第5話 この世界
この世界に生まれて、五年ほどが経った。
全くの赤ん坊だったときは、流石にほとんど何も分からなかった。
この世界のこととか、両親のこととか、魔術の事とか。
聞きたいこと、知りたいことはたくさんあったけれど、聞こうにも言葉を話せないのだから当然だ。
だから、やっと喋れるようになって、色々なことに疑問を持ち、両親を質問攻めにしても何もおかしくない年齢になって、俺はとにかく知りたいことを片っ端から両親に聞くことにした。
それでわかったことが、色々とある。
まず、この世界について。
両親が言うには、特に世界全体を指すような名前があるわけではないという。
世界全体のことを指し示していうときは、“この世界”とか“この大地”とか言うくらいであり、それで必要にして十分だから、というのが理由のようだった。
まぁ、言われてみれば当然かもしれない。
地球だって、その名称は地の球である。
本来的にはこの大地とか言っているのと何も変わらないだろう。
英語でもアースだし、確かあれって世界とか大地という意味だった気がする。
異世界でもその事情、というか感覚は同じということなのだろう。
次に、両親やこの集落について。
俺も属するらしいこの一族の名前は、アジール族というようだ。
遥か昔から龍の神に守護され、敬ってきた歴史のある伝統的な暮らしをする一族で、この集落の人間はほとんどがアジール族なのだという。
その生活は、科学社会な地球の日本から転生してきた俺からしてみると、ひどく原始的に思えるもので、男は主に狩りをし、女は村で農耕をするというある意味で分かりやすいものだった。
村で作れないが必要なものは、他の一族の集落から物々交換で手に入れるのだという話で、貨幣はないのかと聞くと、首を傾げられた。
それは何だ、というわけらしい。びっくりである。
また、集落のある場所なのだが、それは『大きな島の二番目の山の麓』だと言われた。
大きな島とは何か、と聞けば、世界は海という巨大な水たまりの上に浮かんでおり、その上に浮かんでいる大地のことを島という。
そして、この辺りにはいくつも島が密集していて、その中でも最も大きな島に集落があるのだと言われた。
海の概念から語られたのは、そもそも俺が海を生まれてこの方、見たことがなかったからで、一応、驚いた振りをしておいたが、全くの演技というわけでもなかった。
なぜと言って、それを語ってくれた両親の語り方からして、彼らはそう言った島々の他の世界を知らない様子だったからだ。
俺は気になって色々突っ込んで聞いてみたのだが、それによると、彼らは島々の外には出ることがまずないのだという。
ただ、遥か昔、龍討の三英雄という伝説的な戦士がいて、彼らは島を出て、世界を巡り、荒神と成り果てたアジール族の守護神である龍神を倒したという。
その彼らが廻った世界というのは、ここにある島々からずっと遠いところで、そこには“大きな島”よりもずっと大きな大地である“大陸”なるものがあり、色々な人が住んでいるという話だった。
そこで語られた世界というのは、俺がまさにイメージするものだったが、アジール族の人々にとって、島々の外の世界や大陸というのは辿り着けない何かのようだった。
別に勇敢さなどに欠けるところがなく、保守的というわけでもないのに不思議だと思ったが、両親曰く、どんなに行きたくともそこまで至る船がないらしく、どうやっても大陸まではいけないらしい。
しかし、両親の話によれば、優れた航海技術を持つ一族もこの“島々”にはいるという話だった。
それなら、彼らならたとえ小さな船であっても、“大陸”まで辿り着けるのではないだろうか。
そういう質問をすると、両親は、確かにその通りだと頷いたが、しかし、やはり現実的には出来ないのだと言う。
その理由は、両親は実際に目で見たわけではないらしいが、ある一定の海域よりも先に進むと、海が大きく断裂していて、深い滝になっているらしい。
大陸は、その滝の向こう側にあるのだが、船ではどうやっても渡ることが出来ず、他に手段もないので難しいとのことだった。
では遥か昔の龍討の三英雄はどうやって、という話になるが、それは伝説で語られている。
古龍の背に乗せられて、断裂を乗り越えたということらしい。
つまり空を飛んでいったわけだ。
それなら、海が断裂してようと無関係というわけである。
そう言う訳で、アジール族の人々も、この島々に住む人々も、この島々の外の世界については伝説以外にはほとんど何も知らないようだった。
せっかく異世界にきたのに、寂しい話だが、まぁ、そういうことならそういうものだと諦めるほかないだろう。
一生この島々だけの世界で生きていくというのは、娯楽に満ち溢れた世界で生きてきた俺にとって、一見厳しいことのようにも思われるが、実際には意外とそうでもなさそうだ。
というのも、この世界には魔術がある。
地球ではいくら望んでも使えるようになどならない、特殊な技術である魔術があるのだ。
これを研究する、というのは結構面白い娯楽になりそうだと思った。
時間は山ほどあるわけだし、魔術を身に着けることはこのアジール族においてはいわゆる“勉強”に該当する行為で、歓迎される。
その辺のアジール族の奥さんの井戸端会議を聞いてみると、うちの子はあまり魔術に熱心でないだの、うちの子はそこそこ頑張っているようだだの、やれといったらやる気がなくなったと言い始めただの、夏休みの宿題か何かと同様の語られ方をしているのだ。
それくらいに魔術と言うのは重要で、かつありふれているものらしいが、好んでする者は少ないわけである。
その他にも、子供とは言えある程度一人でも活動できるようになった俺には色々とやることが出来た。
まず、簡単な家の手伝いである。
日用品を作ったり、食事を作ったりの手伝い。
村の近くに生えている木の実や薬草採取の手伝い。
そんなものだ。
これは簡単なことのように見えるが、実際は生きていくために必要な知識の伝授であった。
日用品作りはマスターすればそれこそどこででも暮らしていけるようなほど汎用性に満ちていたし、食事作りについては食材の種類や見分け方から、狩りの方法まで多岐にわたった。
それに薬草採取は、まるで薬師でも育てる気なのかというくらいに詳しく知識を伝えられ、これもまた完全に身に付ければ恐ろしく有用なものとなるだろうことはすぐに分かった。
この世界の薬草は、効き目が違っていて、それをもとにした薬の数々はかけたり飲んだりするだけで即座に効いたりするものも少なくなかった。
驚いたのは、指が欠けているアジールの戦士に水薬をかけただけで生えてきたことだろう。
信じられない効力に、俺は絶句したが他の人々は特に不思議そうでなかっただけに、こんなものは至極普通なのだろう。
俺はそれを見てから、俄然、薬草や薬の作り方について勉強する気になった。
というのも、この世界は地球とは異なり、危険に満ちているからだ。
普通の動植物についてはそれほど気にする必要もないのだが、それ以外に人を越える生命体というのが明確に存在している。
それは【魔物】と呼ばれる存在であり、通常の動植物とは異なって、特殊な力を持っていたり、単純に大きさや腕力などが尋常でなかったりして、とにかく危険なのだ。
そんなものがいる世界で、命を守って生きるというのは簡単なことでなく、保険は出来る限りたくさん用意しておきたいと考えるのは、弱っちい現代人として地球で生きてきた俺としては当然の話だった。