第十話 もう一人のナインズ
「……あのー、そのクイーズ・ナインズって、やっぱり九人いるんですよね?」先ほどまで黙っていたミリナが口を開いた。「この街にいたブレックさんが……そのガジェイルっていう人なら、他にもまだ居るんじゃ——」
部屋の外から一人の足音が近づいてきた。その人物は有無をも言わさず部屋の中へ入ってくる。
「その話は私も混ぜてもらおう」兵団長ジェネスであった。「メルラ・レンクラー、だな? この街に今起きている事について、いくつか私からも質問させてもらおう。返答によって、お前の処遇を決めなければならない」
彼は入ってくるなり、椅子を引っ張り出し、どさりと座り込んだ。
「……ええ、街を守る為ならば」
メルラは電子音が混じる声でそう答えた。
「幾つか疑問はあるが、まず一つ。何故、獣化を止める血清を持っているのに、我々にそれを託さなかった? お前がそのクイーンズとかいう奴らの敵ならば、尚の事だろう?」
「それは、クイーンズの息が掛かった者達が何処までいるのか、分からないからです。彼らは数年前のナーディオが暴走した一件の後、少しずつ手下をこの街に送り込んでいたようです。血清を盗んできた私がこの街にいると知れてしまうと、彼らがどんな強行手段に出てくるのか分からなかったのです」
「だからお前は単身、市民を誘拐しては、血清を打っていたと言う事だな?」
「ええ、もう少し早くに行動できれば良かったのですが……申し訳ありません」
ジェネスは腕を組み、眉間を抑えた。
「敵はそこまで潜り込んでいるのに、何故ここまで行動を起こしていなかったのかについて……さらに詳しく言えば、そのクイーンズの計画を何処まで知っている?」
「……詳しくは聞いておりません。私はクイーンズの直属の部隊に所属していただけで、計画の全てを知っている訳ではないのです。もちろん、彼ら全員の顔も知りません。強制怪物化薬・モンスルリシンの存在と、それを使う相手がこの街の住人だと言う事は知っていました」
「ふむ、読ませてもらった手記には、獣化の原因について決定的な情報が書かれていなかったが、お前はそれに心辺りはあるのか?」
「経口での摂取で強制怪物化薬は効果を発揮します。そして、ブレックを名乗っていた男、ガジェインは農業をしていた。私が彼の作物を調べた結果、彼は強制怪物化薬が検出されています。もちろんそれ以外の経路で、薬がばら撒かれている可能性もあります」
「……他のルートに心当たりはあるか?」
「三番街の青色のドリンクを売る店、その店主の事も怪しんでいます。確証は持てませんが、あの薬は中毒性があります。異常なまでの売れ行きは、その条件に合致する」
「……そっか、だから私が怪物になりそうだったんだ」
ミリナは噛みしめるようにそう言った。
ジェネスは腕を組んで、少し考え込んだ後喋り出す。
「なるほど……では血清を準備しつつ、我々はこの街に潜むそのクイーンズ・ナインと手先の者を排除しなければいけないということだ。対処は早い方がいい、今晩にでもその者を捕らえ、尋問する」ジェネスはこの部屋にいる全員の顔を見た。「この事は他言無用で頼む。それと……クイーンズに関係している者の捕獲の協力を頼みたい」
その夜、日が落ち、周囲が真っ黒な闇に包まれた後、彼らは三番街にある青色の飲み物を売る店の前に集まった。武器を携行し、万全な準備を整えてから、捕獲作戦を決行した。作戦と言っても、店の内部を探る事と、店主がいれば尋問する事だけだ。
この場にはメルラはいない。彼女はまだ万全には動けないため、ロッドが続けて修理をしているからだ。
それに、兵士も連れてきてはいない。クイーンズ・ナインズの手下が兵団の中にも潜り込んでいる可能性があるのだ。
「いいか、話は私がする。しかし、怪しい素振りを見せたら躊躇わず殺せ。情報も欲しいが、街と我々の安全が第一だ。分かったな?」
バレントは手にしたショットガンに、二発の弾丸を込めた。
「ああ、任せろ、三人もいいな?」
アーリもミリナもループでさえも、緊張に顔を強張らせていた。
「……アーリ、お前は無理をするなよ? まだ体が本調子じゃないだろう?」
「うん、なるべく使わないようにする」
