まいごのまいごのこいぬちゃん
幼いころ、ひまわり迷路に連れて行ってもらった。
両親と妹と私。
駐車場からみたとき一面のひまわりはみんなこちらを見ていた。なのに中にはいるとまっすぐに伸びた茎と顔ほどもある葉しか見えない。夏の日差しを遮る薄暗がりの中からぴょこんと顔を出した子犬。
彼のくりっとした目はその子犬を思いださせた。
「しょうがないでしょう?あんたしか頼れないじゃないの。おかあさんたち今旅行中なんだからー」
母は少し間延びした呆れ声を出す。電波がちょっと悪い。このまま切れてしまってもいいのに。
「頼むわよ。おねえちゃん。だいじょうぶよ、たくやくん、すこーしやんちゃだけどいい子だから、ね?」
「いやでも私あの子が赤ん坊のときに二、三回顔見ただけなんだよ!」
「あんたが帰ってこないからでしょ!おんなじ市内だってのに。妹が入院したってんだから甥っ子の面倒ちょっとみるくらいしてもいいでしょ。おかあさんたちパック旅行だし。すぐ帰れないし」
私だって日曜の夜から旅行するはずだった。三か月前から確保してた半年ぶりの休暇。たった二泊三日だけど彼と温泉にいくはずだった。それで休暇最後の水曜日にはゆっくりするはずだった。そのために仕事だって前倒しに詰め倒した。
「……入院してる病院に今いるのね?たくやくん」
まあ、いい。どうせ彼とはいけなくなった。一人キャンセルも二人キャンセルも同じ。彼が行きたいっていったから、彼の予算に合わせて、でもちょっと雰囲気のいい宿をおさえたのに。
ゆうべ一方的に別れ話されて、旅行もいけないって言われて、だったらもう一人傷心旅行をしゃれこんでみようか、でも一人分はやっぱりキャンセルの電話しなきゃね、まだ朝の七時だけど旅館なんて何時でも電話は受け付けるでしょって携帯電話を手に取ったときにかかってきた母からの電話。
妹の夫は長期の海外出張中で、その間妹は一人息子のたくやと一緒に実家に転がり込んでいた。両親がたまたま旅行中の今朝、階段から落ちて右足首を骨折したらしい。
病院にいくと妹は「いやー、死んだと思ったよね。落ちてる間スローモーションだったもん」とからり笑った。ほら、みっき姉ちゃんだよ、ママのおねーちゃん、挨拶してと促された男の子は上目遣いにぺこりとうなずく。
「いくつになったんだっけ?一年生?」
しゃがんで視線を合わせると、またうなずいた。てことは五歳?いや六歳か。
「小学校って今夏休み?」
「そうそう。アレルギーも好き嫌いもないからさ。お留守番できるし。ね?たっくん」
それから実家に向かってたくやの着替えやら宿題やら朝顔の鉢やらをかき集めさせ、妹の身の回りのものを探し当て、病院にとんぼ返りしてからたくやの昼ご飯用の弁当を買い、自宅に戻ったのは昼前だった。
「ごめん、おばちゃんすぐ仕事に行かなきゃいけないの。これ、一人で食べてもらっていい?」
レンジで温めた弁当をテーブルに出す。少しやんちゃらしいたくやはまた無言でうなずいた。テレビのつけかた、トイレの場所、ゲームやビデオ、好きにつかっていいから、と我ながら矢継ぎ早にまくしたてる合間にたくやはいちいちうなずいている。じゃ、と玄関に向かいかけてから、さすがに足が止まった。ああ、もう。
小さなちゃぶ台を挟んでたくやと目を合わせる。
「びっくりしたよね。でも救急車呼んだのたくやくんなんだって?よくがんばったえらい」
うつむき加減だったたくやははじめて顔をあげてから、ふぃっとまた目を少しそらした。
「……べつに、住所もちゃんと言えたし」
ちょっと耳が赤い。
「たいしたもんよ。おばちゃん、そうだな、六時には帰ってこれるから。もう少しだけがんばって」
「へーき」
よし、と頭をがしっとつかんで二、三度撫でてやる。ふわりとした毛の下はしっとりと温かかった。
