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その3

『はつと鵺 〜天正伊賀物語〜』の舞台。



 それは伊賀の里。時代は天正六年。



 京と伊勢の中間地点。


 東は伊勢、北は近江、西は山城、大和の国があり、この地方は、古くは平忠盛や清盛を輩出しました。地侍の力が強かったところです。


 とくに紀伊は霊場が多く、修験道における特殊技術を取り入れて、現在考えられているような忍者が生まれた、という説があります。


 天正六年といえば、織田信長が、琵琶湖のほとりに、安土城を築いた二年後。松永久秀が討たれ、豊臣秀吉が中国征伐に向った次の年ですね。




 OL、はつがタイムスリップした場所は、滝野十郎吉政の所領。



 吉政とは、


 ● 引用


 滝野十郎吉政

 滝野の里の頭領であり、柏原城の城主でもある。伊賀上忍三家の一人である百地丹波に仕える中忍で、伊賀十二人衆の一人。鵺の育ての親でもある。


 ●




 この地は、現在の名張市。


 石川五右衛門に忍術を教えたとされる、百地三太夫の住居があり、また、


 里には、宇陀川が流れており、上流には、伊賀忍者の修行の地として名高い、赤目四十八滝があります。




 挿絵に描く場所は、ここに決定。


 伊賀の美しい自然がいいですね。





 背景が、あっさり決まっちゃいましたので、おまけで、前回の続き。



 【第四部】には、薬に関する記述がたくさんあります。


 はつが風邪をひいて、ぬえが湯薬を作って飲ませた場面。



 ● 引用 (【第四部】 波乱の予感 「第四章 感冒」より)


 薬湯を飲み干してぐったりしていると、鵺が白湯さゆを淹れてくれた。それを一口啜る。白湯すらも美味しく感じ、思わず顔が綻んでしまった。

「そう言えば、何も食べずに薬だけ飲んでよかったのかな」

 少しばかり落ち着いたはつが尋ねる。

「薬って、食後に飲むものでしょう?」

「中にはあるだろうが、大抵は食前か食間だと思うが」

 はつと鵺の薬に対する見識には大きなずれがある。それは、化学物質からなる薬と生薬からなる漢方薬との違いだ。

 はつのよく知る薬は、その成分が化学物質からなる西洋医学のものである。それは、化学物質なので、胃の中で溶け出すと胃の粘膜などに刺激を与えてしまう。しかし、胃に食物があれば、胃への刺激を抑えることができるのだ。そこで、化学物質が配合成分となっている薬は、食後に飲むように指示されているのである。

 一方、漢方薬は、複数の生薬から成り立っている。生薬は、食物と同等の成分だ。そのため、食後に飲むと胃の中で食物と混ざり、その効果が薄れてしまう。よって、漢方薬は、食前か食間という空腹時に服用するのが基本であった。


 ●




 ここは、章のほんの一部ですけど、とってもよく調べていますねー。


 すばらしい。



 ただ、ちょっと歴史をかじった人に、チャチャを入れられるかもしれませんから、簡単に擁護しときますね。



 かじった人はこう言うかもしれませんね。



 薬の種類によって、食前、食直前、食直後、食後、空腹時、就寝前、頓服などと決まった用法がある。「化学物質が配合成分」でも別に、「食後」にだけ、「飲むように指示されている」訳ではない。


 それから、漢方薬を、食前か食間という空腹時に服用するのを基本であるって言うのは、毎日、食事をとることが当たり前となるとともに、西洋医学が主流となり、処方箋の発行が必須になった現代・・だけ。


 最も歴史があり、有名な漢方薬の医学書、『傷寒論』とか『金匱要略』には「食前か食間」なんて言葉はない。あるのは、例えば「日に三服す」とか「四服、日に三、夜に一服」、「頓服」くらいである。


 戦国時代の人が、「大抵は食前か食間だと思うが」なんて、はたして、言うものかァ~。


 ア~、はたして言うものかァ~。



 ってね。





 まあ、この意見もある意味、正しいんですけれど、実はもっと、奥が深いんですね。


 高山由宇先生は、そんなこと分かり切った上で、執筆されているのです。




 江戸時代の初期、清国しんこくの医者、汪昂おうこうは『医方集解』って医学書を著しましたけど、この時、すでに、


 上焦(肺などの身体の上部)の病変に対しては、薬力を長く上焦に留めておくため、食後に服し、下焦(身体の下部)の病変に対しては、薬力を素早く下達させるため、食前に服薬するように、


 って、言ってるんですよね。





 また、戦国時代の最大の名医に、曲直瀬道三っていう人がいます。


 皇室だけでなく、無数の名だたる戦国武将を治療した医者です。(あの織田信長や毛利元就もね)


 こうゆうことは、普通の医者なら、ちょっと考えられません。陰謀や毒殺が当たり前の時代でしたからねー。よほど医療技術が高く、人格者で、信頼されていませんとできません。


 で、道三は、『啓迪集』って医学書を残しているんですけど、服用方法の多くは「水煎温服」だけど、場合によっては、「食前熱服」って指示してるんですね。


 道三は、同じ咳の病でも、病の原因や、身体の状態、五臓の感熱、経絡虚実、邪気のある部位によって、「発汗」「和解」「導痰」「温経」などの治療法を組み合わせて、薬を調合し、効果があるように服用させたようです。





 だから、鵺が「大抵は食前か食間だと思うが」って言ってもいいんですね。


 鵺が、ちゃんと診察して、そう判断したのなら。


 言ったもん勝ちです。ただし、「はつの、この状態では」っていう条件付きですけどね。





 さすがですね。


 高山由宇先生、天才です。


 生薬も、日本に自生しているか否か、分かった上で、鵺に使わせています。


 感服しました。


 すごいです。


 もう、しびれちゃいます。


 アン♡









 とまあ、ひと通り、褒め殺したところで、次回は下書きを描いていきます。


 お楽しみに!







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