第7話「物語の清算」
第9章第7話「物語の清算」
………………………
「…ん ここは?」
「ノーザンブリア南方120㎞の第5統制線後方にある戦闘支援病院だ」
ノーザンブリアの核攻撃により半径60㎞は立入禁止区域に、半径80㎞を立入統制区域に、それぞれ指定された。ドーナツ状の立入統制区域は巡回警備目的の憲兵隊のみがいる状況であり、おおよそ20万人の騎士王国市民及び軍人が帰宅困難者となっていた。あぁ…核攻撃によりおおよそ60万人ほどが蒸発したのではないかと予測されている。それ以外の90万人ほどはいまも行方不明のままだ。行方不明と言っても立入禁止区域内にいると推定されるからほっとけば勝手に病死してくれるだろう。それでも運よく生き残ったら首都ノーザンブリアの中で生活するしかないだろうな。一応言っとくとお台場で原発事故があった世界線とは違うと思うぞ。たぶん。後もう一つ言っておくと、高圧電線を鉄道の架線に直結したらショートして使いもにならなくなるぞ。
戦闘支援病院とは米軍の戦場医療制度の一つであり、いわば移動式の兵站病院の様なものだ。その能力は高く同時に1000名までの重症者の受け入れが可能であり、化学兵器対策で減圧室まで備えている。日本においては横須賀海軍施設近くの補給廠に保管されており2020年の中コロ騒ぎの際に日米安保に基づきアメリカ国防安全保障協力局を通じて感染症対策として『参戦』したことは記憶に新しい。
ルーメリア王国軍のそれは、米軍のそれと比べてあらゆる面において劣っているが化学除染用装備が充実していることから(これは師団衛生隊の能力不足に起因する)合計11個が展開し、立入制限区域に立ち入った憲兵隊が除染のために毎日のように訪れるようになっている。おかげで空間放射線線量が微妙に上がっているが、ぶっちゃけCTRの方が多いため放置している。
そして、この病室は常時完全武装の特務歩兵中隊が警備する特別病室である。まぁ、建築方法がプレハブだから本気で逃げ出そうとすれば簡単に逃げ出せるのだが…。まぁ、逃げ出すつもりはないようで何よりだ。
「負けたのですね……」
なんだ? 妙にしおらしいな。どうした?
「いえ、あっちでは周りの伝統派閥に煽てられて一種の万能感のようなものに飲まれていたので……」
「__こっちに来たことでそれが解け、冷静になった。と?」
「……はい。…兄さん?」
こんなにも素直だったのはいつぶりだろうか…? オレが小学校に入る前だったかな。だとしたら10年以上前ということか。負けた瞬間トゲなくなったというのは元々けじめのための戦いであり、勝つ気はなかったということか?
だとしたら、全てが説明できる。この世界に召喚されてから数年が経っているがあれが最初の接触であった。チャンスなど何度もあったはずだ。むしろ可能な限り早期に片づけた方が楽だったはずなのに手を出さなかった。まずその点がおかしい。次にノーザンブリアの被害状況、あの短い戦闘時間で都市区画が10個も壊滅したことに驚き他のことに気づかなかったが、そもそもあんなに簡単に懐に潜り込めたのはどう考えてもおかしい。
煙幕なんぞ収束系の魔術でまとめて放り投げればいいだけだし、投げナイフも分子結合力中和術式で粉々にできたはずだ。だが、それをしなかった。人為的なものだったとはいえコンバットハイ状態であったことがそれらのサインを逃してしまったようだ。
どうやら最近はデスクワークばかりで戦闘の勘が鈍っていたということだろう。
「……妹がこんなにも素直に成ったのはいつぶりだったか」
「…周りの目と言うモノがあるので……本当は甘えたかったのですよ?」
俺の独り言に、そう返しながら甘えてくる妹と同じ容姿をした人間。…誰だこいつは?
「周囲の目って言うと。……遠山のジジババ達か」
「そうです。あの人たち、私にかまってくれるのはうれしいのですが、完全な老害ですよね?」
……ハッキリ言うな。ほんと、絵にかいたような老害だったなあれは。しかし、近代編纂古式魔術に分類される遠山家系はその自尊心を満たすために2002年に設立された国防陸軍総軍司令部直轄の秘密現代魔術再編研究所に術式の提供をしたにもかかわらず、満足いく見返りが得られなかったと言いがかりをつけて(国防軍は術式提供の報酬として金銭を渡しているが、彼らの求める見返りは軍主要戦闘部門での魔術の地位奪還であった)反乱を企てているからな……。
小学校に入るまでは俺も妹と同じく可愛がられていたが、小学校に入ってからは戦隊ヒーローモノに憧れて彼らの言う邪道の体現者である親父に教えを乞うたことで完全に見限られた。まぁ、同年代の間では遠山家系本流ともそれなりに親睦を保っていたのだが、それが余計に老害という印象を強めたのかもしれない。
だが……
「…お前、親父たちのストレスを知っててその言い草なのか?」
「……胃に穴が多数開いて、それがつながっているんじゃないかってぐらいのストレスですかね? まぁ、その様な細事はどうでもいいのですよ。私もお姉様の敵討ちがしたかったので力を蓄えていたのです」
よかねぇーーよ!! まぁ、そんなことを言っていたらいつまでも話が進まない。いったん棚上げしておこう。たしかに本格的に仲が悪くなった。…というよりも、遠山本流との結びつきが強くなったのは2028年以降であった。この時すでにどうにかして軍乃至はそれに類する機関に入ることを目的に鍛錬密度を高めていたから気にしていなかったが、そう言った理由があったのか……。あの時点ですぐにお互いの目的を打ち明けていればああいう終わり方はなかっただろうに……。いや、終わったことはどうしようもないか……。
ところで……
「あのニャルは何だったんだ?」
