第十三話 決別
アーリとメルラが、ガジェインと戦い始めた時を同じくして、夜の街には警鐘が鳴り響いている。
不快感を覚える鐘の音が、心臓の鼓動よりも早いリズムで鳴らされ、人々の悲鳴と怪物達の雄叫びがコーラスの様に重なる。さらに、乾いた銃声が、打楽器の様に鳴り響く。
人々が、兵士が、地面に蹲って、一人また一人と怪物の姿へ変わっていく。それはどの街でも一緒だった。安全な場所はほとんどない。人々はそれでも我先に逃げ場を求めて走り回っている。
逃げ惑う人々の行く手を阻む様に、街の至る所からは火の手が上がる。兵士達が街の下を流れる用水路から水を汲み、消火作業にあたってはいるのだが、炎は勢いを増していくばかりだ。
中央街にも外の騒動は、聞こえてくる。
宿にいたバレントは眠りから揺り起こされ、二丁の銃を引っ掴んで、部屋から飛び出す。
「……ったく」バレントはそう呟くと、アーリの部屋をノックした。「起きろ、アーリ! 獣化がまた始まった!」
返事はない。静かな部屋の中にノック音が木霊している。
「入るぞ」バレントがノブを捻ると、鍵は掛かっていない。「……いない、のか?」
真っ暗な部屋の中、ベッドの上にはアーリの姿がない。部屋の電気をつけるが、そこはもぬけの殻であった。
ベッドの上には、彼女の日記が広げられている。バレントはそれを見るなり、血の気が引いていくのを感じた。
「バレント! そこに居たか」ループに次いでミリナも部屋に入ってくる。「アーリはどうした?」
「……港へ行く、付いてくるな、だとさ」バレントはそれだけ言うと、踵を返してループとミリナの間を抜ける。「騒動を収めるのが先だ、行くぞ」
「ば、バレントさん! アーリちゃんは——」
心配そうな声をあげるミリナの言葉を遮って、バレントが静かに言った。
「あいつが決めた事を、あいつの覚悟を、勝手な判断で、俺が捻じ曲げる事はできない」
「バレント、お前はそこまで薄情だったか。見損なった——」
「早く騒動を収めて、その後にアーリの所に行くのは、俺らの、勝手だ! 無駄話をしている時間が惜しいんだ、行くぞ」
そう言うとバレントは、部屋の外へ駆け出して行った。
ミリナとループは一瞬、顔を見合わせ、頷き合い、外へと走る。
外に出ると中央街は、他の街よりも幾分かは、被害が少ないようだ。こちらに逃げてくる人々も多く、四つの出入り口は人混みでごった返している。負傷者達も多く、救護兵達が誘導に手間取っているようだった。
逃げてきた人達を追いかけてきた怪物達が、四方向の入り口に押し寄せ、それを兵士達がなんとか抑え込んでいる。
バレントは状況を見渡し、一人がこちらに走ってくるのを発見した。ジェネス兵団長だ。
「ジェネス、どういう状況だ?」
「芳しくはないとだけ言おう。八つの街全てで、獣化症状者が暴れている。電光弾でなんとか抑え込んではいるがな。兵士も狩人も圧倒的に、数が足りない上に、逃げ遅れた人々も多い」
「なるほどな」バレントはちらりとミリナとループを見た。「分かれて、避難誘導と怪物達の対処だ。気をつけろ、紛れているナインズの手下が何をしてくるか分からん」
バレントの言葉に、全員は頷いた。
「ならば、私が二番街へ向かおう。一番火の手が酷いからな。私がならば、少しは耐えれる」
ループはそう言うと二番街方向へ、屋根に飛び乗って、走っていく。
「あたしは五番街から八番街へ行きます、友達が心配だから!」
「なら俺が七番へ行こう、他のハンター達にも、協力を仰げるかもしれん」
「任せたぞ、私が四番街周辺を受け持とう」
彼らは散り散りに四方向へ、駆けていく。
ループが屋根を軽々と飛び移り、二番街へと渡る橋へとたどり着く。
外へ出るための橋は、怪物達が押し寄せ、ただでは通る事ができなそうだ。
「元人間に使うのは、躊躇われるが、麻痺毒ならば……」
ループは一瞬ためらったが、その惨状を前に、すぐに爪から黄色くドロドロとした液体を分泌させる。
「多少手荒だが、しょうがないな……」
白狼は屋上から大きく跳躍すると、怪物と相対している兵士達の間に飛び込んだ。
「る、ループさんだ! 白狼のループさんだ!」
兵士の一人が喜びの混じる声をあげた。
「下がっていろ!」
新たな獲物を見つけたと言わんばかりに、怪物達はギロリと白狼を見て、吠えつける。
