隣人ナめたら、ダメよ?
武久と光、沙織が部室から出ても、立夏は睡眠をとっていなかった。何をするわけでなく、鞄から本を取り出してただ読んでいた。そんな立夏に、さっきまでパソコンで作業をしていた雪が一枚の紙切れを渡す。
「……部長、これ」
「さすがだな、仕事が早い」
「……調べたら割りと直ぐにでてきましたよ。結構、有名だったみたいなので。さすがに、ネットでは無理だったんで、図書館行きましたけど」
「すまない、手間をかけてしまったな」
「いえ、調べ物するの好きなんで」
受け取った紙を見つめ声を漏らす。
「ーー風見弥生、か」
「……確か武久たちのクラスの転校生ですよね?」
「あぁ、少し見覚えがあったのでな」
「その事を話すために、十川くんたちに部室から早く出るように促したのかい?」
寝ていたはずの朔太郎がムクッと顔を上げる。
「起きてたのか」
「一応、ね。あまりにも立夏が十川くんたちを急かすものだから気になって寝たフリをしていたんだ。その風見さんって子のことは、二年生たちが美人な転校生が来たって騒いでいたことぐらいしか知らないけどね」
朔太郎はそのまま腰をあげ、お茶でもいれるよとティーセットの方へ移動する。
武久と光の付き合いが長いように、立夏と朔太郎の付き合いも長い。お互いの全ての事が分かるわけではないが、大抵のことは知っている。
「藤岡正治って知っているか?」
「市長だっけ?」
「そうだ、風見弥生が藤岡の娘だという疑惑が私の中である」
「市長を呼び捨てって随分だね……」
立夏の相変わらずな言動に朔太郎は思わず笑いがこぼれる。
「でも、仮にそうだとしてどうして十川くんや志田くんには、秘密にするようなことをしているんだい?」
朔太郎の疑問は最もだろう。
この3人で風見弥生に接点がある人間はいない。気になることがあるなら、同じクラスである武久や光に聞くのが一番早い。
「去年の文化祭の準備の時、何回か文芸部で志田や十川の家に行っただろ?」
休みの日にわざわざ制服を着て学校にいくという行為がめんどくさいという立夏の提案で、休日は部員の誰かの家で作業をすることとなっていた。
「やつらの昔のアルバムに、この記事の子供と似た子が写っていた」
「なんだいこれ?……10年前の地方新聞?」
立夏から受け取った新聞を見て、朔太郎は眉をひそめる。
そして、見出しに『お見事、藤岡弥生ちゃん。星宮市こどもピアノコンクール金賞』と書かれた記事を一通り読む。
「なるほど、市長の娘だから書かれたって感じの記事だ。それにしてもよく見つけられたね。すごいよ、柊さん」
「……どうもです」
「それで、どう思う?」
立夏は腕を組み直し、椅子にもたれ掛かる。
朔太郎にしてみれば、立夏の驚異的な記憶力はよく知っている。彼女が自信ありげに肯定しているならば、もちろん答えは一つだ。
彼女はいつも正しい。その事は一番自分が知っている
「確信したわけじゃないけど、立夏の読みは正しいと思うよ」
「……ボクもそう思います」
「そうか」
「一つ気になるんだけど、どうして立夏はそんなに風見さんにこだわっているんだい?」
立夏が風見弥生をどうして気にかけているのか。普段は特に他人に興味を示さない立夏がそうなっているのに朔太郎はどうしても違和感を覚えてしまう。
「別に、そういうことではない。ただ、志田や十川の同級生ならば文芸部に引き込めるかもしれないだろ?」
「昔知ってたからって、今も過去も仲が良いとは限らないと思うけど……」
「今は知らんが、昔は仲がよかったんだろうな。……クスッ」
「その心は?」
口を抑えて笑いを抑えようとするが、どうしても肩が震えてしまう。その様子に、疑問しかでない二人は、不思議そうに顔を見合わせる。
一通り、立夏は落ち着いたところで口を開く。
「私の見た写真、十川が風見弥生と手を繋いでたからな。……あ、もうだめだ」
「ぷくくくく……」
どうしてこの二人が笑っているのか分からない……。
女子二人がこらえきれない笑いを発散している中、朔太郎は一人疑問を解消しきれず困惑する。
「武久が女子と……」
「しかも、今も変わらないアホ面でな」
「クスッ……容易に想像できますね」
「安心したよ。あいつにもそんな時期があったとは」
あぁ、なんだ、この二人。ただ単に彼をバカにしていただけか。僕は何を難しく考えただろう……。いつものことじゃないか。
特に難しいことはなんてなかった。十川くんはいつもなんて不憫なんだろう。
「君たち、もっと十川くんに優しくしてあげなよ……」
朔太郎の悲痛、いや一人のブ男への同情の呟きは二人に届くことがあるはずもなく、虚しく笑い声に掻き消されていった。
