カラスの十字架
喋らないでしょ、とかは言いっこなしでお願いします。
とある荒れ地に、カカシがいた。
口角が目一杯上がった満面な笑みを浮かべる頭の中には布の切れ端が詰め込まれている。Tシャツやトレーナーなどを定期的に着替え、木で出来た十字架のような身体を包んでいる。どんな服装に着替えても、お気に入りの麦わら帽子は欠かさない。
そんなカカシが、荒れ地に立っていた。
ここに来てから随分経つ。昔は田畑を変えて移動もしたが、最近はずっと同じ場所にいる。何年も何年も、ずっと同じ場所に立ち続けている。ここに来た時は守るべき作物もあったが、作物を育てていた人がある日を境に来なくなり、作物は枯れ、畑だったこの地は荒れ地となった。昔はおしゃれも楽しめたのだが、作物を育てる人が来なくなってからは服を着替えることも無くなった。たまに酔狂な見知らぬ人が「古着を着こなすカカシとなれよ」と着替えさせてくれたが、最近ではそういうことも無くなり、Tシャツに麦わら帽子と随分ラフな格好が定着した。
守るべき物も無くなり、唯一の趣味と言えたおしゃれもできなくなり、ずっと同じ場所に立ち続けている。都会の街中に立っていれば面白いモノも見られただろうが、生憎と田舎町、人の通りもまばらな道路を眺めるだけ。
「はぁ。今日もまた、つまらない一日が始まる」
カカシは、顔は笑っているが、嘆くように呟いた。
利用価値の無い荒れ地に立つカカシは、幸か不幸か人の邪魔にならない。だから、すっかり田舎町の風景として馴染み、撤去されることも無い。
いっそ壊してくれたら、退屈な毎日の中でそう思うことは少なくなかった。
無限のような退屈から抜け出せるのなら、いっそ壊してくれ。
「もしも~し」
寝ていたカカシが誰かに声を掛けられた。
夏の暑い日に麦わら帽子を被っているとはいえ、ずっと外に立っていたのだ。暑さにやられたのかもしれない。そう考えたのは声を掛けたモノだけで、カカシはただ、暇だから寝ていたのだ。
「う~ん…」
まだモヤのかかったような意識を目覚めさせ、カカシは、声のした方を見た。
カカシの腕の上、そこにいたのはカラスだった。
「お、よかった。無事だったようだね」
カカシの意識があることを確認すると、カラスはホッと胸をなでおろした。
まだ子供のカラスは、純粋であるが故に心配した。そして子供であるが故に、知らなかった。
「ところで、ここで何してるの?」
「私は、カカシだ」
そう言われ、カラスはハッとした。
カカシとは本来、作物を鳥などの被害から守る為に作られる。カラスも、親ガラスからそう聞いている。「人間のフリをして、我々が近付かないように監視しているのだ。つまり、カカシであると見極められれば、恐れることはない。だが、稀に近くに人間もいて、我々に攻撃してくることもあるから気を付けろ」と、忠告もされていた。
それを思い出したカラスは、もしかして危険かもしれないと考え、周囲を警戒した。
そんなカラスの様を見て、「案ずるな」とカカシは静かに言った。
「ここは荒れ地だ、作物など無い。守るべき物がなければ、攻撃してくる者もいない」
カカシにそう言われ、「確かに何も無いな」とカラスは足下を見下ろした。
「えっ?だったら何であんた、ここに立っているの?というか、あんたがカカシなら、俺ってここにいていいのか?」
知らない事が多い子供のカラスは、その後も質問を繰り返した。
その質問に答える前に、カカシはフッと微笑した。
「おかしなヤツだ」
その日、カカシは久しぶりに心を感じた。
久しぶりに、表情と感情が一致した。
カラスが質問すると、カカシはそれに答える。
「ここは畑なの?」
「いや。かつてはそうだったが、今は荒れ地だ。作物を育てる様な力、もうここの土にはあるまい」
「あんたは何でここに突っ立ってんの?」
「カカシとして、だった。今は、その名残とでもいえばいいのかな」
「あんた、笑った顔しているのに 随分と無表情というか、無感情に喋るな」
「そうだな。こういう顔に作られたから、そればかりはどうしようもない」
色んな事を知るというのは、まだ子供のカラスにとって楽しい事だった。
だから、もっと話をしようと思ったのだが、日が暮れてきた。
「やばっ。そろそろ帰らないと」
そう言うと、タッタッと跳ねる様にしてカラスは回れ右した。
羽をバッと広げたのだが、何かを思うと羽を閉じた。
「ん?」
その様を不思議に思ったカカシが見ていると、カラスはまたタッタッと跳ねる様にして振り返ると「なぁ」とカカシに言った。
