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怪物少女と狩人  作者: 遠藤 ボレロ
——怪物化事件—— 第1章
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第三話 異変

 アップルバーガーを食べ終えたアーリとミリナは、三番街を離れて八番街へと遊びに向かった。

 二時頃の陽だまりは、八番街を駆け回る子ども達に降り注いでいる。

「そろそろ授業が終わった頃だし、レーラ、いるかなぁ?」

「あ、あれ、レーラちゃんじゃない?」

 二人が辺りを見回すと、何人かの子供に囲まれたている少女が、木製の校舎の外に出てくるのを見つけた。

「やっほー、レーラ!」

 アーリが手を振りながら近づくと、レーラは小さく手を振り返した。

 彼女は長く綺麗な茶髪を後ろで三つ編みにしている。白いワンピースに、薄手のカーディガンを羽織っていて、いかにもお淑やかな彼女にぴったりの服装だ。

「レーラちゃん、久しぶりー」

「アーリとミリナさん、今日はどうしたの?」

「ちょっとお話したくて! もう授業は終わり?」

「うん、ちょうど終わったところだよ」レーラはこくりと頷いたあと、子供達に言いつける。「先生は行くからね、みんなは遅くならないように帰ろうねー」

 優しい口調だ、流石は先生だなぁとアーリは思った。

「先生、さようならー!」

 言いつけられた子供達も、何一つ嫌な顔をせず散り散りになって行った。

「んじゃ、行こ!」

「うん! 公園でおしゃべりしよ」


 三人はそういうと、近くの公園へ行ってベンチに座り、他愛もない話に興じた。

 先生になって何が大変だとか、子供達がおやつを取り合って喧嘩しちゃっただとか。アーリは最近どんな本を読んで、どんな仕事をこなしたとか。ミリナはこんな失敗をしちゃっただとか、こんな料理が美味しかったとか。本当に他愛もない、身も蓋もない話であった。

 ゆっくりとした静かな午後の時間が、三人の間を流れる。

 アーリはこの時間が好きだった。何をしてもしなくてもいい、思い思いに好きに喋る時間だ。気を使う事もない間柄の二人に囲まれて、時間が流れていくのは、この上ない幸せであった。

 もちろん、バレントとループも話す事ができるが、年齢の近い二人だからこそできる話もある。言いたい事のほとんどを話せてしまえるのだ。


 楽しい時間はすぐ流れていく。空は茜色に染まりはじめ、街行く人々の数も疎らになってきた。

「あ、そろそろ帰らなきゃ。ごめんね、帰ってご飯作らなきゃ」

 そう言って立ち上がったのはレーラだ。

「そっか、ごめんね長くしゃべりすぎちゃった」

「ううん、楽しかったからいいの! じゃあねー」

 レーラはゆっくりと歩き出し、振り返って小さく手を降った。

「ばいばーい」

 アーリとミリナは手を振り返した。

「んじゃ、あたし達も帰ろー。また、晩御飯遅くなっちゃうし」

「うん!」アーリは立ち上がって、走り出した。「二番街まで競争だよー! 負けたほうが、お風呂掃除ー!」

「あ、ちょっと! ずるいよ、アーリちゃん!」

 ミリナは少し後ろを追いかけて行く。


 夕暮れ手前の街はどこか儚くも穏やか。空を流れる茜色の雲はゆっくりだ。何が起ころうと起こらまいと、空はいつもの空を写している。


「え、あ、ミリナさん!」

 アーリが五番街から三番街へ渡る橋に差し掛かったところで、ミリナが彼女を追い越したのだ。

「今日は負けないよー!」

 何時もならばミリナとはほぼ互角の走力なのに、今日の彼女は早いのだ。追い越した上で、さらに距離を引き離していく。昼間、ドリンクを売っていた店の辺りを走りぬけ、ぐんぐんと二人の距離が離れていく。

 アーリがどれだけ脚の回転を早めても、ミリナはどんどんと加速していくようだ。


 二番街の厩舎へ着くと、ミリナは息を切らしながら膝に手を付き、大きく肩を上下させている。

 アーリも全力で走ったため、かなり息が上がっていた。

「は、はやい、ね、ミリナさん」

「う、うん、今日は、あたしの、勝ち!」

 二人はそこで息を少し整えてから、馬に跨って家へと帰る。


 その同じ夜、ジェネスは狭い団長室で、書類作業に追われていた。と言っても山積みになった書類に目を通してサインをするだけだ。昼間の訓練で疲れた体に鞭を打ち、彼は仕事をこなしていく。