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「へっくしょーーん!あ、いっけね。また鼻血垂れてきやがった」
「誰か悪い噂でもしてんじゃない?はい、タオル」
「悪いって決めつけは良くないと思うんだけど……。サンキュ」
俺は今、体育館裏の水のみ場に来ていた。
呆れたような目で、鼻血を水で洗い流すこちらを見る失礼なやつ、もとい寺島と一緒だ。いや、なんで呆れてんだよ、心配しろよ。
「それにしてもどんくさいし、ツいてないわねーあんた」
「どんくさいは余分だ。それになにあれ?あんなの女子が投げていいボールスピードじゃなかっただろ。お前、ドッチボール部だっけ?」
「バスケ部よ!しかも、投げたの私じゃないし!」
「さっき謝りに来た子だろ?俺、自分と同じぐらいの身長の女子なんて久々見たわ。成長期始まって以来ってレベル」
「すごいでしょー、うちの部、期待の新人よ。」
あぁ、すごかった。ほんとにすごかった。人生でバスケットボールが顔面に当たって意識が飛びそうになる経験はそうはできないだろう。
「あと、女の子に対して直接デカいとか言っちゃダメだからね?」
「俺にも、さすがにそのレベルのデリカシーあるつもりなんだけど……」
「どーだか……。でも、なんであんた体育館の近くにいたのよ?」
「部活の勧誘しに」
「一人で?文芸部も勧誘とかするのね」
「光ともう一人先輩がいたんだけどな、光は新入生の勧誘しようとしたらキャーキャー言われて、そのまま食堂に連れていかれた」
「アイドルか、あいつは」
といっても、これは光と一緒にいるとよくあることだ。
去年こっちが勧誘される側あったときも、あいつと歩いていてよく先輩に声かけられていたが(俺はかけられてない)お前絶対勧誘メインじゃないだろというのがほとんどだった。
「光はそれとしても、もう一人の先輩は?」
「見失った。多分、迷子になってるだろうな」
「先輩よね?」
寺島の引きつった表情をするのも無理ない。何せ、俺たちの先輩ということはこの学校に入学して三年目だ。普通に生活を送っていたら、迷子になんてなるはずがない。
厳密に言うと、椎名先輩の場合は迷子というよりは放浪癖があると行った方が正しいかもしれないが。
「女バスの方は結構集まってるみたいだな。いいのか?戻らなくて」
「今日は、体験がメインだし。正直なところ、やることがないのよねー」
「勧誘せずにも、新入部員が入ってくるなんてさすがだな」
「中学からやってたーって子がほとんどだしね。たまに初心者の子とかもいるけど、やっぱ取っ付きやすいのかな」
羨ましい限りだ。文芸部もポンと新入部員が入ってくれれば、俺もこんな目には合わなかっただろに。部員見つかる気しねぇし。
「でもその代わりに、レギュラー争いも激しくなっちゃうから頑張らないとね!」
「今、試合出てんのか?」
「レギュラーじゃないけど一応、ね。控えで出してもらってるって感じかなー」
「それでも、すごいんじゃないか?」
40人近く部員が所属していて、その上で上級生がいる中でそうだとしたら十分だと思うが、寺島の野望に満ちたような顔はそうは思ってないのだろう。
「わかんないや。私はただ、目の前のことに精一杯だからね。あんたや光みたいに器用にできる訳じゃないし。ほんと、そういうとこは羨ましい」
「光はともかく俺は器用ではないぞ」
「器用だよ、ほんとは頑張ってること誰にも言わずいれるとこが」
ふと、中学の時のことを思い出す。
そういえば、あのときは朝早くから熱心にサッカーの練習やらをしてたっけか。器用でもなんでもなくあいつの隣にいたかっただけかもしれない。
「あなたにバレてるんですけど、それは……」
「ふっふーん。隣人ナめたら、ダメよ?」
俺の妙な罪悪感とは裏腹に手を後ろに組んでひまわりのようなひたむきな笑顔を見せる彼女に、一瞬見とれてしまった。大抵の健全な男子高校生なら恋に落ちてしまってもおかしくないはだろう。女の子にこんな顔見せられたらドキッとしてしまう。しかも、隣人ときたものだ。
俺だって、もしも初対面だったら好きになってるかもしれない。だから
ーーーー寺島は、良い友達なんだ。
本当にこんないい奴は他にいないだろう。
「じゃ、練習戻るね」
「あ、あぁタオルありがとな、洗って返すわ」
「うん」
寺島が足早に体育館に戻るのを確認して、俺は熱くなった顔を冷やすようにもう一度冷水に頭を晒す。脳が冷えていくのを感じるのが妙に気持ちいい。
少し笑顔を見せられただけでこんなに鼓動が早くなるのは、俺に耐性がないのが原因に違いない。
次はいつ投稿しようか
つぎはなるべく早く