さよなら
「さようならの代わりだよ」
彼が手に持った果物ナイフが首筋に当たる。その冷たさはまるでわたしたちの冷え切った関係みたいだ。
痛い、とは思わなかった。彼の顔の返り血を見て最後に何か気が利いたことを言えないかと思いを巡らす。
「果物ナイフって意外と切れ味いいんですね」
それがわたしの精一杯だった。微笑を浮かべていた彼の顔が一瞬歪み、すぐに元に戻った。
「果物ナイフって、じゃない。この果物ナイフって、だよ。昨日砥いだんだ」
目の前にあるのは彼の靴。いつの間に倒れていたんだろうか。視界がブラックアウトした。このまま死ぬんだなと思うとなんとなくこの世界を愛おしく感じた。薄れゆく意識の中で彼が何か呟くのが聞こえた。
「僕は君を愛して幸せだったよ。…………なんて、もう、伝えられないね」