第二十七話 発見
白み始めた空と、鳥達のさえずり声にアーリは目を覚ます。
一瞬、自分が今どこにいるのか分からなくなったが、すぐに自分がオルランディの街の橋の下にいると思い出す事ができた。
ゆっくりと体を起こし、周囲を見やると、すぐ横にはミリナとセシリーが寝息を立てていた。まるで親子か年の離れた姉妹のように見え、アーリは小さく微笑んだ。
身支度を整え、アーリとミリナは亡命者達と別れ、北へと再び出発することになる。
「アーリおねえちゃん、ミリナおねえちゃん!」バイクに跨ろうとする彼女達にセシリーが抱きついてくる。
少女は小さな目に涙を溜めていた。別れるのが寂しいのだろうけれど、行かなければいけないのだ。
アーリは何も言わずに少女の頭を撫でた。
「頑張ってくるからね、帰ったら一緒にご飯、たべよ、ね?」ミリナは少女をなだめた。
「う、うん」少女は小さく頷く。
「……必ず帰ってきてくれ」レイゴは娘を抱き上げた。
アーリとミリナは頷き、光子二輪に跨った。これ以上ここにいれば、きっと帰りたくなってしまうかもしれないと思ったからだ。
彼らはアーリ達が見えなくなるまで見送ってくれた。
「レイゴさん達、無事に街につくといいねー」ミリナはふと後ろを振り返りながら言う。
「きっと大丈夫だよ」アーリは前方を見ながら言う。「過酷な環境で暮らしてきたみたいだし、強かったでしょ?」
「確かにそうだね、セシリーちゃんにもまた会いたいなー」
「会えるよ、きっと」アーリは静かに、そして自分に言い聞かせるように言う。
「荒野だったら寝るときも気をつけなきゃねー。隠れる場所、あるかなー?」
「きっとレイゴさん達が停まってきた場所もあるはずだから、大丈夫、だと思う」
「そっか、じゃあご飯は食べれるね!」ミリナは嬉しそうな声をあげる。「今日はお米とスープにしよ! 力つけないとね!」
アーリ達の進む先には、少しずつ木々が少なくなってくる。どうやら聞いていた通り、ここから先は荒れ果てた土地になっていくようだ。地面を覆っていた緑色の雑草もはげ始め、北からの風は乾き始めているのが肌で分かる。
大きな水たまりとも言える池の横を通り過ぎ、北東の方角へと進んでいく。がたがたと歪む道なき道ではあったが、バイクの車輪はそれらを諸共せずに、跨るアーリとミリナを運んでいく。
進んでいくにつれ、地面は赤茶色の砂に覆われ始めた。空の青と、地面の赤茶色が地平の向こうでくっきりと切り替わっていた。
大地には栄養が行き届いていないようで、他の植物や動物の死骸から辛うじて養分を吸い取って、細い枝に弱々しい鶯色の葉を成らせている。背も低い植物が所々から生えているのみで、食べられる植物があるとは思えない。
隆起した砂岩を風が削り取り、さらに細かな砂がそれらに吹きかけられ、小さな山のような起伏を作り出している。遠くから見ればそれらは山脈のようにも見えるが、近づけば小さな丘であるという錯覚を生み出していた
吹きすさぶ風を遮るものもなく、巻き上げられた砂が彼女達の皮膚や車体をざらざらと撫でてくる。荒々しい粒が飛び込んできて、目を開けているのも憚られる状態であった。肌を削り取られるような痛みが、彼女達が進むのを拒んでいた。
数時間、そしてそれ以上、アーリ達は何もない荒れ果てた道を進んでいく。喋ろうと口を開けると、砂が入ってきて不快なため、ミリナもアーリもしばらくは無言を貫いていた。
ヒューヒューと吹き抜ける風と、車輪が地面をかき分けて走る音だけが、彼女達の耳に届くばかりだ。
代わり映えのしない景色を前に、アーリはハンドルを握りながら、ぼんやりと思考を巡らせる。
この場所にも、街はあったのだろうか。もしあったならば、それらはどこへ消えていったのだろうか。大量の砂の中へ埋もれてしまったのか、それともこの風が運ぶ砂に削り取られてしまったのだろうか。はたまた、怪物の被害で壊滅してしまったのかもしれない。それとも、この場所は数百年、もしくは数千年、この場所はこのような有様だったのかもしれない。
陽が彼女達の真上を通り越し、西へと沈んでいく。
岩陰で休み、カラカラに乾いた木々を集めて火を起こし、その火で料理をする。そんな数日間を彼女達は過ごしていた。
そして、二日と半日が過ぎた頃であった。
後ろに座るミリナが、アーリの肩をトントンと叩いた。そして、彼女はそのまま地平の先を指差した。
橙色に染まり始めた空を背景に、朧げな長方形の輪郭がその指の先に見えた。街の中心にそびえ立つ巨大な塔なのだろうが、小さな鉄の棒が地面に突き刺さっているようにしか見えなかった。
その周りにも棒が何本か刺さっていたが、それもすぐに倒れてしまいそうなほどの角度であった。
アーリ達のいる場所から見えるメトラシティらしき場所は、ネズミのように小さかった。だが、荒野の真ん中に立つその街は、確かに、圧倒的な威圧感を周囲に放っていた。
