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怪物少女と狩人  作者: 遠藤 ボレロ
——怪物化事件—— 第3章
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第十一話 幻影

 (からす)のように宙を飛ぶ男。

 切れ長の目と鮮やかな緑色の髪の毛、そしてカジノのディーラーの様に綺麗に着飾った黒いジャケットが目に付く。

 表情は冷たく、まるで虚空を見つめているような、虚ろな目をしていた。


「アーリ、避けろ!」

 ループの言葉が、彼女の耳に届いた瞬間にはアーリは動き出していた。

 右腕を瞬時に通常の状態に戻し、距離を取るために後ろへ飛びのく。

 緑髪の男はニタリと小さく笑みを浮かべたかと思うと、空中で手にしたナイフを全て投げた。炎が放つ光を反射して、六本の短刀がキラリと輝く。それらは少女の眼前にまで達していた。

 躱せない。アーリはそう考えた瞬間、右腕を顔の前に出していた。 

「シールド・ボア!」

 緑色の鱗質だった右腕が、一瞬にして黒く艶めく硬質な盾へと変化する。多少の痛みをも覚悟し、盾を持つ手に力を込める

 しかし、その盾が役に立つ事は無かった。盾が弾くはずだった短刀が、衝突の寸前で消えたのだ。軌道を変えた訳でも、タイミングがズレた訳でもなく、忽然と姿を消した。

「……ナイフはどこ⁈」

 盾から顔を覗くが、そこには地面に落ちているはずのナイフは愚か、緑髪の男の姿はなかった。アーリはきょろきょろと辺りを見渡す。

「ループ! あいつはどこへ行ったの」

「わからん、目の前で消えた」


 霞の様に消えた男の行方を探って——。

「……私をお探しですか?」 

 アーリは背後からの声に、びくりと体を震わせる。右肩に男の細い腕が乗せられていたのだ。

 咄嗟に右腕を後ろへ振るう。確かに男がそこに居たはずなのに、アーリが振るった盾は何も捉えなかった。

 いや、というよりは男の輪郭をかき消した。蝋燭に灯る火を吹き消したように。水に映し出された景色を掻き消す様に。はては、砂の上に描かれた絵を踏みにじるように、男の体は闇へと溶けていき、何も無くなった。

「き、消えた……今ここにいたはずなのに」

「……ああ」


 驚いているアーリとループの目の前に、あたかもそこに最初から居たかのように、緑髪の男は堂々と歩み出てきた。

「……お前も仲間だな」

 ループの言葉を聞いても緑髪の男は静かにツカツカと、炎を纏う男に近づいていく。

「私も遊んで欲しかったのですが……そんな余裕はありませんね」

 男はそう言ったかと思うと、彼の袖から夜の闇をも凌ぐほどの黒煙が噴き出し、アーリ、ループ、そして二人の男をも飲み込んだ。


 焦げ臭い火薬の様な匂い。視界を遮るほど深い黒煙。半メートル先を見通す事もできない闇。

 アーリは直感した。男に逃げられてしまう、追いかけなければ。

「ループ! 逃げられちゃう!」

「分かっている、追いかけるぞ」

 二人は煙を掻き分け、黒の中から飛び出る。


 晴れていく視界の中に、赤髪の男を抱える、すらりとした緑髪の男が見えた。

 いや、むしろ、見えすぎるくらいだった。幾つもの同じ人型が、十六方向に向かって散り散りに逃げて行っているのだ。

「幻を作り出せる、ということか。そうでなければ説明が付かないな」

「……ループ、匂いでどれが本物か追えない?」

 アーリはループをちらりと見た。白狼は言われるまでもなく、匂いを嗅ぎ当てようとしていたが、すぐに首を横に振った。

「無理だ。メルラ同様、彼奴らからは人間特有の匂いがしない。服の匂いも靴の匂いもだ」

 アーリは悔しさに歯をぐっと噛みしめる事しかできなかった。

「だが、どの幻も街の外へ向かっている。奴らは街には居ないという事だな」

「……あの緑髪の人、三番街で働いてたウェイターさんだった。あの時、何か違和感に気づいてれば、止められたのに……」

「アーリ、悔やんでいる暇はないぞ。戻って獣化騒動を収めなければ」


 その夜の騒動が収まったのは、朝日が昇り始めた頃であった。深夜の無防備な時間帯に起きた事であり、それだけ被害も負傷者も多かった。

 幸いか、店を調べていた五人は誰も怪我などはなかったが、彼らはそれ以上に、敵を逃してしまったという精神的な落胆の方が大きかった。

 中でもアーリは一番その責任を感じていた。目の前で倒せたかもしれないのに、自分が戸惑ってしまったばっかりに逃走を許してしまったからだ。


 彼らはロッドの店の奥、メルラが修理を受けている部屋に集合している。

 夜通し怪物達と戦った全員の顔には、疲れが見える。あのジェネスでさえ、少し滅入っているようで、目元が窪んでいる。

 アーリとループは、自分達が相対した二人の敵について全員に話した。

 一人は——赤髪の店主を偽っていた男——炎を操り、腕や足から刃を生やす事ができ、接近戦を得意としていそうな事。そしてもう一人——緑髪のすらりとした、ウェイターだった男——は、黒い煙を噴き出す事と自分の幻を作り出せること。


