第八話 金属塊
「ヨウゼツさん、聞こえますか」黒い箱から銀色の線が伸びる通信機にアーリは話しかける。もちろん、声を殺しながらだ。
「アーリちゃんか、さっきのうるせえ音はなんだ?」少しかすれた初老のぶっきらぼうな声が返ってくる。
「敵が廃工場の機械を壊したんです」アーリは端的に情報を伝えた。「きっと通路を通り抜けて三番出口に行くのは止めた方がいいです」
「意外と早かったな。しっかし、ここから出ようとすんなら……確実に数人は死ぬだろうな。外には敵がうじゃうじゃいやがる」表情こそ見えなかったが、声色から彼が目を細めて忌々しそうに通路を睨んでいる姿が浮かぶ。
「分かりました、なんとか私が反対側に敵を誘導してみます! 上手くいったら、そのまま中央を通って三番へ!」
「了解だ、こっちはそれまで耐え抜いてみせる……任せたぜ」
その言葉にアーリは今まで胸につかえていた重苦しい感覚が、すーっと取れたような気がした。贅沢な悩みであるのだろうが、力を持っているだけで特別な扱いをされ、自由に行動できない状況が猛獣を括りつける首輪のように感じられていた。重苦しく、そして自分では外すことの出来ない枷だ。
アーリはその枷を嵌められ目の前で自分の大切な人達が傷ついた経験が、そしてアーリの中に潜む善良な心を持つ怪物がその首輪を解き放てと唸り声を上げ続けていた。
女であることも、特別な力を持っている事も一切関係ない。自分の意志で守りたい人間を自分が出来る最大限の力で救う事が彼女の正義であり、信念でもあり、そしてアーリを突き動かしているものであった。
黒い煙を切り裂き、突き破り、開け広げ、アーリは通路をひた走る。通路の両脇の扉があけ放たれているのはきっとバイスがしたことだろう。煙の充満を少しでも
敵の二人は階段を降り、三つに分かれる通路の辺りへ差し掛かったところだ。身体が左右へ動いており、どこの通路に進めばいいのか探っている様子がぼんやりと風の流れで分かる。どうやらアーリの位置までを見通せる視力は、少なくとも彼らの機械の目にはないらしい。
「まだ気付かれてない、それなら……」アーリは敵から百メートルほど離れた場所で膝を付き、ヨウゼツから受け取ったライフルを構える。「まずはこっちに寄せないと」
電源を入れるとネオンブルーの光が銃に宿る。敵までの一直線に続く通路、そして視覚外からの攻撃。これ以上にこの武器が役に立つ状況はないだろう。
引き金に指をかけると、一層その光が強さを増す。この銃もまた圧倒的な力を使わせろと叫んでいるのだ。敵を貫き、敵を撃ち崩すその力をその銃身に集め、放たせろと言わんばかりの輝きを見せている。光が強くなっていくたびに、アーリの背骨を走る緊張感が重苦しくなっていく。
アーリは照準器を覗きこむ。見たこともない形のアイアンサイトだが原理は一緒だろう。形は違えど、これも銃だ。
「……いいかアーリ、呼吸は静かにゆっくりだ。引き金を引くまで目を瞑るんじゃないぞ」
バレントに教わった事が脳裏を過り、ふっと息を吐き出し、肺の中を空っぽに限りなく近づける。感覚を鋭く前方へ尖らせ、敵の動きが止まる瞬間を狙うのだ。
黒煙の中に浮かび上がる真っ黒な人影。丸みを帯び、それでいて角ばった歪な輪郭。そして撃ってこいと言わんばかりの図体。
引き金を引いた瞬間、アーリは目を瞑る。空よりも海よりも青く、太陽よりも眩い光が銃口から放たれ、目の前の分厚い黒のベールを貫いた。
不思議と普通の銃のような衝撃はなく、銃口が跳ね上がることもなかった。
「……すごい」アーリは思わず感嘆の声を漏らした。
ネオンブルーの弾を放つ銃の性能はそこに留まらなかった。百メートル先にいる敵に着弾したのは言わずもがな、アーリが狙った場所を正確に——寸分の狂いもなく撃ち抜いた。そればかりか、相手が咄嗟に防御する程の威力を持っていた。通常の弾丸なら簡単にはじき返すほどの装甲を身に纏っているだろうにも関わらずだ。
「……これなら戦える」アーリは確信を口に出す。この武器があれば人智を超えた体組織を持つ敵とでさえ、平等かもしくはそれ以上に渡り合えるのだと。
だが、攻撃を受けて敵も黙っているはずはなかった。
「ァアアァアア!」
通路の奥から言葉でも無かった。あえて言葉で表すのであれば振動だ。大気をピリピリと振るわせる重低音に、金属そのものが震えることで生み出される甲高い音が入り混じり、聞くにも堪えがたい不協和音を生み出していた。
ぴしりという地面が割れるごく小さな音がアーリの耳に届いた。その瞬間、地面が胎動を始めたのかと思うほどの地響きが、尋常ならざる速度で近づいてきた。
一秒と経たずにそれは二十メートルを移動していた。動き出そうと一歩前に踏み出したときには、目の前に真っ黒な壁が押し寄せてきているのをアーリの感覚が捉えていた。
このままでは衝突してしまう。
アーリの第六感が死を連想させる単語を羅列し始める。圧迫、出血、痛み、衝突、挽肉。そのどれもが脳裏を駆けまわり、自分の身体を締め付けてくるようだった。
しかし、アーリの右腕に宿る力は、彼女の心の奥底に残っていた対抗するという意志に呼応し、それら全ての消極的な死を抹消する光を放つ。彼女の身体はふわりと浮かび上がり、一番近い部屋へとその身を飛びこませる。
「ブチコロスゥゥ!」アーリが部屋に入って数秒後、巨大な鉄くずのような身体を持つ男が叫びながらその前を通り過ぎた。
狭い通路をギリギリ通れるほどの巨体が突進し、肩から生える巨大な棘は廊下の壁を抉り取って破片をばら撒いていく。巨体を蹴り出す脚の一歩一歩がまるで火山の噴火のように重たく激しかった。
思わず息を飲んでしまいそうになるほどの重量感と、それを常人以上の速度で走らせる脚部には、アーリは人知れず身震いをしてしまう。
だが、ここで留まっていられない。
「こっちよ! 歩く金属さん!」アーリは退避していた部屋から脱兎のごとく飛び出した。
「アァ……?」惚けたような、それでいて苛立ちの混じる声を発し、鉄の塊は振り返る。
アーリが手にしたライフルの銃口は、イゲールの、脚部に向けられていた。いくら防御力があるとはいえ、脚部の関節を少しでも変形させられれば機動力が落ちるはずだ。
引き金を思い切り引き切ると、青い閃光が銃口から飛び出す。