急とはいえ、午前だけの休みだったのになんだって机の上に伝票が山盛りになってるのか。来週の休暇のために処理の仕方だって教えてあるしマニュアルだって作ってあるのに。そりゃ確かに午後には出ると言っておいたけどさ。クリップにとめられている書類を何束かめくって軽く目を通す……というか、これ別に私だけが担当してる書類じゃないじゃないか。もともと手の空いた人間がやるはずのルーチンなのに。
昼休み終了間際にすべりこんできた後輩たち。つきかけたため息をのみこむ。時間がもったいない。詰めたはずの分、取り戻す。
もともとうちの職場は繁忙期以外は残業はほとんどない。なぜか残業がすきらしい人たちはいるけど定時で帰ることを咎められたりはしない。いつものペースなら取り戻したい分は一時間程度の残業で消化できたはずだけどそんなわけにもいかない。
六時に帰ると言ってしまったのだ。多分時々分身してるようにみえたんじゃないかというくらいピッチをあげて定時で飛び出した。よく考えたら冷蔵庫に何もはいっていない。スーパーに寄らなくてはならないことに気付いたし。
当たり障りのなさそうな食材を適当にカゴに放り込みながらスーパーを一回りして、速足で汗だくになって玄関のドアを開けたのは六時五分前。ちゃぶ台の上には弁当の空き箱、付けあわせの人参といんげんが残ってる。たくやはちゃぶ台の下から下半身だけ出して眠っていた。
……なんで靴下からかかとだけ出してるんだろう。
背中を軽く揺すって、その汗だくさ加減にひるむ。うまいことちゃぶ台にぶつけずにもそもそと出てきた頭も濡れて束になってた。
「ごはんつくるけど、その間牛乳でも飲む?」
ん、と目をこすりながらまだぼんやりしてるたくやの前にコップと牛乳パックをおいて、そのまま調理にとりかかる。といってもささっとナポリタン。子供ならきっと外れではないと思う。ピーマンを刻んで人参にとりかかろうとして、あ、もしかしてとたくやのほうを振り向くと、真剣に牛乳パックを傾けているところだった。なんかぷるぷるしてる。まじなの。一年生ってそうだったっけ。なみなみとつがれるのを私まで息を詰めて見守ってしまった。ふぅ、と少し満足げな顔をしたたくやに声をかける。
「もしかしてにんじんきらい?」
子供ってこんなに感情がだだ漏れなんだって初めて知った。
なんでわかったの?からの、弁当箱を横目でみて、やべってなりの、目を泳がせつつの「そんなことない」
「ふうん。じゃあナポリタンだし、にんじんいれるね。ああ、ピーマンも大丈夫だよね?」
「へーき」
「ほんとに?」
「……ちっちゃいのなら……」
吹き出すのを抑えるのに苦労した。
たくやを連れてきたのが火曜日。水、木とそこそこうまくやってきたと思う。やんちゃだという素振りは見受けられなかったけど。それどころか母情報で好物だというプリンを与えたら「お皿は?」ときょとんとされた。
妹は皿に移してあげてたのか。確かに子供のころはプリンを皿に移して食べたがったような記憶がある。でもそんなに上品だったかあの子はと驚いたけど、そういえば少し体が弱かった妹はいつも母からちやほやされていたと思い出した。
「明日は休みだから病院連れて行ってあげられるからね」
金曜日の朝、そう約束して仕事に出た。もともと私も彼も土日は普通休みだけど、明日の土曜は遅くまで仕事がはいってるかもという彼に合わせて旅行は日曜の夜からの予定だった。ああ、結局キャンセルの電話をしていない。昼休みにでもしておかなくては。そう思いつつそんな時に限って予定は狂いまくり、電話のことなどすっかり頭から抜け落ちたまま家にたどり着いたのはもう八時近かった。コンビニ弁当を開けながら謝り倒す私に、たくやはいつも通り、べつにへーきとちょっと笑って。
そのとき電話が鳴った。上司から明日出られないかとの電話だった。
「あの会社は佐々木さんの担当じゃないですか」
「その佐々木さんへのクレームなんだよ。君なら前にも担当してたし把握してる案件だろ」
