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第10話 母の力

 しかし。

 しかし、意外なことに、カシャームの牙は俺のところまでたどり着くことはなかった。

 なぜかと言えば、


「……貴様っ……」


 カシャームの頭部が、俺の目の前に立つ一人の人物によって、わしづかみにされ、止められていたからだ。

 獣人、しかも獅子の獣人の巨体から繰り出された突進を片手で止められる人物。

 そんな存在など、いかに村民のほとんど戦士であるアジール族をもってしても、滅多にいない。

 滅多にいないが……けれど、俺にはその人物に心当りがあった。

 目の前に立つ、その人の髪は長く、しかし嵐によって重く濡れていた。

 黒く塗りこめられたその髪は、まるで淵の暗がりのようであり、またその背中から噴き出ているのは正しく怒りである。


「……母さん」


 そう、それは、俺の母。

 アジール族最強の戦士にして、俺の父ウラガの妻。

 カリハである。

 

 彼女は俺に背を向けたまま、けれど顔を僅かにこちらに向けて、言う。


「……済まなかったな、ミズキ。少し、遅れたよ」


 彼女は無傷だった。

 港の集落の人々を救うため、村を出たはずだが、戻って来たらしい。

 ここから港までの距離は相当離れていて、こんなに短期間で戻ってこれるような距離ではないはずだが、カリハにそれを言っても仕方がない。

 彼女はアジール族最強の戦士。

 したがって、常識はまるで通じない。

 父であるウラガですら、ちょっとどうなのかと思う身体能力を持っていたのだから、母に至っては……ということだ。

 そんな彼女に、俺は言う。


「母さん……父さんが……!」


 傷ついて倒れているウラガに視線を向け、俺がそう叫ぶと、カリハは、


「……なに、あの程度で死ぬような鍛え方をウラガはしていない。後で手当てすれば十分助かる。まぁ、回復にはしばらくかかるだろうが、な」


 と微笑んだ。

 あの傷で、あの出血で、助かるのか……?

 心の底からそう思うも、カリハは嘘は言わない。

 良くも悪くも、現実を見据える人だからだ。

 ウラガが真実、死に至る傷を負っていると理解したなら、彼女ははっきりと言うだろう。

 ウラガは死ぬ、と。

 そう言わないということは、本当に助かると思っているのだろう。

 それで、俺はやっと安心する……。


「……貴様ら……この俺を無視してよくも長々と話せたものだ……!!」


 カシャームがそう叫ぶが、万力のように締め上げられたカリハの拘束から逃れられず、暴れる様はいっそ滑稽である。

 母カリハはそれを見て笑い、


「おっと、すまなかったな。親子の語らいを愛玩動物ペットに邪魔されるわけにはいかなかったのだ。どれ……」


 そう言って、思い切りカシャームをぶん投げた。

 片手で、である。

 このときばかりは我が母ながら、俺は心の底から思った。


 ――化け物か、この人は。


 と。

 実際、彼女は化け物だった。

 ぶん投げられたカシャームは直後、地面に足を突き、そのまま剣を拾って母に向かって斬撃を繰り出してきたが、一切通用しないのだ。

 カシャームが弱い、というわけでは決してない。

 それどころか、彼もまた化け物じみた強さだ。

 剣一振りで突風が吹きすさび、木々に命中すればなぎ倒されていく。

 にもかかわらず、母はそれらの攻撃をまるで木剣の一撃のように自らの剣で軽々と受け止め、弾き、流していく……。


「……ふむ、そろそろ、飽きたな。獣人と言えど、所詮はこの程度よ。沈め」


 鼻を鳴らした母は、次の瞬間、目にもとまらぬ速さでカシャームの懐に入ると、その剣を弾き飛ばし、そしてその腹に剣の柄で一撃を入れた。


「ごあっ……!!」


 カシャームは一言、うめき声をあげると、白目を剥いて、その巨体を地面へと沈めたのだった。

 その様子をつまらなそうな目で見つめたカリハは、直後、ウラガのもとへ走り寄り、それから、


「ミズキ! 先に家に戻って包帯と湯を用意しておいてくれ。私はウラガを運ぶ」


 そう言ったのだった。


 ◇◆◇◆◇


「……母さん。父さんは……」


 囲炉裏の脇で横になっている父ウラガを見ながら、俺が母カリハに尋ねると、彼女は、


「……峠は、越えただろう。コトネーの婆さんもこの男が簡単に死なんことは太鼓判を押していたじゃないか。心配せずとも、大丈夫だ」


 ウラガを家に運び込み、傷の応急処置をしたり、薬師であるコトネーを呼んだりと色々と忙しくした後だった。

 今は、ウラガも静かに寝息を立てており、見かけ上は問題なさそうに見える。

 しかし、ウラガが致命傷を負っているところを目の前で見ている俺には、いつまで経っても不安が拭えなかったのだ。

 こういうところは、この世界に転生してきても、いつまでも前世の感覚のままだな、と思う。

 血や傷にあまり慣れない。

 獲物の解体とかは平気なのだが、流石に家族の致命傷となると話は別なのかもしれない……。


「だったらいいんだけど……あぁ、そうだ。あの、獣人たちはどうなったの? それに母さんも港に行っていたと思ってたけど……」


「あぁ、それについても、もう問題ない。とりあえず港に展開していた奴らの大半は私が倒して転がしておいたからな。あのカシャームとかいう奴はいつの間にかいなくなっていたが、仲間がその辺にいたのだろう。気配もあったし、回収していったのだと思う」


「……そうなんだ。でも、また襲って来たりする可能性は……」


「それもおそらくは大丈夫だ。というか、港で色々あってな。あの獣人たちはそのうち故郷に引き上げる」


「……え?」


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