 時折、静かな窓の外を眺めては、また書類に目を落とす。


 しばらくそうしていると、廊下から足音が聞こえ、部屋の前で止まった。

「兵団長、定時報告です」

 ジェネスが顔を上げると、部屋の扉がノックされる。

「入れ」

 ジェネスがペンを置いたのとほぼ同時に、扉がゆっくりと開き、一人の兵士が入ってきた。

「報告します。本日も街に異常は見られませんでした。樹海、港、農耕地も同様です。怪物被害なし、窃盗や暴行などもありませんでした」

「そうか」ジェネスは短く返事をすると、少し肩を撫で下ろした。「……例の怪しい人物の目撃情報はないのか?」

「いいえ、ありません! 命令通り、巡回を強化しましたが……特に報告はありません。もちろん、壁上(へきじょう)の兵士達も目を光らせています」

 そう言われると、ジェネスはリストを取り出し、それを捲って軽く目を通した。

「リストによれば、行方不明になった者のほとんどが三番街と六番街で消息を立っている。特に夜間だ。それらを踏まえて警備を強化しろ」

「ハッ!」

 兵士は踵を返し、部屋を出て行った。


 それから数日が経った。平和ないつもと変わらない日常であった。

 今日はアーリ、バレント、ミリナとループは、四人でゆっくりと休日を過ごす為に、三番街を訪れていた。いつも通りガーレルの店で食事を終え、食材を買い込む事にした。

「あ、そうだ!」先頭を歩いていたミリナがくるりと振り返る。「美味しい飲み物があるんですよ! 星空のソーダっていうんですけど、飲みに行きませんか?」

「なんだそれは……甘い飲み物か?」

 ループは首を傾げた。あまり興味は引かれていないように見える。

 バレントはぼんやりと話を聞いていた。

「うーん、結構甘いかも……ループもバレントも苦手かなぁ」

「えー、美味しいのにー」

 ミリナは残念そうに肩を落とした。

「飲みたいなら二人で行ってこい、俺はコーヒーを飲みに行く」

「私はバレントについて行こう」

「ああ、また後で合流しよう、この辺りでいいな」

 バレントとループはそう言うと、人混みの中に消えて行ってしまった。

「行こ、アーリちゃん!」

「あ、うん」

 ミリナはそう言うと、アーリを引っ張って行く。

 そんなに美味しかったかなぁと三番街の雑踏を歩きながらアーリは思った。だが、ミリナは美味しい物には目がないし、そうなのだろう。

 

 ドリンク屋に向かっている最中、路地に少し入ったところで、壁に手をついて苦しそうにしている人がいるのをアーリは見かけた。

 なんだか気になり、アーリはその場で足を止める。

 前を歩いていたミリナはそれに気づいて、アーリに声をかける。

「どうしたの?」

「ね、ねえ、ミリナさん。あの人……なんだか苦しそう、大丈夫かな?」

 アーリは考える間も無く、雑踏を掻き分けて、裏路地に近づいた。


 薄暗い路地の中で、男はうーっと低く唸りながら、腹を押さえている。空いた手を壁に付き、下を向いている。

「あの……大丈夫ですか? 苦しいなら——」

 声をかけられた男はより一層、低く大きく唸りはじめ、終いには崩れ落ちる様に地面に座り込んでしまった。

 アーリとミリナの後ろで、唸り声に気づいたのか数名が同じく心配そうな顔で覗き込んでいる。

 そして、何人かは兵士を呼びに行った。

「あ、あの……」アーリはゆっくりと男に近づいた。「体調が悪いん——」

 彼女の言葉を遮るように、男の唸り声が金切り声になり、路地や周囲に響き渡った。かと思うと、男は急にアーリ、ミリナ、そして後ろの通行人達の方を見た。

「えっ……」

 アーリは男の顔を見て、そう声を漏らした。

 彼の目玉は明らかに異常だった。赤く血走っていて、目つきが鋭い。そして彼は睨みつけるように前方の空間を見ているのだが、明らかに焦点が合っていない。口元からは涎を垂らし、顎には必要以上に力が入っている。

 先ほどまで腹を押さえていた彼はどこにもおらず、手にはかなり力が入っているようだ。力なく地面に崩れ落ちていたはずだが、今は——。

 アーリがそこまで考えた時に、彼女の体は横へ引っ張られた。

「危ない!」

 ミリナは何かを感じ取った様に、アーリの手を引き路地に寄せたのだ。

 アーリが避けた瞬間、苦しがっていた男はそのぽっかりと空いた虚空に向かって飛びかかっていた。いや、正確にはその後ろにいた通行人に、だ。

 アーリが何か言うまでもなく、飛びかかられた中年の男が、なんとか抵抗しながら悲鳴をあげた。

「ど、どうしちゃったんですか」

 呼びかけにも答えず、暴れ出した男は自分の下に居る人の首を締めようとしている。

 事態を理解する前に、もう一つの異常を少女は発見してしまった。男の顔が(いびつ)に変形し、少しずつだが毛深くなっていくのだ。それに従い、目付きが鋭くなっていき、口周りも通常の人間の物ではなくなり、犬の様な、端的に言えばループに近い形になっていく。かと思うとその変化は全身に波及し、ひ弱そうに見えた腕や脚が、毛深くそして太くなっていく。