「そうやっていつも本人に後始末させないのはどうなんですか。彼女、やればできると思います」
「やらないから君に頼んでるんじゃないか」
散々押し問答して午前中に差し替えの書類作成だけ手伝うということで手を打とうとしたところで、たくやが叫んだ。
「あさからいくって、言った!つれてってくれるって約束した!」
首まで真っ赤にして。体中強張らせて。うそつきだと叫び。
後でかけなおすと電話を切り、たくやに伸ばした手を叩きはらわれた。
なだめようが謝ろうがすべて遮られ、上司に断りの電話をかけ直すしかなかった。
上司は普段からそれほど悪い上司ではない。事情を汲んでくれて、すまなかったねと詫びてくれた。
「あした病院いける?朝から?ママに会える?」
「うん。大丈夫。ごめんね。おばちゃんが悪かった」
客用の布団などないので、いつも一緒のベッドに寝てた。
たくやは、ほんとにずいぶん手のかからないいい子で、だから病院にいくのは午後になることを、また「べつにへーき」とこたえてくれると思ってた。
つないだ小さな手の力が抜けてぱたんと枕にすべり落ちる。すぅっと寝息をたて始めたたくやのつむじを撫でた。
まあ、そうだよね。一年生だもの。
約束通り朝から病院に向かい、久しぶりの母親に照れくさそうな顔したまま近寄らないたくやをつついて抱きつかせた。
たくやを抱きしめ、頬を両手ではさむ妹はやけに母に似ていた。
小さな妹の額に額を合わせ「熱さがったねぇ」と抱きしめていた母と同じ顔。
頑張ったご褒美だよと皿にのったプリン。
水入らずでどうぞと病室を出た。
妹の入院は二週間の予定らしいけど火曜日には両親が帰ってくる。水曜日には本当の休日をとれるはず。一応職場に電話をいれてみた。なんとかなったらしい。ですよね。やればできるはずなんです。あのひと。ただやらないだけ。そんなのほんとはわかってた。
「さ、たくやくん。ママそろそろお昼ごはんだしさ、おばちゃんと一緒にたくやくんもごはん食べに行こう。で、ごはん食べたら戻って来よう?」
「ううん。公園行く。さっきみた公園。すっごいでっかい滑り台あった」
「え。もういいの?」
「うん。いいーママまたあしたねー」
すたすたと病室を出てくたくやに苦笑いしつつ妹は手を振った。……いいんだ……。
「なにたべたいー?」
「らーめん!」
「この暑いのにラーメンですか」
「らーめん!」
つないだ手をぶんぶん振り回されながら病院を出た。
「駅の近くになんかあったような気がするけど、うちの近くのラーメン屋のほうが美味しいのは確実だなぁ。どうする?」
「公園は?」
「あー、じゃあやっぱり駅の近くで食べようか。うちの近くのラーメン屋だと行きすぎちゃう」
「けってーい」
「はい、けってーい」
ふふっと笑いあって、交差点の向こうの信号をみると、その下に彼がいた。向こうも連れと笑いあい、こちらをみて、目が合った。仕事だと言っていた彼はスーツじゃない。連れの女性はひらりと裾のひろがったワンピースで彼の腕にぶら下がっている。
なるほど。
そうか。なるほど。
「おばちゃん?」
彼が目をそらしたところでたくやが不思議そうに見上げているのに気づく。
「ん。なんでもなーい」
またつないだ手を振って交差点を渡り、そのまま彼らとすれ違った。
ラーメンはいまいちだったけど、たくやには問題ないみたいだった。チャーシューを一枚お子様ラーメンにわけてやる。
公園ではひたすらに走ってた。滑り台もぶらんこも逃げやしないのになぜずっと全力疾走で遊具の間を走り回るのか。
私は木陰のベンチでそれを眺めてた。時折こちらを見ては手を振るたくやに手を振り返し続ける。
「もうそろそろかえろ」
「もうちょっとー」
そのやりとりを三回繰り返してスーパーに寄ってから家路についた。
