数十メートルにある料理店から、油が滲み出る樽を片手で抱えながら男が出てきた。男は前腕から生える三本の刃で樽を切り砕き、店の前に油を撒き散らしたかと思うと、自分の両腕を燃え上がらせ、木片と油に火を付けた。
小さな火種は油の線を辿って、瞬く間に大きくなり、家の中へと走っていく。焦げ臭い匂いと共に、家全体が炎に包まれていく。
「動くな……お前がブレイルか」バレントはライフルからショットガンに持ち替えて、相手に向ける。「お前が火を付けて回ってるのか?」
「あぁ?」男は後ろからの声に振り返り、にたりとした悪魔のような笑顔を見せた。「お前かぁ! 俺の店に来たよなぁ、えっと、バレントン、だったっけ?」
バレントはその男の顔を見るなり、ショットガンの引き金を二度引いた。竜の息吹のように銃口から炎が噴き出し、男の全身を撃ち抜いた。シェルの中に内包されている小さな弾丸が、男の体を引き裂かんばかりに打ち付け、小さな爆発を生み出した。
しかし、男は何事もなかったかのように立っている。ダメージを負ったように見えるのはは、彼の着ているシャツが燃え落ちたくらいであった。
「聞いていた通り、炎は効かないんだな」バレントは二発の弾丸を込め直す。「人間の皮を被った悪魔、とでも呼べばいいんだろうか」
「おっさーん? なにしてくれちゃってんのー?」ブレイルはダメージなど気にかけず、燃え尽きたシャツの方を気にしている。「……ったくよ、そんなショットガン、効く訳ないっしょ? バッカじゃ——」
二発の重たい発砲音が鳴り響いたかと思うと、男の両足がそして、右腕の皮膚が裂け、氷に包まれた。皮膚の裂けた部分からは、分厚い氷に覆われた、赤黒い体の内部構造が見えていた。
炎を出すための穴が空いているが、氷に塞がれた部分からは炎が吐き出されるのが止まっているようだ。
「なるほど、そこから可燃性のガスを噴き出させてるのか」バレントは標準器から目を離し、薄く氷を帯びた銃口を見た。「氷結散弾の試し打ちには持ってこいの的だって事は分かった」
「それ、氷も撃てるって、マジかぁ」男は好奇の眼差しで自分の凍りついた手足を見た。「ひゅー、かっこいいじゃねぇか! 氷と炎の、こー、相容れない感じ? 最っ高!」
男は氷の張っていない箇所から炎を噴出させ、バレントに向かって突撃してくる。足元を覆っていた薄い氷がばきりと割れ、全身の炎が氷を融解し、蒸気を放つ。
「行くぜ行くぜ行くぜぇ!」
彼の表情は、戦いを楽しもうとしている、悪魔のような笑みであった。
「……気色の悪い奴だ」バレントは二発の弾丸を男の腕に向けて撃つ。「氷に埋まっていろ」
ブレイルは回避しようとするが、弾丸の一発が彼の右腕を掠め取り、溶け出していく氷にさらに分厚い氷層を作り出した。
「うぉらああ!」
男は回避した勢いのまま、バレントに向けて拳を突き出す。だが、その拳は冷気と熱気を、バレントの顔の前に晒したのみだった。肘の関節が凍りつき、腕が伸びきらなかったのだ。
ブレイルはバレントに向けて、もう片方で殴りつけようとする。何回も何回も拳が左右に振られるが、伸びきらない腕と動かしづらい脚に、彼の動きは通常より鈍いようだ。
バレントもなんとか後ろへ、そして左右へ男の攻撃を躱していたが、男の炎を帯びた拳が、弾丸のようにバレントの顔面をかすめた。だが、拳や炎よりも男の前腕から生える刃が、バレントを斬りつける方が致命的であった。
男の切り上げた斜め上の方向に、鮮血が噴き出し、バレントのシャツが赤く染まる。
「ぐっ……」バレントは顔を歪めた。「接近戦は不味いな……」
それを後ろへ回避し、バレントは超至近距離で、男の脚部に向けて氷の散弾を放つ。男の脚部が瞬間的に冷やされ、ブーツのように脚部を覆う氷が、燃え盛っていた炎をかき消す。
