第十七話 樹海の怪物 その2
怪物は痺れの残る体を、なんとか動かして左脚に噛み付く白狼を殴りつけようと拳を振り上げる。拳が殴りつけた先にループはいない。彼女はすでに飛び降り、怪物から距離を取っていた。
金属同士がぶつかり合う甲高く、それでいて鈍い音が森の中に響く。
指は歪な角度に曲がり、ひしゃげた脚の金属装甲の隙間からは関節を守る赤黒い人工筋肉とケーブル類が見えている。
それでもエイプロスはその拳を振り回そうと、胸や肩周りの筋肉に力を込めた。
「よっしゃああ!」
「まだだ、油断するな!」ループは叫ぶ。「怪物はまだ生きている!」
「分かってる!」アーリは銃を置き、前へと飛び出した。「ロッドさん、使わせてもらうよ」
彼女の右腕に装着された腕甲から三本の爪が飛び出す。赤いクリスタルを押し込むと、銀色の腕甲に掘られた溝の中を水晶から出た炎のエネルギーが流れていく。岩肌を流れる溶岩の様な赤と黄色の混じり合った光。それらは全ては三本の鋭い爪へと流れ込み、真っ赤になるほど発熱させる。空気を焦がし、白い煙が立ち上る。
アーリは地面を蹴って飛ぶ。そこに一抹の迷いも不安もない。
「ツリー・サーペネイド!」
彼女の右腕は赤いトゲトゲとした鱗に覆われ、指のそれぞれが爬虫類のような太く丸々とした形状へと変化する。手のひらは段々に連なった、柔らかい素材になっている。
ツリー・サーペネイドは端的に言えば蛇にヤモリの様な手足が生えた生物だ。樹上に早く駆け上がる為に、蛇がヤモリを食べて四肢を生やしたという説が挙げられている。
人間の爪大の赤紫色鱗、鋭い龍の様な眼光と鋭い牙。まるでおとぎ話に出てくるドラゴンの様な見た目の所から、別名リトル・ファイアドレイク・スネークとも呼ばれるその個体だが、禍々しい見た目とは裏腹に毒もなく温厚な性格で焼いて食べれば鳥の肉の様であるため、三番街にも時折並ぶ大切な食料になっている。
怪物の立てた右膝へ飛び込み、鉄板に手のひらを貼り付ける。怪物が体を揺らそうがぺったりと張り付いた少女の右腕は離れない。
「これで!」
熱を纏った爪はシューシューと音を立て、怪物の膝の裏側、金属と金属の隙間に見える筋繊維へと沈み込んでいく。
幾ら怪物が強化されているとは言え、柔らかく動くための関節は脆い。太く逞しい筋繊維は熱を受けて、ロウのようにドロドロと溶け出し、金属プレートの溝を流れていく。ギリギリと鉄の擦れる音と共に怪物の体が、地面に吸い込まれる様に前のめりに倒れ込んでいく。
怪物が邪魔者を振り払おうと振り上げた拳。そこに撃ち込まれる一発の弾丸は手首にできた繋ぎ目にめり込んでいく。
内側で起きた爆発に怪物の拳がぐらりと揺れる。
「っしゃ!」
溶け出した人工筋肉が地面に滴り落ちる頃には怪物の体は四十五度程まで傾いている。ギシギシと耳障りの悪い金属が擦れる音と、怪物の目の前にあった木が重みでミシミシと折れていく音。
「離れろ、アーリ!」
「うん! スレッジ・サーペント!」
アーリは倒れ行く怪物の脚を蹴りとばし、蛇の様に変化させた腕を木に巻きつけた。ぶらりと体を空中で揺らし、地面へ軽やかに着地する。
怪物は彼女の背後で聞いたこともない程の地響きを立てて、地面に頭を打ち付けた。その衝撃からか、怪物の目に僅かながら残されていた命の灯火が消えた。そしてそれ以上、その機械生命体が動くことはなかった。
「やったぜ! ループさん、アーリちゃん、かっこよかった!」
「ふっ……アーリが飛び出した時はどうなるかと思ったがな」
騒めいていた樹海の木々は怪物が動かなくなるのと同時に、元通りの静けさを取り戻した。怖いほどの静寂でもあった。
少女の体をピリピリと駆け回っていたアドレナリンは、森の静かさと共に落ち着き始めた。怪物の攻撃を受け止めた時の痛みが体や右腕にじんじんと走っている。
しかし、そんな事は気にしている暇はなかった。彼女は自分のわがままで勝手な行動でミリナとループを振り回してしまった事を後悔し始めた。
「ご、ごめんなさい!」アーリは深々と頭を下げた。「自分勝手に行動しちゃって……」
「謝る事などないよー。アーりちゃんが無事だったし、怪物を食い止められたし! 私も役に立つとこ見せられたでしょ?」
「ああ、結果的に街を襲っていたであろう怪物を食い止めたんだ。お前はお前にしかできない事をしたんだ。私はアーリを誇りに思う」
ループの言葉に、アーリは動いてよかったと思えた。
「うん、ありがとう、ループ、ミリナさん」
「……まぁまだ判断は突飛すぎるし、一人で走り出すのはどうかと思うがな」ループは野営地の方へと歩いていく。「戻るぞ、あの怪物を調べるのは明日の朝にしよう」
「さ、いこ! あたし、お腹空いちゃった!」
「……さっき食ったばかりだろうが」
「えー、あ、これ、食べれるやつだ」
ミリナは脇道に生えていた野草をもぎ取り、そのまま口に放り込んだ。
「……ったく」
ちぐはぐな二人の会話をアーリは笑いながら聞いていた。
彼女達はその夜、野営地に戻って死んだ様に眠った。移動と戦闘を経て、疲弊しきった体には簡易的な野営ベッドでさえ、極楽の様に思えた。
しかし、アーリはしばらく眠りに付くことができなかった。それは樹海の騒めきのせいでも、隣でいびきをかいているミリナのせいでも、はたまた戦いの痛みのせいでもなかった。
彼女はベッドの上でうつ伏せになって、一人静かに揺れる焚き火のしばらく見つめながら、いなくなったバレントの事や街に残された友達の事を考えていた。
どこに行ってしまったのか。もしかしたら、本当にあの怪物にやられてしまったのか。いや、自分達が三人がかりでどうにかできたのであれば、腕利きハンターが数人集まれば余裕で倒せるはずだ。でももしかしたら、あれが数匹、いや数十匹現れていたなら……もしかするのかもしれない。そもそもあの怪物はどこから、誰の手によって——。
レーラやカルネにまた会えるのだろうか、自分達は街に戻れるのだろうか。
街と家族と友達と怪物。これらは私の知らないところでどう繋がっているのか。
ふと意識を向けると、首にぶら下げた素朴なネックレスが柔らかい温かみを放っている。少女はなにか不思議な、吸い込まれるようなその温かみだけを意識し始めると、いつしか意識を手放していた。