ループは軽やかに飛び上がり、怪物の背中に飛び乗ってその爪を振るう。
引っかきでできた傷口に、ループの爪から染み出した黄色い毒が、ぐんぐんと染み込んでいき、怪物達は動きを緩めていく。
飛び石の様に怪物達の背を飛び移っては、毒を仕込んでいく。
瞬く間に怪物達は、その場で倒れこみ、動かなくなった。死んだ訳ではないのだろう、体を上下し、大きく深い呼吸はしている。
最後の一匹を倒したループはくるりと振り返ると、唖然としている兵士達に向かって叫ぶ。
「強い毒ではないが、麻痺毒だ。血清を打ち込んだら病院へ運べ! ぐずぐず、するな」
「か、かしこまりました!」
兵士達は怪物に駆け寄ると、注射器を打ち込みはじめた。
それを見てループは、火の手の上がる二番街へ駆け出した。
ミリナの向かった五番街方面は、心なしかカラフルな見た目の怪物が多い様に思えた。こんな所まで反映されなくてもいいのに、と思いながらミリナはライフルで、怪物達の足を撃ち抜く。
「下がってくださーい! 危ないですよー!」
ミリナは彼女の後ろにいる人々を下がらせながら、怪物の対処に追われている。
やがて、怪物達が倒れて道が拓けると、怪物達の上を通ってミリナは四番街の現状を確認した。
ファッションを主産業とする五番街だ。店先にある大量の衣服に火の手が移り、消火も怪物の対処もままならないようだ。
肌を焼くほどの熱気を運ぶ風が、ミリナの前から吹き付ける。
「……酷い状況ね」ミリナは、バケツを持つ兵士に話しかける。「ごめん、ちょっと貸して!」
バケツの中の水を、頭から被った。彼女の黒髪が、水気を含み、水滴が滴っている。
「ありがとう! 消火、よろしくね!」
ミリナはそう笑顔を浮かべたまま、兵士の一人に言うと走っていく。
「は、はい! お任せください!」
焦っていた若い兵士の彼は、少しだけ落ち着いた表情になった。
炎が勢いを増す中、ミリナは五番街の中央十字路にたどり着く。
「みんな、結構逃げられたみたいだね」ミリナは十字路に立ち、きょろきょろと見回す。「……あれは」
「うわあああん」
八番街方面から走ってきたのであろうか、泣きながら走ってくる子供数人と、その後ろに炎を纏うムムジカが走ってきている。
ミリナはそれを見るなり、ライフルを構え、怪物の脚部に狙いをつけた。
「み、ミリナお姉ちゃんー! た、助けてええええ!」
子供達が彼女の脇を駆け抜けた瞬間、ミリナは引き金を引いた。
怪物は一瞬ぐらついたかと思うと、そのままずるりと転倒し、動かなくなった。
それを確認すると、ほっと胸を撫で下ろした後、ミリナは彼女の後ろでズボンを掴んでいる子供達に向き直った。
「大丈夫? 怪我はない?」
同じ目線になるようしゃがみこみ、優しく声をかけた。
彼らは怪我こそしていないものの、涙で顔はぐちゃぐちゃになっており、服も所々煤がついている。涙は熱気で乾き、その後が残っているのみだ。
彼らの一人が見知った顔に、少し安心したのか、しゃくり泣きながら話し出す。
「あ、あの、ね、まだ、レーラ先生が……」
「レーラが……」ミリナは友達の名前を聞き、動揺するが、それを顔に出さないように続けた。「そっか、教えてくれてありがとうね。大丈夫、あたしに任せて! 絶対助けるから、みんなはあっちに逃げて、もう少しで安全な場所だから、ね。みんな、もうちょっとだけ頑張れるかな?」
「う、うん、僕、頑張るよ」
泣きながらだったが、少年は大きく頷き、他の子供達を先導して走り出す。
ミリナはその背中を見届け、炎吹き出す大通りを、八番街方面へと走り出す。
子供達に見せた笑顔の裏で、ミリナは焦っていた。親友がこの惨事の中に取り残されているのだ。焦らない方がおかしいというもの。
八番街へ辿りつくと、木造の校舎が炎に包まれていた。
それを見るなり、ミリナは一瞬希望を捨ててしまいそうになった。だが、それ以上に友達を失いたくないという強い気持ちが湧いてくる。
ミリナに気が付いた兵士の一人が、走り寄って、ミリナが飛び込もうとするのを止めた。
「危ないですから! 避難してください!」
「友達がいるんです! 早く、消火を! 水を持ってきてください!」
ミリナは即座にそう返し、兵士をどかして、中へを走り込む。