ブレイルの脚を覆う氷が炎を反射し、高級な宝石のように輝きを帯びる。一歩前に踏み出そうとしても、脚全体が地面に張り付き、動きが取れない。
動けなくなった男を前に、バレントは弾丸のリロードを挟む。
「機械の体でも凍れば動けないんだな!」
バレントは後ろへ飛び退き、ショットガンを構え、躊躇いなく撃つ。二発の散弾が、敵の脚部を完全に氷の像へと変えさせた。
「……ざっけんな!」ブレイルの足は、氷で完全に地面と固定された。「遊んでる場合、じゃあねぇようだなぁぁあ!」
バレントがもう一発を撃つより早く、男は両腕を構えた。六番街のゴロツキ達が喧嘩をする時のような大振りな構えではなく、脇を閉めて鋭いパンチを放つための構えに見える。
瞬間男が拳を振り抜いた。前に突き出す鋭い攻撃だが、距離はどう頑張ろうとも拳の距離ではない。
しかし、男の拳はぐんと伸びてくる。数メートルという距離の差が、いきなり縮まってきたのかと錯覚するほどあっさりと、さも当たり前のように男の攻撃はバレントの顔面を打ち付けようとしている。
「なっ……」バレントはもう一発撃とうと構えていたのだが、目の前に伸びてくる拳を回避せざるを得なかった。「どういう体をしてんだ?」
回避したバレントはちらりと男の方を見た。男の氷付いていた肘が外れ、中から黒く塗りつぶされた魚の骨のような機械構造がむき出しになっている。男はその構造の柔軟さと伸縮性を生かし、鞭のように伸びる拳を繰り出しているのだ。
そして、その魚の骨の一本一本が、男の前腕から生える刃のように、木を切り落とすためのチェーンソーのように鋭いのだ。拳よりも前腕の刃よりも、その魚の骨が一番危険だと、バレントは気づいた。
瞬間、バレントは自分の耳横に走る彼の長い腕が、ぐっと引き戻されるのを僅かな空気の流れで感じ取った。バレントの顔面すれすれを切り裂こうと、腕が横に振られたのだ。
鋸も押す時より引く時が切れる、バレントはクルスからそんな話を聞いていたのを思い出した。だが、そんな事を考えている暇ではない、ショットガンを押し当て自分の体が、刃に巻き込まれるのを防いだ。
鉄と鋼鉄が擦れ合い、ジリジリと火花が散り、耳障りの悪い金属音が響く。
「へー、さっすが、怪物と散々やり合ってるだけあるじゃん!」男はもう一方の腕も突き出す。「じゃあ、二本あったら、どうなんだろうなぁああ⁈」
男が拳を放つと、ギリギリと音を立て腕が伸びてくる。
「ちっ……」
バレントは腿のナイフホルダーに手を伸ばそうとするが、両手でショットガンを抑えていなければいとも簡単に弾かれ、料理人が肉を捌くよりも早くミンチになる事は明白だ。
ギリギリと音を立てる骨のような構造を前に、バレントは一瞬目を瞑る。腕の一本や二本、失うことを覚悟したからだ。
腕に痛みが走ろうともいう刹那、人影がバレントの前に飛び出し、男の放った左腕を弾いた。軽い金属がぶつかる音と共に、男の左手が軌道を変え、道脇の建物へと突っ込んでいく。バレントを襲っていた右腕も、ぐっと引っ張られ、男の腕へと戻っていく。
「お前……」バレントはちらりと人影の方を見る。「ジェネス、なぜここが分かった?」
「あれだけ銃を撃ちまくってるのは、あなただけですからね」ジェネスは剣を構え、真っ直ぐに敵を見据えている。「依頼の最後はアイツの討伐ですね」
「……ったく」バレントはバレルの曲がったショットガンを捨て、ライフルを構える。「報酬は弾んでもらうからな」
「おうおう、お前ら二人で俺を相手にするってかぁあ? こりゃぁ、遊んでる暇はもうねぇみたいだな」男はニタリと笑顔を浮かべている。「二人共ミキサーにかけてジュースにしてやらぁ! 遊びは終わりだぜぇえ!」