そう言っても、アーリは能力を使う事を覚悟していた。
クイーンズ・ナインの一人、ガジェインと相対したアーリだからこそ分かる。もし、飲み物屋の店主が敵なのであれば、あれと同等かそれ以上の能力を有している可能性が高い。
「大丈夫だよ、アーリちゃんが危なくなったら、私が守るよー」
ミリナは二丁の拳銃を、ぐるぐると回して、格好つけてをして見せた。
ジェネスは表通りから人影が完全に消えたのを確認し、彼らは星空のソーダを売る店へと近づいていく。シャッターの閉まったその店は、中にまだ明かりが付いていて、まだ人がいる事が分かる。
ジェネスはそのシャッターを無骨にノックすると、中から声が返される。
「はい、なんでしょうかー?」
「兵団長ジェネスだ、中を確認したいのだが、開けてもらおうか?」
中にいる人間はしばらく沈黙した後、ゆっくりとシャッターを持ち上げて出てきた。
赤い短髪の若々しい男は、柔らかい笑顔を浮かべている。
彼の背後には、青い飲み物が入ったガラスの筒が二つ置かれ、フルーツを切るための簡易的な台所などがあるだけだ。まな板の上には切っている途中のオレンジが山積みになっており、柑橘系の爽やかな匂いが、店の外へと溢れ出る。
一見すれば人気飲み物店の店主が、夜遅くまで材料の下準備に追われている状況に見える。店主も爽やかな笑顔を浮かべているからか、まるで怪物に変えるための薬を準備しているようには思えない。
「こんばんは兵団長様と……狩人様達、ですか。今夜は揃いも揃ってどう言った御用ですか?」
「怪しい事をしている可能性があると、通報が入った。もちろん、私はこの場所がただのジュース屋だと思っているし、くだらん杞憂に過ぎないと思っているのだが……兵団長という立場上、市民の通報を無下にする事もできないからな。ここ最近の獣化騒動で、兵士達も出払っていて、こうして汚らしい狩人達を連れて、私直々に出向いたと言う訳だ」
店主は目や口を大きく開き、驚いてみせた。
アーリはなんとなくだが、彼の表情がわざとらしく見え、胡散臭さを感じた。これが商人独特の雰囲気なのか、それとも何かを隠しているのかは分からないが——。
「そうでしたか! なんのお構いもできないのが、心苦しいですが……どうぞ中へ! 好きなだけ調べて行ってもらって構いませんよ」
彼はそう言うと、果汁で湿った手をエプロンで拭って、中へ全員を招いた。
「全員中へ入ってもあれだろう……俺とループは外で待つぞ、料理店にけむくじゃらが入り込むのは不衛生だろう?」
「うん、じゃああたしとアーリちゃん、ジェネスさんで調べるね!」
「う、うん、邪魔するのも悪いし、早く調べて帰ろ!」
ミリナに引っ張られて、アーリは中に入った。
ミリナは店主の注意を逸らすためか、戸棚や冷蔵庫などを手当たり次第に開けまくっている。
アーリは彼女の後ろを付いて行って、店主に見られないように怪物の力を発動すると、彼女の赤いと紫の瞳が黄色に変わった。
五感全てが研ぎ澄まされて、部屋中に充満する匂いが彼女の鼻を刺してくる。強烈な柑橘の匂いの中に、若干の苦味がこの店のどこかから漂ってくるのを感じた。
その匂いの元を、目線だけで追いかける。が、匂いはタイル床の一部で途絶えていた。
アーリは直感した。
タイルの下に何かがあるはずだ。アーリはゆっくりと近づき、徐ろにタイルを触ろうとする。よくよく見てみれば、そこはタイルが浮いている。絶対に何かを隠しているはずだ。
アーリがそう確信して、持ち上げようとすると、彼女の後ろから、店主が近づいてきた。
「大丈夫ですか? 滑るんで気をつけてくださ——」
店主の言葉は大通りから聞こえてくる悲鳴に遮られた。
そして、次に聞こえてきたのは、怪物の叫び声だ。それも一つではない。
また獣化が始まったのだ。
その場にいる全員は、そちらに気を取られた。
アーリ以外は、だが。
少女は店主が視線を逸らした瞬間、アーリはタイルを持ち上げた。
地面を掘ってぽっかりと空いた空間の中には、銀色の長方形の物体が入っている。箱だ。きっと中に、強制怪物化薬が入っているはずだ。
「……ちっ、バレてんのかよ」
そう店主が呟いたのをアーリは聞いていた。アーリが振り返ると、彼は気を取られているジェネスやバレント達の脇を抜けるように走り出していた。