 それどころか身長まで伸び、二メートル近い巨大な四本足の怪物へと成り果てた。その姿を上手い言葉で例えるならば、狼人間とでも呼べるだろう。

「た、助けて——」

 下敷きになっていた男が叫ぼうとした瞬間、怪物は大きく口を開けて、鋭い牙を喉笛に突き立てたのだ。犬の様になった口元には、赤い血がべったりと付き、白い牙は真っ赤に染まっている。

 レンガの溝をなぞる様に、噛まれた男の血が流れていく。


 それを見た通行人達はどよめき、そして次の瞬間には、叫びながらその場から走り出してしまう。

「か、怪物だあああ! 怪物がでたぞ!」

「だ、誰か兵士を呼べ!」

 先ほどまで活気が溢れていた三番街は、一瞬にして狂気に包まれ、悲鳴の渦が巻き起こる。

 そしてそれをかき消すように、怪物は天へと叫び声をあげた。

 

 目の前で人間が怪物に変わってしまうという事態に、数年前の記憶が呼び起こされ、アーリの手足に力が入らなくなる。唇は震え、指は勝手に小刻みに痙攣する。足が竦み、今にも逃げろと言わんばかりだ。

「あ、アーリちゃん! 離れないと」

 ミリナも怯えているのだろうが、勇気を振り絞ってアーリを引っ張っていこうとするのだが、アーリはその場から動けない。

 いや、逃げたくなかったのかもしれない。少女に宿る力が逃げるなと言わんばかりに、右腕がドクドクと脈を打つ。なんとかしなければ。あの人を止めないと、もっといろんな人が危ない。自分ができることで、街の平和を守れるならば——。

「……ダメだよ! 私が止める!」アーリは立ち上がって、右手を握り込む。「スレッジ・サーペント!」

 手から逆流した力が、彼女の右腕を飲み込んでいき、みるみるうちに蛇の様になった。地面へだらりと垂れるほど長い鱗質の右腕の先には、黒く硬い岩の様なハンマーが付いている。

「その人を離して!」

 少女がブンと腕を振るうと、怪物に成り果てた男の頭に、ハンマーが打ち付けられる。衝撃でその怪物が一瞬ひるんだ。下敷きになって噛みつかれて、アーリに向けられた。かと思うと、男だった物は大きく口を開き、野太い声でアーリに吠える。

「あ、アーリちゃん……ど、どうするの⁉️ も、元は人なんだよ……!」

「分かんない! だけど拘束すればなんとか戻せるかも!」

 怪物は噛み付いていた男の体を捨てて、攻撃を加えてきたアーリに飛びかかってくる。

 少女はもう一度腕を振るうと、鞭の様になった右腕が見えなくなるほど加速し、鈍い音を立てて怪物の顔面を打ち付けた。

 怪物がほんの一瞬怯み、そして視線を逸らし、動きが止まる。

「これで!」アーリはもう一度右腕を振り抜く。「どうにか!」

 先端のハンマーが怪物の首に巻きつき、ぐるぐると首輪の様に締め上げた。アーリがそのまま右腕を引くと、怪物がバランスを崩して、ずるりとレンガの地面を転倒した。頭を強く打ち付けたからか、そこで少し動かなくなっている。


「か、怪物め! 俺の手柄にしてやる!」

 異常を聞き、近寄ってきていた兵士達が怪物に成った男を取り囲み、剣を抜いた。

「へ、兵士さん! ちょっと待って!」アーリは慌てて叫んだ。「こ、この人は元々人間なの! 拘束するだけにして」

「どういうことだ⁈」

「いいから早く! 捕獲して!」

 アーリは必死の形相で叫んだ。

 兵士達は気圧された様に、道端に落ちていたどこかの店のロープを拾い上げ、狼人間の手や足をきつく縛りあげた。

 

 アーリはそれを見届け、ふうと肩の力を抜いた。そうすると怪物の首に絡まっていたスレッジ・サーペントの拘束がするすると解けて、元の綺麗な右腕に戻った。

「はぁ……よかった」

「かっこよかったね! アーリちゃん!」

 混乱を収めたことに安堵するアーリとミリナに、一人の兵士が駆け寄ってきた。

「アーリ・レンクラーさん! ご協力感謝します!」彼はそうはっきりと言うと、深々と頭を下げた。「聞きたいのですが……一体何が、起きたんですか?」

「その人がそこで、お腹が痛そうにしてて」アーリは路地を指差した。「近寄ってみたら、暴れちゃって、そしたらあんな姿に……」

「なるほど、ありがとうございます。兵団長にご報告させて頂き、後に呼び出しがあるかもしれませんが……今は我々にお任せください!」

「分かりました、それでは——」


 アーリがその場所を離れようとしたその時だった。

 甲高い女性の悲鳴が聞こえてきたのだ。それに続き、通行人達がこちらに向かって慌てる様に逃げてきたのだ。

 落ち着き始めた少女の心が、今一度ざわめく。

 行かなければ。

「アーリちゃん!」

 少女は既に走り出していた。 


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