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怪物少女と狩人  作者: 遠藤 ボレロ
——北を目指して—— 第3章
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第三十六話 遭遇 第4部 前編 最終話

 その朝、バレントは早朝に目覚めて狩りに出た。

 雨期を過ぎて気温が上がり始め、怪物達の動きも活発化してきた。そのため、この一週間はほぼ毎日狩猟に明け暮れている。


 ムムジカやボア、そしてそれらを捕食するベア達が生息する北の山の麓が、今日の——そして過去一週間の狩場であった。

 ループにバカにされるため言葉には一切しなかったが、バレントはアーリとミリナの帰りを何より待ち侘びていた。娘同然の彼女達がいつか地平の向こうから帰ってくるのではないか、というそわそわとした期待、そして傷ついた彼女達が倒れているのではないかという心配が心の奥にいつもあった。


 日が昇る前に家を出たのだが、目的地まで十分ほどのところで日が登り始めた。オクトホースが蹄鉄を鳴らすたびに、黒一色に染まっていた空が東から少しずつ白っぽい橙色に侵食されていく。

 同時に足元を覆い尽くす緑色の芝生や、地面に転がる木の実や名も知らぬ花がその輪郭を徐々に表していく。


 自然が織りなす美しいグラデーション。だが、彼にとってはいつもの見慣れた光景だ。

 大きな木が聳え立つ拓けた場所で馬を止めたバレントは、ため息混じりにふぅと息を吐く。家を出る前に飲んだコーヒーの香ばしく苦味を含んだ呼気が、外の涼しい空気と混じり合う。

「お前は利口だな」バレントは愛馬の鼻先を撫でた。

 オクトホースは言語こそ持たぬが、怪物の中でも一二を争うほど賢い。バレントの悲哀に満ちた口調を感じ取ったのか、励ますように鼻先をバレントに突き出し、ブルブルと小さく震わせた。


 慣れた手付きで道具を確認し、森の奥へと歩いていく。

 遠くの方からオスのミツメカッコウの鳴き声——仲間に警告を知らせるための甲高く断続的な鳴き声が聞こえる。

 きっとそこに鳥類を捕食する怪物がいるのだろうとバレントは推測した。カッコウが止まるほど高い木に登る捕食者で、この近くに生息しているのはツリーキャットか大きなエレパーベアだろう。

「ベアであってくれよ」バレントは静かに呟いた。


 そこから二十分ほど、足音を殺しながら、風向きを確かめながら森の中を歩く。

「あれだな」バレントは静かにライフルを構えた。

 アイアンサイトが覗き込む数百メートルの先には、巨大な茶色の毛玉が木の上に登ろうとしているのが見える。

 

 ふっと息を吐き出して息を止め、照準の揺れを抑える。

 怪物が木を登ろうと鋭い鉤爪を幹に突き立てている。後ろ足で立ち上がり、木に抱きついているような形だ。


 怪物だとて苦しまないように教えられている。

 バレントは怪物の左腕に銃口を向け、静かにライフルの引き金を引いた。

 火薬の乾いた破裂音が野山に響き渡り、それに驚いたミツメカッコウ達が空へと飛んでいく。バサバサと飛び立つ鳥達の羽音が続き、エレパーベアが地面にどさりと倒れこむ。


 バレントは紫煙立ち上るライフルを背負い、駆け足で近づく。

「しっかり上腕に入ったな」バレントは怪物の腕を眺めた。

 青い芝生の上で象のような鼻を持つ大きな熊は、静かに呼吸をしていて、自分の最後を覚悟していた。

 手を合わせて自然に感謝し、ナイフでクリスタルを抉り、動脈を切って血を抜く。斜面を伝ってどろりとした怪物の血が流れ落ちていく。

 バレントは赤い小川の行き着く先を目で追った。そして、その先の木の裏から何か黒くつやつやとしたものがはみ出しているのを発見した。

 一見すれば木の実が落ちているように見えるが、それはバレントの目の前でじりじりと動いている。

 間違いない、何者かの靴の先が見えている。

「誰だ?」バレントは威嚇混じりに声をかけながら、背中に背負ったショットガンに手をかけた。「出てこい、何かしたら構わず——」

 バレントは思わず声を詰まらせた。

 木の裏から出てきたのは黒髪の少女であったのだ。大体四歳ぐらいだろうかという幼い顔は、畏怖の感情を浮かべている。

 顔立ちや目の色、髪の色こそ違えど、バレントはアーリと初めてあった雨の日の事を思い出し、目の前にいる少女と十数年前の自分の娘の姿を重ね合わせた。

「子供か……」バレントは握っていたナイフを下ろす。「どこの子だ? 迷ったのか? なんでこんな場所に」

 少女は自分の足元に流れてくる赤い液体とバレントの顔を交互に見やるだけだった。怯えた表情は変わらないが、その場から逃げる事もしないのだから、何かしてほしい事があるのか、それとも興味があるのかもしれない。