「レーラ! レーラー! どこ!」
彼女の名前を呼びながら、炎の中、教室の扉を開けて回る。額からこぼれ落ちる汗も、目から流れる涙も、全ては炎が乾かし尽くす。
一つ、また一つと扉を開けていくが、その中にはただ黒煙が立ち込めるだけの空間が広がっているだけだ。ミリナは皮膚が焼けるのも気にせず、服が焦げ付くのも気にせず、ただ友達の為に探し回った。
焼け焦げる木製の建物の匂い。目の潤いすら乾かしてしまいそうな熱気。見渡す限りの紅蓮の炎。
「レーラ! どこに——」
彼女の耳は、轟々と唸る炎の中から、子供達が啜り泣く声を聴き分けた。彼女がいる場所からは二つ先の様だ。
「レーラ! そこに居るのね」
喉が炎を吸って少し痛んだが、ミリナは何も気にしなかった。
扉を開けると、そこには子供達が教室の隅で縮こまっていた。彼女は泣く子供達をどうにかあやしている様に見えた。
「レーラ!」ミリナは彼女を見て、安心した。「レーラ、助けに来たよ! 早く逃げよう!」
安心したのも束の間だった。レーラを取り囲んでいた子供達が退くと、レーラは額から血を流し、天井から落ちてきた木材の下敷きになっていたのだ。
周りが身を焦がすほどの熱気に包まれているはずなのに、背筋が氷のように冷たくなるのを感じた。
「レーラ!」ミリナはそこへ駆け寄り、棚を持ち上げるために指をかける。「……ぐ、ど、退かさないと……」
「ミリナさ、ん……子供達と、逃げて……」レーラにはまだ意識があるようだが、声は掠れて弱々しかった。「はや、く……」
「ダメだよ! 置いては、いけない!」
煙が立ち込める室内。ミリナは呼気が薄まっていくのを感じながら、力を振り絞って柱を持ち上げる。自分が柱を背負うように、できた空間の下に潜り込み、レーラの体を引き摺り出した。彼女達が抜け出るのと同時に、柱はガラガラと崩れ落ちた。
「ありが、とう……子供達、を早く……」
「それ以上喋っちゃだめだよ」子供達を立ち上がらせ、ミリナは優しく言った。「さ、みんなも行こっ」
ミリナは弱々しくうなだれるレーラを背負い、子供達の手を出来るだけ引いて、教室を出ていく。
煙によって自分の体から力が抜けていく感覚がある。それなのにも関わらず、ミリナは歯を食いしばり、子供達に不安を与えないように苦しい顔を見せず、今にも燃え落ちそうな建物の中を走った。
建物の外にやっとの思いで飛び出すと、建物は待っていたかのように、崩れ落ちた。
危なかった、とミリナは思ったが、声には出さなかった。少しでも子供達に不安を覚えさせてはいけない。
外には救護の兵士達が待ち構えていた。彼らもまた傷付き、所々に火傷を追っているが、彼らの信念に
「ミリナさん、負傷者は我々にお任せください!」
「お、お願いします……子供達の避難も……」
兵士達に彼女を引き渡し、子供達の避難も任せたミリナは、子供達が見えなくなるとその場で膝に手を付き、大きく肩を上下させて呼吸を整えた。
「……危なかった」
いつもはマイペースで、笑顔を絶やさないミリナであったが、この時ばかりは苦しい表情を浮かべてしまう。
肺の内側が燃えつくように痛く、視界がぐらぐらと揺れる。今はまだ呼吸ができているが、後数分あの場にいたら危なかったかもしれない。
しばらくそうしていたら、呼吸が落ち着いてきた。肺の中に溜まっていた煙が、外の空気と入れ替わった。ミリナの肺がヒリヒリと痛む感覚があるが、動けない事はなかった。
「……まだ、助けを求めてる人がいるかもしれない」ミリナはふっと顔をあげ、歩き出そうとする。「あれは……」
顔をあげたミリナの視界右上方、建物の屋根上に、緑髪のすらりとした男が立っていた。彼はアップル・バーガーの店でウェイターをしていた男だ、とミリナは気が付く。
彼は不敵な笑みを浮かべ、眼下に広がる炎の海を満足げに眺めている。
しばらく眺めていると、男はミリナに気が付いて、ニタリとした笑顔を向けてきた。彼はひょいと飛び降り、ミリナの前に降り立った。
「おっと、こんな所で、またお会いするとは……なんという偶然でしょうか、この日に感謝しなければ」
男はニタニタとした笑顔を浮かべた。彼が笑うと元々の釣り目がさらに細くなる。コラヴァス、鴉と呼ばれていた男だが、彼の笑顔は蛇のようにも冷徹だった。