「また来ていいかな?」
そう聞いたカラスの表情には、不安の色が浮かんでいた。
自分たちカラスのようなものが近付かないように作られるカカシだ、「今日は特別だ。二度と来ないでくれ」と拒絶されるかもしれない。そう思うと、怖かったのだ。
「ああ、いつでも来るといい」カカシが言うと、カラスの顔がパァッと明るくなった。「私は よほどのことがない限り、ここにいる。だから、いつでも来なさい」
「うん」
そう元気よく返事をすると、今度こそカラスは帰った。
久しぶりに楽しい一日だった、カカシは声に出さないが、カラスに感謝していた。
この日を境に、カカシの日常は変わった。
退屈な日々が、楽しい日々となった。
カラスは色んな事を質問し、長い年月を生きることで知識が豊富となったカカシが質問に答える。月日が流れると、そんなやりとりだけではなくなった。空を自由に飛べるカラスが世界を見て、そこで見たこと知ったことを、物語の様にカカシに話した。他にもたくさん、たわいのない会話をする。
カラスと話している時間は、楽しかった。
それに、成長していくカラスを見られることが嬉しかった。同じような日々を繰り返していたカカシにとって、カラスの成長は、月日の流れを感じさせてくれた。
無限のような退屈から抜け出せるなら、いっそ壊してくれ。毎日のようにそう思っていたカカシだが、カラスと出会って以来、一度もそう思わなくなった。
「どうしたんだ、その傷は」
すっかりカラスが大人ガラスとなった ある日、いつものように腕にとまったカラスが怪我を負っている事に、カカシは気付いた。顔は笑っているが、声には心配が滲んでいる。
「いや、なに」羽を広げて赤く滲んだ腹部を見て、「少しヘマしただけだ」と何でもないことの様にカラスは言った。
「人間に、やられたのか?」
「ん、まぁ」
カラスが答えると、しばしの沈黙が流れた。その気まずい沈黙を破り「おかしいな」とカカシは言った。
「長いこと荒れ地に立たされ続け、カカシとしての矜持とでもいえばいいのか、使命はすっかり忘れてしまったらしい。いわば君たちの敵として作られた私が、君が傷つくことに悲しみ、人間を憎んでいる。おかしなことだ」
そう言うと、カカシは自嘲気味に笑った。
「顔は満面の笑みで そういう風に笑うのは、確かにおかしいな」
カラスは言ってみたが、たいして面白いと思える気分ではなかった。
いつものように他愛無い会話を楽しもうと思っていたカラスは、今のこの重い空気から逃げようとした。しかし、羽をバサッと広げた時、不意に「君は強いな」とカカシに言われ、羽を閉じた。
「強い?」とカラスは聞き返す。
「ああ。どんなに周りから煙たがられようと、君は君らしく生きている」
「その分、苦労も多いけどな」
と、カラスは自分の怪我をくちばしで指した。
「そうだな。だが、君は自由に空を翔ける。どんなに傷を負おうとも、自由に生きる。怪我の恐れも無く ただ立っているだけの私には、君の姿は美しさを覚える程に強く見えるよ」
静かに語られる言葉には、嘘や冗談が感じられない。
だから余計に、カラスは気恥ずかしく感じた。
「なっ…意味分かんねぇこと言ってんなよ」
そう言うと、カラスは逃げる様に帰っていった。
そのカラスの様を見て、カカシは満足そうに頷いた。
翌日の昼過ぎ。
カカシの所へ、口にヒモをくわえたカラスが来た。
「どうしたのだ、それは?」
不思議そうに訊ねるカカシに、「へへっ」と笑ってカラスは答えた。
「昨日、あれから考えたんだよ」
「何を だ?」
「あんたに自由を与える方法」言いながら、カラスは行動を起こしていた。工場現場から無断で拝借してきたヒモを、くちばしを器用に使ってTシャツの袖から袖へと通す。「くすぐったいかもしれないが、少し我慢してくれ」そうして服の中に通したヒモの両端をくわえたまま、カカシの頭に乗る。「ちょいと失礼」トントンと跳ね、麦わら帽子を深く被らせる。
これで準備は整った。
カラスのしようとしている事に察しがついたカカシは、「君に出来るのか?」と訊いた。
「任せろよ」声に自信を滲ませ、カラスは答える。「あんたと出会った頃のガキのままじゃない。俺だってもう立派な大人ガラスだ。あんたひとりを抱えて飛ぶくらい、わけないぜ」
そう言うと、カラスは羽を広げた。
バサッ、バサッと何度も羽をはばたかせ、空へ飛び立とうとする。
しかし、カラスは飛び立つが、すぐに身体が空へと上がっていかないのを感じた。地中深くに足をうずめたカカシの身体が、なかなか持ち上がらなかったのだ。