夜ご飯のリクエストはオムライス。我が家はオムレツを載せるタイプのオムライスで、てっきり妹の家でもそうだと思ってた。
「なんでどろどろしてるの」
「え?違う?」
「変なの。ママはうすーいたまごやきでくるんってしてくれるもん」
「あー、そっちか。でもこれも美味しいよ。たくやのママもちっさいころはこのオムライス食べてたよ。おばあちゃんのオムライスもそうでしょう?」
「おばあちゃんのオムライスたべたことないもん。これ変」
「変じゃないって。たべてみなって」
「やーだ。きもちわるい」
「じゃあ食わんでいい」
たくやの分のオムライスを取り上げ、台所に戻した。
ぽかんとした顔がみるみるうちに頬を膨らませていく。
「だって変だもん」
「だから食べなくていいよ。好きにしな。あー、美味しい」
自分だけオムライスをぱくついてみせる。
のどが、痛い。
「おばちゃんのばか!」
「ばかのつくったごはんなんていらないでしょー」
「おなかへったじゃん!」
「しらなーい。食べないっていったのたくやじゃんー」
「おばちゃんなんかうそつくし!プリンぷっちんさせてくんないし!ママはいっつもぷっちんさせてくれるのに!」
指先が震えそうになるのをスプーンを握りしめておさえた。
「おばちゃんきらい!だいきらい!」
わたしだってねぇって言いかけて。
のどがいたくて。
手も震えそうで。
あんたはいいこでたすかるわ。そういわれて得意げにしてた。
プリンだってあんたは別にそのまんまでいいよねって。
べつにへーきってすましてた。
うつったらこまるからはいっちゃだめよと、妹が寝ている部屋の外で。
君なら大丈夫だろ。そのほうがうまくいく。
助かるよ。
君に任せておけば安心だから。
困るよ。君がいないと。
そんな言葉を真に受けようとしてた。
なんかしっかりしすぎっていうか、俺がいる意味ないんじゃないかって。
いいこでたすかる。
君がいてたすかる。
おまえがいてたすかる。
そうよね。そうふるまってきたからね。
わたしがそう望んで、そう振舞ってきた。
たくやには全然、かけらも、関係ない。
たくやだってずっといいこにしてた。
びっくりした顔で固まっているたくや。
そりゃそうだよね。大人がぼろぼろと涙流してるんだもの。
大人なのに止められないんだもの。
「たくやだってばーか!」
「お、おばちゃんのばか!」
「ばかっていったひとがばかなんですー!たくやがさきにいった!」
声をあげて泣いた記憶なんてほとんどなかった。
最後にそうしたのはいつだったか。
そのうちたくやまで泣き出した。
「ごめんなさいいいい」
「ごめんねええ」
両手をとりあって、向かい合って座ったまま。
泣き声を上げ続けるのもつかれるもので。
お互いしゃくりあげながら息をついたときにそれまでつけっぱなしだったテレビから笑い声があがった。
お笑い番組だから正確にはずっとそれは流れてたんだろうけど。
二人して画面を見て、今どきのくだらない一発ギャグで、二人とも吹き出した。
「とろとろの卵苦手?」
「……へーき」
しかめっ面してそういうたくやの頭をこづいた。
「待ってね」
たくやの分のオムライスからオムレツだけをフライパンに戻してスクランブルエッグにしてみせる。
「どう?これなら」
「これならだいじょぶ」
「よし。仲直り」
スクランブルエッグはチキンライスの周りに咲くように飾った。
お風呂からあがって、寝る時間でしょというと「どようびの映画は起きてみててもいーの」と言い張った。
ちょうど名作子供アニメだ。
「眠くないの?」
「いつもみてるもん」
「ほんとにー?」
「ほんとー」
ソファにもたれかかった私の足の間にたくやが陣取ってあぐらをかいてる。
私の足がちょうどいいひじ掛けになるらしい。
アニメのキャラクターがひっくり返るたびにたくやものけぞって笑い、湿った髪が顎をくすぐる。
すっぽりと私の腕におさまるあたたかいもの。
ひまわり迷路で出会った子犬は迷い犬だった。