「……アーリとは違った反応だな」

 バレントはどうにも居た堪れず、首の後ろを引っ掻いた。

 彼女の視線を受けていると、なんだか悪い事をしているような気分になってくる。数千回としてきた事のはずなのだが、少女の純粋な眼差しがそう思わせるのかもしれない。

「家族はいるのか?」なるべく穏やかな声色を作って聞く。

「……いる」少女は数秒静かに見つめ返すだけだったが、ゆっくりと大きく頷いた。

 その時、少女の腹がぎゅるぎゅると嵐ほどの音を立てた。幼いなりに、バレントが仕留めた獲物が食物だと認識しているのだろうか。

 彼女は驚き、恥ずかしそうに腹を撫でている。

「お腹の方がおしゃべりなんだな」バレントは小さく笑ったあと、そう言った。「腹、減ってるのか?」

 少女はコクリと頷くだけだ。

「案内してくれるか、家族の所に」


 バレントは馬に獲物をくくりつけて運ばせ、少女と共に彼女の家族の元へと向かう。

 少女はバレントと馬を挟んで反対側を歩いている。嫌われているようではないが、かなり警戒はされているのだろう、とバレントは納得した。幼い女の子の扱いは、アーリと妹のメルラの世話で慣れているはずだったのだが、やはり子供によって個性があるのだなと理解した。

 少女は黙々と斜面の上の方に登っていく。小さな一歩一歩を見ていると、本当にアーリが小さかった頃の事が思い出される。


「あそこだよ」

 斜面を登り切ろうとする所で、少女は前方を指差した。指の先、木々の切れ間の先、五十メートルほどの所には、数十の人影が見える。

 バレントは眉を潜め、彼らの様子を探る。この場所で夜を明かしたのだろうか、焚き火の後が白っぽい煙を吐き出している。警戒をしているのが見て取れる。

「俺が行くと驚かせるかもしれない、誰か呼んできてくれるか?」バレントは少女の前にしゃがみこむ。

 不用意に警戒させないというのも理由の一つであったが、何より彼らが敵だったとき、一人であれば対応が出来るという魂胆からであった。

 少女はこくりと頷き、足早に仲間の方へと駆けて行った。

 

 数秒様子を伺っていると、少女に気が付いたのか、彼らが騒がしくなった。

 そして、一分と経たない内に一人の男が、少女に引き連れられてこちらに歩いてきた。

「娘を連れてきてくれたのはあんたか?」男は銃を持っていたが、それを構えずに言った。

 男はバレントよりも長く髭を伸ばし、ほつれた衣服を身に纏っていた。かなり長い間外の世界を彷徨っている事は、地面に生えている植物くらい明らかだ。

「森の中で一人、突っ立っていた」バレントは腕を組んで言う。

「この子はかなり自由奔放で、こっちも困って——」

「それはいいんだが、一つだけ聞かせてくれ」バレントは静かに冷淡に聞いた。「あんたらはどこから来た? 街の人間じゃない事は顔立ちを見ればわかる」

「南の街の人間か……警戒するのは分かる」男は胸元に手をつっこみ、一枚の紙を取り出し、バレントに差し出した。「これでわかってくれるか。俺らはメトラ・シティから逃げてきたんだ。その途中でアーリとミリナっていうこの辺りからきた奴らに出会ったんだ」

「アーリとミリナに、会ったのか?」

「いい子達だった、俺らに塩を分けてくれたんだ。最初はお前のように警戒して銃を向けちまったが……それはお互い様というか、分かるだろ」


 バレントはその手紙に目を落とす。

 確実にアーリの筆跡であり、アーリに買ってやった手帳の切れ端だった。

「彼らを迎え入れるように、か……」バレントは手紙に向けてと文字を書いたアーリに向けて呟いた。「俺は人間をあまり信じない方だ。あまりいい思いはしてこなかったからな」

 男は静かに娘を下がらせた。警戒しているのだろう。

「だが、自分の家族は絶対に信じる」バレントは手紙を返す。「こいつはさっき取れたばかりのエレパーベアだ、きっと全員分振舞ってもあまりがある。その娘もお腹が空いているようだ、飯を食いながら話を聞こう」

「そ、それはありがたい。俺はレイゴ、こっちはセシリーというんだ」

「バレントだ、よろしく頼む」


 その後、バレントはエレパーベアの丸焼きを食べながら、お互いの情報を交換しあった。

 バレントの案内もあってその日の夕方頃、亡命者達は壁に覆われた街に到着した。ジェネスは敵対勢力の人間だと少し訝しんでいたが、バレントの説明とアーリの手紙によって、彼らの寝床と食事を用意される事になった。

「本当に何から礼を言っていいか……」レイゴは深く頭を下げてくる。

「俺は飯を出して、街まで案内しただけだ。それもアーリの、自分の娘の手紙に従ったまで」

「この礼はいつか返させてもらう」

 二人は中央街の喧騒の真ん中で握手を交わした。

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