あの場所から吹いてくる風は——晴れていて周りが乾いているのにも関わらず、どんよりとした肌にひっつくような湿気を含んでいた。
嫌な感じがする。少なくともアーリはそう思った。
バイクの速度を緩めて、止まる。ここからあの街までは、五キロほど離れているだろうか。
「……あれが、メトラシティ」アーリは呟いた。
「距離的に、明日には着けそうだね」ミリナはアーリの肩から手を下ろす。「今日はもう暗くなるし、この辺で休む?」
「うん」アーリは頷いた。「きっと、夜遅くなら自立警備機構も少ないはずだし、ここで少しだけ休んでから出発でいいかな?」
「おっけー、んじゃ早速」ミリナはバイクから降りた。「ご飯を食べて、休もーっ」
彼女達は地面に転がるしなびた木を集め、火を起こす。
もちろん視認されるのを避ける為に、メトラシティから隠れるように、大きな茶色の岩壁の後ろでだ。ここまで来て、敵に先手を打たれるわけにはいかない。
立ち上る煙は薄闇の中に上手く紛れ込み、炎の放つ光は赤茶色の砂に阻まれる。
アーリとミリナは過酷な環境下で疲弊した体を壁に寄りかからせて、しばしの休息を取った。
名も無き荒野の夜は寒い。きっと熱を保持する植物や、レンガなどの建材がないからだろう。しかし、彼女達が囲む焚き火は、やんわりと暖かかった。オレンジ色の光が真っ黒な闇をゆらゆらと照らしていた。
「一昨日、水を汲んでおいてよかったね」ミリナは半分ほど水の入ったガラス瓶を横に振りながら言う。「この辺には、水場もなさそうだし、もう少しで干からびちゃう所だったよねー」
ミリナは火にかけられて白い湯気を立てる鍋を覗き込む。
鉄を捻じ曲げて作られている鍋には、真っ白な米がぐつぐつと煮立っていた。甘くそして、美味しそうな穀物の匂いがした。
「街には水とか、あるのかな」アーリは少しだけ体を起こした。
「うーん、流石にあるでしょー。なかったら人は生きれないからね」ミリナは鍋を火から下ろしながら言う。「さ、できたよー。お米! 早く食べて、少し休んで、メトラシティへ潜入だよ」
「うん、ありがとう」
彼女達は鶏肉のオイル焼きの缶詰を開け、白米と一緒に食べ始める。
例によって豪勢な食事とは言えなかったが、外でゆったりと食事を取れる最後の機会になるかもしれない。
アーリはゆっくりと味わって食べる事にした。
「ところでさ、他のクイーンズ・ナインズってどんな人達なんだろうねー?」ミリナがふと顔をあげて聞いた。
「え、うーん……」アーリは少し考えたが、答えは持ち合わせていなかった。「分からないけど、なんでそんな事聞くの?」
「いやー、ここに来るまでにずーっと考えてたんだ。おんなじ人間なんだし、他の敵がいるなら協力すればいいのになってー」ミリナが言う。
「……うん」アーリは言葉に詰まった。
「もちろん、アーリちゃんのお母さんを殺したのは奴らだし、街を破壊しようとしたのも許せないけど」ミリナはそのまま続ける。「きっとメトラシティと私達の街が協力したら、この場所にだって大きな街が作れて、美味しいものもいっぱい食べれるんじゃないかなって、そう思うんだよね」
アーリはミリナの考えていた言葉を聞いて、正直驚いた。
今まで敵だとしか認識していなかった相手に、和解を求めようというのだ。突拍子もない意見だが、限りなく最前に近い理想ではあった。
そして、アーリにはそれを否定する理由もなかった。確かにオルランディで出会ったレイゴやセシリー達は、最初こそ警戒し合っていたが、次第に打ち解けられたのだ。それは同時に、どれだけ違う環境で育った人々でも、話し合えば打ち解ける事はできるという証拠でもあった。
アーリは、敵を倒す、撲滅するといった硬い思想に囚われている自分を恥ずかしく思った。
古くから狩人達は、怪物達を倒す事以外にも、捕獲して共生するという選択肢も選んできた。オクトホースやココットリスなどの怪物から利益が得られるのも、彼ら彼女らのそうした歴史が紡いできたものだ。
それは人間も一緒だ。どれだけ仲が悪くとも、街の人々は折り合いをつけながら暮らしてきた。そうしなければ、あそこまで大きな壁を持ち、豊かな自然の恵を得るほどの街は出来ていないだろう。
「確かにね」アーリは静かにふうと息を吐いた。「でも、向こうが理解しようとしなかったら、無理だよ」
「うん、あたしだって、綺麗事だって分かってるけど」ミリナはスプーンで白米を掬って、口に運んだ。「それに、協力するのが一番安心だなって」
「安心、ってどういうこと?」アーリは聞き返す。
「メトラシティよりも、もっと外の世界に敵がいるなら、私達、バレントさん、ループさんやジェネスさん、あとは……街にある設備だけじゃあ対抗するのは難しいと思うんだよね」
「外にいる敵……」アーリは俯いて呟いた。
「アーリちゃんは強いけど、一人で戦い続けるのは難しいよ。私や他の人もいるけど、いつかはアーリちゃんが……死んじゃうかもしれないし」
アーリは静かにこくりと頷いた。