そう、一番気になるのはそこである。結局何のための神話生物だったのか? あれではSRCはSAN血の削られ損であるし、騎士王を殺されたルーメリア王国は完全に戦費の無駄であった。ここまでやって講和できないばかりか、占領地維持任務といういとも堂々たるコンコルド効果がじわじわと首を絞めるかのように襲い掛かるという。他にも、カーングラードを問答無用で叩き潰したり、ノーザンブリアを核攻撃して全世界から恐怖されたりしている。……もはや、侵略しただけ損であった。今回使用された戦費は最初3日間の準備攻撃だけでも120万ディナールを超えた。これは平時年間軍事予算の約半分に当たる。そして弾薬消費量は合計14会戦分であった。なお、1会戦分は戦闘行動中の3カ月分という意味である。つまり、高が3日で42か月分の弾薬を消費したのであった。
その他化が3日で使い切った120万ディナールを公共投資に回していれば、国民の所得は倍増していたであろう。と言われるほどの機会損失があった。また、この作戦のための事前集積は国内の産業構造にいびつな発展を強要した。公共投資による土建産業に偏った雇用構造は軍事産業の増強により官需主導型経済と呼ばれる経済構造にするための決定打を撃ってしまった。ケインズ経済学的解釈によれば、景気が悪いときに国は借金をしてでも公共投資をすべし、よくなったら投資を縮小し返済に注力すべし。と言っているが、実際には不可能だ。
自動車と半導体に偏重した産業構造を持っていたあの半島国家は日本が輸出管理正常化を行ったことと、度重なるストライキによってビッグスリーの一角に見限られたことで、国家経済が死に体となった。そこに2020年中コロ騒ぎで北の指導者が病死し、後継者争いが内戦に発展、南に救援を求め、あの亡命二世が民意を無視して介入したため、ブルーチームの信頼を失った。これがのちの中国内戦時にシェライク作戦の標的に選ばれた理由でもあるのだが、そのころの日本は特定の産業に偏重している。ということは少なくとも国全体で見ればなかった。製鉄・造船・自動車・電機・航空宇宙・重化学・家電・製薬・食品・日用品エトセトラエトセトラと重工業から軽工業まで手広く行っており、国防軍主要装備品開発製造能力や人工衛星打ち上げ能力を完全独自の進化・発展を遂げた技術立国であり、農業や漁業などの製造業以外もそれなり以上であった。また、流石の日本も20年代ともなれば組立産業からの脱却がすすんでおり(と言っても各社、中国工場の国内移転は進んでいたため10年代よりも製造業従事者は多かった)金融や情報・システムなどの分野でも徐々にではあるが、欧米に追い付こうとしていた。あのペースが維持できたのであれば2070年代には重工業と同じく、世界トップクラスになっていたであろう。さすがに金融は産業革命の時点で確固たる地位を築いていたロンドンやwwⅡ終戦後に世界の覇権を握ったウォール街には劣るであろうが、それでもアジア最高級の地位には届いたはずである。
そこから導き出されるのは特定産業に偏った産業構造はヤバい。ということになる。だが、シャングリラ作戦の事前集積により軍需産業が強化されたのは健全な産業育成に多大なる損害を与えたということになる。つまり、それだけのことをやったのだから成果を出さなければならなかった。
むろん、王国政府も無策であったわけではない。軍事予算の増額と同時に社会資本整備関連予算も年間260万ディナールから350万ディナールへと増額され、公共投資も活発化しているが、所詮は官需であるし、軍隊への徴兵と軍需産業への工員徴用で国内の労働人口は払底しており、農村部は化学肥料の配給(これは戦時下でアンモニアが不足している。というわけではなく、一定量を無料配布することで化学肥料を使用させることが狙いとなっている)や集団農業化による農業用トラクターや品種改良された種子、製粉施設などの効率的な調達・運用などにより作業効率の大幅な向上によって何とか致命的な破滅は避けられている。という次第である。
まぁ、ドイツ帝国が戦時下にやろうとして、見事に失敗したことを実行できているだけ随分と自慢できるのだろうが、そもそも国力以前に養うべき農村部の数からして違う。産業構造も違うし、社会資本の整備状況も全然違うからあまり比較対象として優れているとは言えないのだが。
だが、その努力も騎士王がニャルに食われてしまったことで無駄となる可能性が出てきてしまった。王国は『これが最後の戦いである』と息巻いて持てる力の大半をシャングリラ作戦に注いできた。その注ぎようは、万が一失敗したら国が崩壊するほどである。これは、絶対に勝てると慢心していたというよりも、絶対に勝てるだけの条件を並べようとするとその程度でも足りない。と考えられていたためだ。『戦う前に勝てるだけの条件を机の上に並べる』これは戦争の基本だ。だが、『想定外の要素が加わり失敗しました。テヘペロ』など安全保障の分野では通用しない。というか、政治の世界に想定外は許されない。分かりやすく、そして語弊を恐れずに言うならば『こんなに津波が来るとは思わなかった。だから死者が出たけど俺は悪くねぇ!』等と言えるはずがない。言っちゃったら民主党政権はもっと早く終わっていたはずである。
「禁書庫の中に、死者蘇生の本があって……」
ようは、2028年の品川駅新幹線爆破テロ事件の犠牲となった俺の婚約者。そして、妹からすれば『敬愛するお姉様』を蘇生するために、その儀式を再現したという。で、あのニャルはその成果物であった。その本には、肉体、霊魂、精神の3つの器がそろう必要があり……と書かれていたらしい。その内、肉体がニャルであり、精神がニャルに喰わせた人間、霊魂があいつの形見であると結論付けたとのことだ。