 アーリの話を聞いて、最初に喋り出したのは、修理が終わったメルラだった。

「赤髪はきっとブレイル、炎の拳闘士の異名は聞いた事がある。そしてもう一人は多分だけど、コラヴァス、暗闇の鴉。彼についての情報はほとんどないわね」

「……なるほどな。そして、人間的な匂いはしないと言う事から、やはり通常の人間ではないのだろう」ジェネスは疲れた目元になるべく力をいれながらそう言った。「逃走時、四方八方へ幻を作りながら逃げて行ったのだな、それであれば街の外へ調査隊を派遣しよう」

 ジェネスは力強くそう言ったのに、メルラが続けた。

「きっと彼らは、すぐに動けない。体を直すための設備もなく、予備のパーツがある訳はずもない。しばらくは彼らの動きは収まるはず」メルラは少し俯いて続けた。「少なくとも、ガジェインとブレイルは……けれど彼らもきっと警戒しているはず、迂闊には動けない」

「それでは今の内に血清を製造し、獣化の沈静化に務めよう。メルラ・レンクラー、お前には血清の方を手伝ってもらう」ジェネスはアーリ達に向き直る。「奴らの潜んでいる場所の捜索に協力してもらうぞ、いいな?」

「ああ、それも依頼に含まれてるならな」

「私はいいぞ。だが明日からな、今日は寝かせてもらう」

 ループがそう言うと、ジェネスが他の二人に目を向けた。

 アーリは何も言わず、ただコクリと頷いた。

「もちろん! ここまで来てやらないとか無いですよ!」

「頼もしい限りだな。付いてこい、中央街(セントラル)にて、宿と三食の食事を用意させる。収束するまではそこを使え。その代わり、緊急時の対処も任せたぞ」


 彼らはジェネスの計らいで、一連の騒動が収まるまでの間、中央街に止まる事になった。各々、個別の部屋も与えられ、腹を満たすための豪華な食事も出る事になった。この場所は宿と銘打ってはいるが、どちらかといえばお金持ちがのんびりと暮らすためのセカンドハウス的な使われ方をしているため、内装はかなり綺麗で、部屋一つ一つも広い。


 それから数日間、彼ら四人は此処を拠点に、街の外を調査した。

 一日目は防護壁の周辺を調べた。そして二日目と三日目は、南のエルド港、西の農耕地、東のドラング樹海、そして北はデュラーンの森を二手に別れて捜索した。

 だが、どの場所を調べても、彼らの痕跡は見つからない。外に逃げて行ったはずなのだが、街の外からはまるでどこにも行っていないようにも思える。もちろん、彼らは匂いがせず、人間には出来ない体の動きができるのだ。そう簡単に痕跡を残すはずもない。

 アーリは言葉にこそしなかったが、日に日に不安を覚えていた。このまま逃してしまえば、きっとまたいつか彼らが、街を混乱に陥れるだろうと。


 三日目の夜、夕食を済ませた後それは起こった。アーリの部屋を、宿の店主がノックし、こう告げた。

「アーリさん、あなたに向けて通信が入ってますよ。一階までお越しください」

 彼の扉越しの声に、アーリは少し訝しげに首を傾げて、ベッドから飛び起き、部屋の外へと出て行った。

 アーリには、通信を受け取るような相手が思いつかなかったからだ。最初はレーラやカルネかと思ったが、この場所にいる事は伝えられていないのだ。一抹の不安が彼女によぎるが、相手の声を聞いてみない事には、何も分からないだろうと、自分を無理矢理にでも納得させた。

 店主の後ろに付いて行って、受付に設置されている通信機の受話器を手に取った。

「あのー、アーリですが、どなたでしょう——」

 通信機越しの声は、少しビリビリとしていて聞き取り辛い。電波の状態によっては、ほとんどノイズのようにしか聞こえないのが普通だった。開発したロッド曰く、まだ改良の余地がある、とのことだ。


 しかし、この日に限っては、通信機の向こうにいる者の声が、はっきりと聞こえた。そして、それはアーリも聞き覚えのある、野太い声だった。

《深夜、一人で港に来い。そうすれば、街だけは放っといてやる》

 ブレック、ガジェイン。農耕地で陽気な農夫を演じていた男の声だ。

 アーリは咄嗟に、息を飲み、周りを見てしまう。宿屋の店主も、自分の部屋に戻ろうとしている所で、こちらには気付いていない。バレント、ミリナ、そしてループも自分の部屋に戻っている。

 自分一人で決断しなければならない。

《……いいか? 誰にも伝えるな。お前だけで来い。もし無視すれば、この街の人間全員を一度に怪物化させる》

「……分かった」

 アーリが短くそう言うと、通信が終了し、自分の鼓膜が鳴らす静寂の音だけが聞こえてくる。

 一人で行かなければ。

 少女は受話器を元に戻すと、静かに二階にある部屋に戻った。

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