第三十二話 拒絶
「ミリナさん、敵が集結してる」アーリは気配を察知し、いち早く声をあげた。
「何体ぐらいか、分かる?」
「それは——」
街の中に侵入して数百メートル。アーリがそう言いかけた時であった。
アーリ達の進む先には、無数の黒い人影が待ち構えていた。赤い発光点達は一切動かずに彼女達の進行してくるのを待ち構えているのだ。
蜂の巣を突いてしまったのか、それとも大量の蜘蛛が潜む洞窟に入り込んでしまったのか、それとも子供が生まれたばかりの雌の怪物達に近づいてしまったか。いずれにしろ危険に身を投じている事には代わりないのだが——。
「構え……」
闇に浮かび上がる輪郭達は、一体の号令によって一斉に銃を構えた。
彼らは扇状に広がり、彼女達の行く手を阻む何層もの壁となって立ちはだかる。
その数約三十以上、全員が先ほどと同じライフルを携帯しているのならば、合計約九百発ほどの弾丸が五秒間に撃ち込まれるのだ。
「迎撃、お願い!」アーリが叫ぶ。
「言われなくとも」ミリナは瞬時に二丁の拳銃を抜き、標的に向けて銃弾をばら撒き始めた。火炎弾が暗闇に炎の花を生み出し、光が敵の全貌を露わにした。
三重の壁になっている機械の兵士達。その姿が見えても、絶望的な状況が好転した訳ではない。銃弾が当たった程度で崩れる強度ではない。
アーリは車体を大きく右に切る。後輪が地面を滑り砂埃を巻き上げながら、瞬時に車体が右を向いた。
「射撃……」
一体の号令に全体が一斉に引き金を引く。マズルフラッシュが明転し、視界を狂わせる。
銃弾が撃ち込まれるより早く、アーリ達を乗せたバイクが路地へと急発進する。
崩壊しっぱなしの建物の間にある、吹き溜まりのような狭い路地であった。月の光も届かないほどの
バイクがギリギリ一台通り抜けられるほどの道幅で、運転を一歩間違えれば自分の体が削られてしまうだろう。
両脇の建物に住んでいる人間もいるのだろう、微かに人の気配が感じ取れる。だが、誰も騒動を確認しようと飛び出てくるものは居なかった。
銃声を聞き慣れているのか、侵入者だと怯えているのか、はたまたその両方か。
「アーリちゃん! まだ後ろから来てるよ」ミリナが後ろを振り返り、叫ぶ。
彼女は半分後ろを向き、銃口を路地の入り口に向け、引き金を弾きまくる。反動も銃が飛ぶ方向も気にせずだ。弾丸が壁を、そこに通る水道管を、そして路地に入ってきた敵を射抜く。黄色い火花が弾け、弾頭の爆発が相手の顔面を包み込む。
「大丈夫!」アーリは腕を変化させた。「壁を崩して後ろを塞ぐから! 頭、下げて!」
ミリナはアーリの背中に顔を埋める。
瞬間アーリは黒く歪な右腕を側壁に突き立て、ガリガリと壁を破壊する。風化していて脆いのか、レンガの壁は紙切れのように切り刻まれ、その上に建つ壁が揺らぎ始める。
ぐらりと大きく揺れたかと思うと、それは路地に向けて倒れ始める。
二人を追って路地に入ってきた自立式警備機構達は、倒れ落ちてくる瓦礫の海に沈んでいく。後続もそれに足を止め、アーリ達を追うことを諦めざるを得なかった。
「ナイス! アーリちゃん!」ミリナは砂埃を巻き上げる背後をにやりと見た。
「まだ、前方から来てる、油断しないで」アーリは路地の奥から敵の気配を感じ取っていた。
駆動する脚部関節の音、そして地面を擦り上げる鋼鉄の足裏。かちゃかちゃとそれらは移動し、路地を取り囲こもうとしているのが分かる。
事前に彼女達が接近しているのを知っているのだから、事前に配置していたのかもしれない。だが、どこから街に突入するかまでは分かっていなかったはずだ。きっと誰かが機械兵達に命令を下している。そうでなければ、ここまで迅速な対応は難しいだろう。
