第二十五話 三体目
「起きろ、アーリ、ミリナ」
「……んー」
「なー、なんすか、師匠」
声量を絞ったループの声に、ベッドで眠っていたアーリとミリナが目を冷ます。周囲はしんと肌寒く、日はまだ登っておらず、辺りはまだ暗闇に包まれている。
気がつくとベッドの脇に置かれている本棚が小刻みに揺れているのがわかった。ピリピリと大気全体が震えている。
重たい物が砂を踏みしめ、移動しているガシャガシャという音。
寝起きのぼんやりとしている頭にも、何が起きているのか、そしてなぜループが彼女達を起こしたのか分かった。
「……例の改造された怪物だ。間違いない、二番街と同じような匂いがする」
「い、行きますか、倒しに」
「うん、また街に行っちゃうかもしれない」
「いやダメだ……止めておこう。近くに怪物達の巣があるかもしれないだろう? 戦闘中に別の怪物に乱入でもされたら、幾ら私達でも対応できない」ループは近づいてくる足音に注意を向けた。「だが、怪物がこちらに来るかもしれない。その時は……最悪、戦闘になるぞ、準備だけはしておけ」
「分かった。出来るだけ静かにね」
彼女達は寝起きの頭をなんとか働かせ、戦闘の準備を整えた。
金髪の少女の左手には銀色の腕甲、右手にはライフル、太ももにはナイフがホルダーに差さっている。
ミリナはコートの胸ポケットに弾丸を詰め込み、アーリと同じようにナイフとライフルを身につけた。
「行きましょう、師匠」
「準備、できたよ」
「よし、あいつの動向を伺いに行く。見て取れる情報は集めておきたいからな。ただし、あまり近づかないように遠くからだ。分かったな?」
「うん、今度は一人で勝手な事、しない」
「大丈夫です、今度はあたしがアーリちゃんを抑えますから」
釘を刺されたアーリは大きく頷いた。
ループもミリナさんもバレントも誰も失いたくないから。
「行くぞ」
彼女達はその家を後にし、静かに素早く、怪物の近くに移動する。
砂の上を歩くと、小さい粒が擦れ合う音が鳴る。体重で地面が沈み込み、走りづらい。
地響きはどんどんと近くなってくる。ループの鼻が確実にその物の現在地点を捉えている。
「どうやら、昼間に進んでいた道を逆方向から進行してきてるらしい。家のどれか一つに身を隠して様子を伺うぞ」
そういうとループは静かに駆け出し、壁のみが残った家の残骸へ身を隠す。アーリ達もその後ろを付いていき、その中へ入った。
怪物の通るはずの道はこの家がある場所から二軒先だが、それらも破壊されているために壁から頭を出せば怪物の姿は見れるはずだ。
誰も何も言わずとも、静かにしなければいけない事は分かった。
近づいてくる機械の駆動音とそれによって振動する足元の砂粒。
少女の手のひらがじんわりと湿り始めた頃、絵の具を塗りたくったように真っ黒だった空の色が、少しずつ橙色を帯び始める。
「……来るぞ」
ループが小声でそう言うと、怪物の駆動音が最高潮に達する。
視界が左から真っ黒に染まっていく。かと思うと、真っ赤な光を放つ円がゆっくりと小さく上下しながら彼女達の前を横切る。黄色いぼこぼことした鱗質、ゴツゴツとした鎧のような甲羅、丸太を踏み潰せそうなほど太い足が続き、短い尻尾が最後に通り過ぎた。
「ギガントータスか……」
「流石に倒すのは厳しいですよね」
何も知らない人間がギガントータスを見つけると、山が動いているのかと見紛うほどの巨躯を有する亀の怪物だ。
その巨体ゆえか動きは決して機敏ではなく、明確な武器も持たないギガントータス。だが、体の殆どを覆う甲羅とその巨大な体は他の怪物を戦わずして退けるのには十分であった。
基本的に気性は穏やかで、人間に危害を加えたり、街を襲撃するなどの事件も少ない。そのため、狩人達も例え見つけても駆除する事は少ないのだ。だからといって、簡単に駆除できる訳ではないのだが。
我が物顔で砂の道を進み、山の中を通る洞窟を目指している。
例の二体に漏れず、怪物の四肢と頭部は鉄の装甲に覆われている。
怪物は見られていることなど微塵も気付かないで、遠くの方へと歩いていく。その背中を見届ける彼女達。
張り詰めていた緊張の糸が切れ、手にかいていた汗も引いてくる。
「おっきい怪物だね」
「うん、本で読んだけど、見るのは初めて」アーリはもう遠のき始めている巨大な亀を見送った。「……でも、あれが街に行ったら……倒せるのかな。普通のより力が強いし、防護壁だって——」
「大丈夫だ、街にはロッドやジェネス、それにたくさんの兵達がいるんだ。あんなの一匹どうって事ないはずだろう?」
「そうだよ、エイプロスはともかく、ギガントータスなら動きも遅いしどうにかなるって」
「……うん」
「お前がエイプロスを倒して稼いだ時間で、武器も兵力も整えているはずだ。ギガントータス一匹で壊滅する街は、あそこまで大きく成長していない、だろう?」
「そうだよ、アーリちゃん。あたし達の役割は街の安全を気にする事じゃなくて、バレントさん、師匠や他のハンターさん達を探す事だよ!」
アーリは少し悩んでいたが、コクリと大きく頷いた。
「うん、ロッドさんもジェネスさんも街のみんなも信じる」
「とにかく、あの怪物が来た方向に城があるんだ、確実に何か関係がある。バレントもナーディオもそこにいるはずだ」
「うん」
アーリ達は一旦家に鞄と馬を取りに戻る。
一晩しか泊まっていないのに、どこか安心感のある家。
少女が机の上に置かれた鞄を背負うと、なんだか少しだけ軽い気がした。
「……行ってきます、お母さん」
少女は家の前で振り返り、小さな声で言う。
勿論そこに母はいないのだが、少女にはなぜか母親が手を降っているように思えた。
池のほとりに止めていたオクトホースの背中を撫で、餌の人参を与える。
「行くよ、ルズ。もう一踏ん張り、よろしくね」
愛馬のルズは任せろと言わんばかりに、ブルブルと唇を振るった。
馬に跨り、彼女達は城を目指す。
砂の街を見下ろす城が、東の空の紺と橙が重なる朝焼けの中に、その輪郭を浮かび上がらせている。