男は高笑いをした。途端、ブレイルの前腕が回転を始め、腕からでた刃が大気を攪拌し、炎を周囲に撒き散らす。遠心力で腕を覆っていた氷が弾け飛び、噴き出した炎がそれを空中で溶かし蒸発させる。
その様子はさながら、ジュースを溶かすミキサーそのものであった。勿論、本物は炎を撒き散らしているはずないのだが。
「行くぜ行くぜ! ブチ殺すぜぇ!」
男が拳を突き出すと、炎が回転しながら突っ込んでくる。前腕の動きに連動し、魚の骨のような部分も回転している。その様子は、まさに皮と肉を剥がれてもなお動く火を吹く蛇のようだった。
「バレントさん、来ますよ!」ジェネスは剣の柄を捻り、刃を発熱させた。「アイツの両腕を任せてください! その隙にどうにか、動きを止めてください」
「ああ」バレントは短くそういうと、ライフルを覗き込んだ。「任せろ」
ジェネスはバレントの前に立ち、高速で回転する炎の蛇を弾きながら、相手へと突撃していく。だが、高速で回転する腕の機構が、ジェネスの剣ですらを弾くため、接近に苦心しているようだ。
照準を男の顔面に合わせ、バレントは静かに銃身を支えている。相手の弱点付ける機会はそう多くない、野生の生き物でも人間でも機械人間でも、弱点を狙われたと分かれば、そこを本能的に隠してしまう。
バレントは静かに息を整えた。今は家族の事も、街の事も今は全て忘れ、目の前の的に集中し始めた。
息を吐いて、止める。バレントは静かに頭の中でその言葉を反芻し、銃を持つ手と対象のみに集中した。
照り付ける周囲の炎も、鳴り響く金属音も、兵士達の避難誘導も、どこか別の世界で起きている事のように感じる。なぜか森の木々の香りを感じてしまうほどに、バレントの狩人としての集中が高まっていた。
狩人と獲物、銃口と的。
ブレイルの腕を斬り弾いていたジェネスだが、すこし反応が遅くなり始めている。表情もどこか強張り、苦難の色が見える。
振り抜いた男の腕を弾いたジェネスの脇腹を、炎の蛇が抉り、鎧の一部を弾け飛ばす。「二人になったってのに」態勢を崩したジェネスに男がもう一発の拳を振り抜く。「一人と変わんねーじゃねぇかよ——」
拳がジェネスに到達しようとした瞬間、銃声が鳴り響いた。
男の腕が回転をやめ、地面へ力なく垂れていく。ブレイルは叫ぼうと大きな口を開けたまま、時が止まったかのように動きを止めたかと思うと、そのまま自分の腕の重みに引っ張られて、前に倒れ込んだ。
「……喋りすぎだ」煙の立ち上る銃を肩に乗せ、バレントはゆっくりとジェネスに近く。「大丈夫か? すまないな、時間を取らせてしまって」
「いえ、大丈夫です」バレントが差し出した手を取り、立ち上がる。「口の中を狙ったんですか」
「ああ、アイツが喋るたびに喉の奥が見えていてな。しかもこいつはよく叫ぶ、大きく開けた口はでかい的だったって事だ」バレントはゆっくりと男に近づき、体を蹴り飛ばす。「どんな生物も体の内側から撃ち抜かれれば、致命傷は負う。機械の体ならばなおさら電気には弱いはずだったんだが」バレントは口の中に指を突っ込んで見せた。「こいつの場合は、運良く首の神経をちょうど貫通したらしい。首が動くなら、頚椎はいくつかの骨格で形成されているんだ、その間に入ったんだろう」
男の首の後ろには、銃弾が貫通しかけ、吹き出物ほどの大きさをした、その先端が少し出てきていた。バレントの目測通り、銃弾が頚椎の間にちょうど良く入り込んだのだろうと分かった。
「メルラとは違って、完全に機械の体、ということでは無いらしいな。どちらかといえば、人間の体に、機械構造やら武器やらを埋め込んでいるという方が正しいんだろう」バレントは動かなくなった男の体を見て言った。「こいつも持って帰って、ロッドや研究者に確認させるか? 腕は押し込めてせめて人間の姿に戻しておかないと、一般市民に驚かれてしまうがな」