バレントは咄嗟にショットガンを向け、男に向けて発砲するが、着ていたエプロンが燃えただけであった。
「止まって!」
アーリはそれに気づいた瞬間、右腕をサーペントに変え、店主の足を絡め取ろうとした。
しかし、伸びていく右腕が届くより早く、彼の体が大きく飛び上がり、屋根の上へと逃げていく。
「ジェネスさん! ここに箱が!」
「……ったく、正解だったか」ジェネスは駆け寄って箱を見た。「アーリはあいつを追ってくれるか? 我々が怪物の相手をする!」
「はい!」
答えるまでもなかった。アーリは頷き、赤髪の男の後を追いかける。
「私も行くぞ、アーリ。お前の速度に付いていけるのは私だけだ」
ループはアーリが駆け出したのと同時に走り出す。
「気を付けろ! 死ぬんじゃないぞ!」
彼女の後ろからバレントの後ろから聞こえてきた。
周囲からは怪物達の叫び声と、街の人々の悲鳴が聞こえる。乾いた銃声が鼓膜を揺らす。 真っ暗な闇の中、屋上を走るアーリとループ。
その前に、赤髪の男が南に向かって、人間とは思えない身のこなしで逃げていく。彼は時折振り返っては、後ろにぴったりと付いてくる二人を見て、忌々しそうな顔をしている。
「あいつもただの人間ではないのだろう?」
「たぶん、ね」
「では、四肢をぶっ壊して動けなくするぞ、敵に手加減をしてられるほど悠長にはできん」
「ちょっと手荒だけど……うん、やるしかないね」
二人は速度を上げ、男を追い立てる。四つ脚で走るループと、怪物の力を使うアーリだ。いくら敵が早くとも、距離が段々と近づいていく。
「来んじゃねぇよ!」
男はスピードでは敵わないと思ったのか、立ち止まって振り返り、格闘家のようなポーズで構えた。かと思うと、両腕の外側から等間隔に三日月のような刃が三本ずつ、皮膚を突き破って飛び出した。
「ループ、気をつけて! まだ何か隠してる武器があるかも」
「ああ、分かった」
ループはそう言うと、毒を分泌させた。
先ほどのうさんくさい笑顔は、どこかに消え、目付きの悪い男がそこにいた。
「ぶっ殺せば、問題ねぇだろが!」
男はイラついた声色で、そう怒声を放つと、アーリとループに向かって突撃してきた。
空中で男は両腕を振り上げ、アーリに飛びかかる。
「アーリ!」
ループの叫びに、アーリは飛び退き、空中でサーペントを振るう。
男の両腕がアーリが立っていた場所を、屋根の一部が弾け飛ぶほどの衝撃で打ち付けるのとほぼ同時、長く伸びる鱗質の右腕は、男の腕に絡みつき、棘を伸ばして皮膚を抉る。真っ暗な闇の中を、照らしあげるように炎がその鱗質から燃え盛る。
「動かないで! 殺したくはないの!」
アーリは心からの声を叫んだ。
怪物を殺すのと、人間を殺すのは違う。狩人であるアーリが、それを一番痛感していた。
「聞いていた通りじゃねぇか!」男は炎を受けても一切顔を歪めない。「だが、俺も炎は得意なんだぜぇ!」
男の皮膚は溶け出さず、むしろ炎が威力を強める。拘束されていない方の腕からも炎が噴き出し、男の両腕は揺らめく紅蓮の炎のグローブを纏った。
「こりゃあ、ルーザールーズってやつだなぁ! おもしれぇじゃん!」
赤髪の男はアーリの蛇状の右腕を自ら巻き取りながら、異常な速度でアーリに接近し、燃え盛る拳と腕から飛び出した刃をアーリに向けて振るう。
アーリは類稀なる敏捷性と、怪物の視力でそれを躱し、相手の左手に巻きつけた蛇の腕で相手の重心を制御する。
接近戦——特に人間との接近戦——はアーリが得意とする事ではない。だが、一方的に相手の動きを制限できるこの状況は、例え力で劣る男相手であっても、少女に取って有利に働く。
男が拳を振り上げれば、右腕を横に引き、相手の力を往なすことで、回避する時間が稼げる。
相手の動きを見て、攻撃に転じる隙を伺うも、相手は通常の人間ではない。動きは人間だが、速度と力が段違いだ。その上、相手の炎と刃の組み合わせは強力で、一撃でも攻撃を喰らえば、致命傷は免れないだろう事は分かる。迂闊に手は出せない。
そして、相手の左腕を制御するスレッジ・サーペントを解除する事はできない。アーリに残されているのは左手のみだ。