「……あなた達が、これをやったの?」
ミリナは彼を見るなり、ホルダーに差していた二丁の銃を抜き、男に向ける。
「そんな当たり前の事、聞かないでくださいよ。もう、メルラから聞いて全部知ってるんじゃないんですか?」男は表情を一切変える事なく、淡々とそう言った。「アーリ・レンクラーはこちらの手にあり、街も破壊すれば計画は終了……なんですが、あなたは知りすぎている、私が直々に消せと上からの命令でね」
男は自分の言葉に酔いしれるように、ニタリと笑い続けている。
「動かないで!」ミリナは銃の安全装置を解除する。「街をこんな事にして、許されると思うの?」
「ああ、まだ、撃たないでください」
男はそう言うと、静かにゆっくりと両腕を顔の横まで持ち上げた。かと思うと、一瞬握って手を開く。彼の指の間には、三本ずつ短刀が挟まっていた。
「手品、ってご存知ですか?」男がそう言うと、彼の輪郭が歪み始める。「きっと知らないでしょうし、今からお見せしましょう」
男はゆっくりとお辞儀をすると、揺らいでいた輪郭が別れ出し、三つに分身する。それは何も言わずに、ミリナの方に走って向かってくる。
ミリナは引き金を引くが、弾丸は男の体を虚しく通り抜け、男の幻影をかき消すのみだ。
「全部、幻——」
ミリナがそう言いかけた時、彼女は背後に視線を感じ、振り返る。
そこには同じく緑髪の男が立っていて、不自然に煌めくナイフを振りかざしていた。
「おっと」男がナイフを振るうと、ミリナの背中が斬りつけられ、彼女の背中に三本の切り傷を作った。「勘は鋭いんですねぇ……気付いていなければ、致命傷で死ねたかもしれないのに」
ミリナが避けるために、一歩前へ踏み出していなければ、ナイフが首を斬りつけていた。だが、彼女は生きている。背中は痛むが、そんな事はどうでもいい。
「早く倒れて!」ミリナはざっと踵を返し、二丁の銃を乱射する。「アーリちゃんを助けに行かなきゃいけないのに!」
銃弾を受け、男の輪郭が揺らぐ。
「銃弾は効かないって事は聞いてないんですね」
「……また幻に⁈ どう言う事なの」
ほんの数秒前、男のナイフが彼女の背中を斬りつけている。目を離した訳ではないが、銃弾は掠めるでも、弾かれるでもなく、男の体を通り抜けたのみだった。いつすり替わったのか、それともいつでも幻になれるのか。
「ぐっ……いつの間に!」
彼女の横から煌めきが走り抜け、肩を斬り裂いた。鮮血が宙を舞い、地面に飛び散った。
ミリナは痛みを堪えて振り返るも、男の鋭い回し蹴りが、彼女の脇腹をぶち当てる。鈍い音が鳴り響くが、ミリナは咄嗟に腕を体と脚の間に入れ、防御する。
だが、男の蹴りは重く、ミリナの体が後ろへ飛ばされる。ミリナの腕には、ジンジンとした痺れるような痛みがのし掛かっている。
「いったいー」
ミリナが顔をあげると、男は五つに分身し、彼女に向かって走り寄る。起き上がり、銃を乱射してその幻をかき消す。
それらは銃弾を受けると、煙のようにゆらゆらと揺らめいて消えた。
「……ぐ、一体どこに」
炎に包まれた街の中を見渡すが、男の姿は見えない。熱せられた大気が、まるで生物かの様に揺らめいている。
そしてその一部分が、不自然な動きを見せた。
気づいた瞬間、ミリナは咄嗟に屈んだ。
彼女の頭の上を冷たいナイフが、通り抜ける。後ろに立っていた緑髪の男の顔が少し歪む。
「おー、避けま——」
「邪魔しないで!」
ミリナはしゃがんだ勢いで、相手の足元を掬う様に、地面を抉る様に、水面蹴りを繰り出す。
確実にミリナの脚には、相手の脚を確実に捉えた感覚があった。
「あなたが本物! みーつけた!」
「なるほど……ただのバカじゃない様だ」
男はしっかりと攻撃を受け止め、まだ立っていた。涼しい顔をしているが、口の端が下がっていて、笑顔は消えている。
今笑顔を浮かべているのはミリナだ。
コラヴァスは受け止めていたミリナの足を弾き、足蹴りを繰り出す。
ミリナはそれを躱し、銃の引き金を引く。今度は銃弾が男の体と衝突し、二発の爆発を巻き起こし、男の胸辺りの衣服を焼いた。銃弾が男の胸の装甲にめり込み、プレートをへこませている。
「透明にもなれちゃうんだ?」ミリナは余裕の表情を取り戻した。「周りの炎がなかったら、分からなかったよ!」