両親は妹を挟んで手をつないでて、ちょっとおもしろくなかった私は三人から少し離れて歩いてた。
そしていつの間にかはぐれてて、私のことなど知らんぷりのひまわりに囲まれて、その茎と茎の隙間から出口が見つからないかと覗き込んだときに、ぴょこんと顔をだしたなつっこい子犬。
べそかいてた私の頬を舐めた。
「だいじょぶだからね」
子犬をぎゅっと抱きかかえてなんとか自力で脱出した。
出口には両親も妹もいて迎えてくれた。
子犬の飼い主家族も駆け寄ってきたから返した。
えらかったね。
ありがとう。
助けられたのは、支えられたのは私だったのに。
結局映画の途中で寝落ちしたたくやに起こされる日曜の朝。身支度を整えていると玄関の鍵がカチリと鳴った。
ああ、私は彼に部屋の鍵を返したけど私は返してもらっていなかった。それにしたって呼び鈴も鳴らさずに鍵を開けるとは。
勝手に開けられたドアの隙間からのぞいた目。これが子犬のように思えてたなんて。
「鍵、返して」
靴を脱ごうとする彼の前に立ちはだかり右手のひらを突き出した。
「話がしたくて」
「だったら礼儀を守って。急に来られても困るし何より勝手に鍵を使う関係じゃないよね?もう」
きょときょとと彼の目が泳いだ。拒絶されるなんて思いもしなかったような顔をなぜできるのか。
「昨日のあれはちょっとちがくて……あ、親戚の子?」
なにが違うというのか。昨日と同じ服を彼は着ている。期待と違ったのだろうか。ひらひらのワンピースのあの子は。
彼はわざとらしく狭い玄関にしゃがみこんで、いつの間にか私のシャツの裾を掴んでるたくやと視線をあわせようとした。
「おはよう。ちょっとおばちゃんとはなしさせて」
「くちくっさ!!!!!」
噛みつくように叫んだたくや。
「みつき!このおじさんくちくさい!!」
彼はとっさに自分の口をふさいで後ずさった。たくやはその彼と私の間に小さな体を割り込ませて仁王立ちをきどる。みつき、だって。確かに彼の口からは飲みすぎた翌朝のすえたようなにおいがした。
彼がまだ手に持っていたうちの鍵をとりあげて、閉まり切っていないドアが開くようその肩を軽く押し戻す。
「ホテルには歯ブラシくらいあったでしょうに」
だめだ。口元が震える。
「話すことはないから」
最後のひと押しで彼をドアの向こうにおいやった。
念のため内鍵とチェーンをかけて、たくやの顔を覗き込んだ。
「人の体のこととかにおいとか言っちゃいけません」
しかつめらしい表情をつくってみせる。
「たくやだってまだ歯磨いてないでしょ」
その柔らかな両頬を片手でつかんでアヒル口をつくった。ふくらませようとしてるのか指に抵抗を感じる。
「でも」
「い・け・ま・せ・ん」
「……ごめんなさい」
よし、とたくやを抱きしめて。
もう耐えられなくて吹き出した。
「あのおじさんと遊びたくなかったの。追い返してくれてありがと」
おじさん、おじさんだって。ざまぁみろ。二人で息が切れるほど笑ってから、一緒に歯を磨いた。
「ねー、たくやおっきなお風呂すきー?」
「おっきなおふろ?」
妹の病院に向かう道すがら、またしっかりとつないだ手をふりまわしつつ。
「そう。おっきくってねー、ああ、お外にあるお風呂もあるよ」
「お外にあるおふろ!」
「お泊りでさー、今日の夜とー、明日の夜のお泊り」
「いく!」
「あ、でもそしたらママに明日会えないけどいい?」
「いい!」
「じゃ、病院ついたらママにお願いしてみよっか」
うん!と飛び跳ねながらたくやが笑う。
小学生のころ習ったステップでたくやと歩調を合わせる。
右足、そろえて出して、左足、そろえて出して。
露天風呂つきの部屋。今夜は確か晴れの予報。
月見牛乳もきっと悪くない。
そして温泉の近くにはあのひまわり迷路がある。まだやってるはず。
明日はたくやと一緒に迷おう。しっかりと手をつないで。