アーリは太ももに差したヒートナイフを抜き、一連の流れでスイッチを押す。瞬く間に赤く輝き出し、発熱するそれは、彼女の手元を明るく照らし出した。
「おもしれぇもん持ってんじゃん!」
男はそれを見ても一切身じろぎする事なく、むしろ攻撃の手を早めてくる。大振りになるどころか、打撃は鋭くなっていく。
燃え盛る炎がアーリの長く伸びた髪の毛を一部燃やすが、そんな事を気にしている暇はない。
アーリは相手が拳を引くタイミングに合わせて、相手の左手を大きく下へ振ると、少し前のめりになった男の右腕にナイフを突き刺す。だが、元々は怪物の水晶を抜き出すための短刀だ、男の鋼の体を突き刺すには不十分だった。
「やるじゃねえ——」
ループは男に飛びかかり、足首に噛み付いた。牙が勢いよく皮膚の奥に突き刺さると、人間の脚に噛み付いたとは思えない、金属が牙を受ける甲高い音が響いた。
しかし、白狼は顎の力を緩めず、むしろ力を込めて、男の四肢を内部の構造ごと噛みちぎろうとする。膝に爪を突き立て押し出し、足首は外側へ引くと関節部分がギリギリと音を立て始める。
「ざけんな、クソ犬が!」
男がふくらはぎに一瞬力を入れたかと思うと、腕と同じ刃が飛び出し、炎を纏う。焼け焦げた衣服と焦げ付いたループの毛皮が、鼻を指す匂いを発する。
それでも狼が離す気がないのを見て、男は拳を振り上げた。
「ループ! 離れて!」
アーリが叫んだのと同時に、ばぎりと鈍い音と共に男の右膝から下が外側へと、不自然な角度で折れ曲がった。人間であれば、痛みに悶えるどころの話ではないだろうが、男は一切の痛みを感じているようには見えなかった。
ループはそれを確認し、炎に堪え兼ねたのか牙を離して、男の体を蹴って後ろへ飛び退いた。
彼女の口と手の周りの毛皮が少し炎で焼けているが、それを彼女の体から染み出す毒が鎮火させている。彼女の体から屋上に溢れた緑の液体が、熱されてぼこぼこと泡立っていた。
「……ざっけんな! 俺の大事な足を破壊しやがって! どんな顎の力してんだ!」
男は口では強気にそう言っているが、無様に横へ倒れこんだのは変わらなかった。
左腕は拘束され、右脚は破壊されているため、彼ができるのは左腕を屋根に叩きつけるか、足をばたつかせるくらいだ。無理をすれば右手と左足だけで、這うことはできるだろうが、ここから逃げる事は難しいだろう。
右膝の皮膚は裂け、皮下にあった機械的な関節が丸見えになっている。メルラの膝と同じような構造をしているが、彼の物は夜の闇のように黒く、所々に小さな穴が空いている。そこから炎が噴き出す構造なのだろう、とアーリは思った。
「アーリ、どうする? もう一本の脚も折っておくか?」
ループは低く構えたまま、そう言った。
「……おいおい、脚が一本無くなってる俺が逃げれると思うか? ぜってー無理だろ? どんな化け物だって足がなけりゃあ逃げれねーだろ、狩人さんよー」
「お前には聞いていない、黙っていろ」
ループは淡々とそう言った。
「おー、怖っ! 睡眠不足ですかぁー? 夜はしっかり寝たほうがいいぜー?」
男は圧倒的不利な状況なのにも関わらず、悪態を付く余裕があるのだ。アーリは底知れぬ不安を覚えていた。
彼は捲し立てるように——商売人の性なのだろうか——体が止まっても口だけは動かし続けている。
アーリは未だ炎を放つ右腕にも違和感を覚えていた。観念している人間、もとい改造人間の行動ではないように思える。
しかし、この場で人数的にも、状態的にも圧倒的に有利なのはこちらだ。この状況を
「ループ、このまま引っ張っていこう。近くのも怖い、何かまだ隠してるかもしれな——」
アーリは男の厳しい面が、一瞬緩んだのを見た。そして、背後から氷のように冷たい殺気を感じた。
アーリが振り返ると、ナイフを両手に持った男が、真っ黒な闇の中で高く跳躍していた。
彼は暗闇の中を飛ぶカラスのように美しかった。
決して羽がある訳ではないのだが、両手に三本ずつ持ったナイフが、羽の様に見えたのかもしれない。
もしかすると、闇に浮かび上がる、鋭い二つの黄色い目玉が、そう思わせたのかもしれない。
そんな事はどうでもいい。
少女を殺そうとしていると言う事だけが——。