きっと、屋上から狙撃してきた者が、もしくは他に自分達を監視している者が、これらを操っているに違いない。
とにかく、この複雑な路地に土地勘がないアーリにとっては、全方向から敵が現れて囲まれてしまうことが何よりの懸念だ。
今は迷うことなく、路地を——敵の包囲網を逃れることが先決。アーリはハンドルを捻り上げ、路地を猪のように突き抜ける。
堆積した細やかな砂やゴミが風圧によって巻き上げられていく様は、本物の怪物が野山を駆け回っているそれであった。
出口まで五十メートルに差し掛かった時、路地を塞ぐように数体の自立式警備機構が出現した。彼らはお互いに集結して壁を作り、銃を構える。
「そのまま行くよ!」アーリは一切身じろぎせず、ハンドルを力強く握りしめる。
バイクは勢いよく——まるで生き物かのように路地を飛び出し、その鉄屑で出来た壁を撃ち壊す。
黒い機械の怪物は敵に飛びかかり、次いで地面で擦れたタイヤが雄叫びをあげながら尻尾を大きくなぎ払う。若草をなぎ倒す強風のように、鉄を纏う人型達は吹き飛ばされ、武器を取り落とし、奥の瓦礫へ飛び込んでいく。
彼らの中には腕が取れたり、足がもげたりした者もいるが、彼らに血は通っていないのだろう、代わりにネオンブルーの液体を撒き散らしている。ロマンチックな言い方をすれば真っ暗な夜の空に星のエキスをこぼした、とも言えるが人型から流れ出すそれは幻想的なものではなかった。
アーリはそのまま路地から出て走り去る。路地を出たアーリ達を出迎えたのは、広場のような場所であった。
僅かばかりの街灯と拓けた視界。この場所が何の為に使われているのか分からないが、決して子供達が遊ぶ為に使われていないことは整備されていない所を見ればすぐに分かる。
「……これは」アーリは声を漏らす。
「まずい、ね」後ろから前を覗きこみ、ミリナが言う。
自立式警備機構の軍団がその広場全体を覆い尽くし、アーリ達の行く手を阻んでいた。突破しようにも防衛の層は厚く、確実に鉛を数十発食らうことになるだろう。
先頭には黒いジャケットの男が立っていた。右目の周りがヒビ割れた黒い仮面をつけていて、四本の腕に三本の銃と一本のナイフを持っている。
「派手にやってくれんじゃねぇか」男は四本の腕を広げて言う。「ひっさしぶりに骨のある外の奴が現れてくれたぜ」
男の口調は自分の言葉に酔っているように、そしてこの状況を楽しんでいるようであった。現に男の首はまだ首の座っていない乳児のように、ぐわりぐわりと右へ左へ動いている。
「まぁ、俺も暇じゃねぇんだ。最速でぶち殺してやる」男は銃を構えた。「安心しろ、死んでも優秀な機械人形に作り変えて、俺の練習相手になってもらうだけだ」
男が銃を構えるのに合わせ、背後にいる無数の赤い目が一瞬ぐらりと揺らぐ。彼らも全員銃を構えたのだ。隊列を組み、お互いの体の隙間から円状の虚空を突き出している。
アーリはごくりと唾を飲む。
表情は強張り、心の絶望を露わにしそうになる。だが、グッと歯を食いしばり、右腕を前に突き出した。敵がいるのは前方だけだ。盾の厚みは薄くなってしまうが、なにもないよりましだ。
「ボア・ウォール!」アーリの右腕が黒く硬化し、巨大な壁へと変わる。
流線型になったアーリの右腕はバイクの前面を覆い隠す。横から見れば、まるで巨大な鳥の嘴か雨をしのぐ傘のように見えるだろう。
銃弾の雨が黒光りする表面にあたり、ガンガンと金属ドラムのような音を立てながら、後ろへと流れていく。アーリの右腕の表面をえぐり取っていく。