だが、それでも諦めずに羽をはばたかせ、必死に空へと向かっていくと、徐々にカカシの身体が持ち上がってきた。もう少し、もう少し、そう自分に言い聞かせ、カラスは飛び上がった。
そして、カラスと一緒にカカシも空を飛んだ。
木よりも高く、空高く、遮るモノの無い自由な空を飛んだ。
「どうだ?」
達成感と満足感を顔に浮かべ、嬉しそうにカラスは訊ねた。
「ああ」身体を通り過ぎるのではない、自分の身体で切る風の感覚。動かない場面で動くモノを見るのではない、常に動く場面で動くモノを見る感覚。自由という感覚。それらは全て初めての感覚だった。カカシは満足そうに、だが静かに「素晴らしい」と言った。
そろそろ帰ろうか、そんな時だった。
コツンッとカカシの足に、何かが当たった。
それは、小石だった。
「やっつけろ!」「悪カラスだ!」
そんなカラスを非難する声と一緒に、小石が次々と飛んできた。
「うおっ!やめろ!」
慌ててカラスは、小石を避けた。
小石を投げているのは十歳位の男の子たちだった。ランドセルを背負っているから学校帰りなのだろう、下校中の彼等は、カラスがカカシを運んでいるという思いがけない場面に遭遇した。彼らからすれば、盗んでいるようにも見えたのだろう。カラスの悪企みを阻止しようと、投石攻撃を始めた。
「やめろよ!」
必死に飛んでくる石を避けながら、聞こえるはずもない抗議の声を、カラスは上げた。
だが、攻撃は止まない。
子供たちの中にあるのは、正義感ではない。悪者をやっつけてやる、というゲーム感覚で石を投げ続けた。
そして、誰かの投げた小石が、カラスの治っていない怪我を負った腹部に当たった。
その痛みに顔を歪めたカラスの口から、瞬間 力が抜けた。
「やったぁ!」子供たちの歓声があがった。「カラスがカカシを落っことした!」
それまでずっと噛みしめる様にくわえていたヒモを、カラスは落としてしまった。
羽を持たないカカシが、地面に落ちてくる。
地面に叩きつけられた瞬間、麦わら帽子が外れ、宙に舞った。
カカシは、壊れてしまった。いつもカラスが乗っている地面と平行に伸びた腕は、胴体と垂直ではなくなっていて、服の中を確認しなくとも二本の木が離れているのが分かった。長年 雨風にさらされていた身体は既にボロボロで、地面に叩きつけられた衝撃にはとても耐えきれなかった。腕も足も首も、バキバキに折れてしまった。
それまで楽しそうに石を投げ、落ちてきたカカシを見ては喜んでいた子供達も、今のカカシの無残な姿を見て罪悪感を覚えたのだろう、表情を曇らせた。そして、誰ともなく「俺達が悪いワケじゃねぇし」「どうせカラスに盗まれただろうし」と口々に言い、その場から足早に立ち去った。
身体はすっかり壊れてしまったが、まだ意識はあった。だが、それもすぐに失うのだろう、そう自らの最期を悟ったカカシは、空を見ていた。
初めて見上げる大空は、綺麗な青空だった。
そんな白い雲さえない青空に、黒いカラスの姿が見えた。
一気に降下してカカシの横に降り立ったカラスの眼には、涙が浮かんでいた。
「ごめん…俺のせいで…」
その震えるカラスの声を遮ったのは、「いいのだ」といういつもの落ち着いたカカシの声だった。
「むしろ、謝るのは私の方だ」
「えっ?」
「私は、君の優しさを利用した。私が自由への憧れを口にすれば、君は私に自由をくれるだろう。そして予想通りの方法で、君は私に自由を感じさせてくれた。しかし、君はカラスで、私はカカシ。人間の眼から見れば、君がまた悪さをしているように映るだろう」
「じゃあ、こうなることがわかって…?」
「ああ。私は、いつか君を失った時、そんな世界では生きていたくない。目的も何もかも失い、辛い退屈な毎日をただ送らねばならない私の前に、君が現れた。それからの日々は、とても幸せだった。本当に心から笑えた。だから、君を失い、また表情と感情の合わぬ あの日々に戻るくらいならば、今の笑ったままで死にたい」
カカシは、カラスに笑いかけた。
君は悪くない。本当に幸せだった。悲しまないでくれ。それらの想いを伝えたくて、満面の笑みで笑いかけた。
「君を利用してしまった。どんなに謝罪の言葉を重ねようとも許されることではないと分かっている。だから、ひとこと言わせてくれ」
俯いていたカラスは、その声に反応して顔を上げた。
「ありがとう」
その言葉を最後に、カカシは喋らなくなった。
カラスは静かに泣いていた。
その場から動かず、黙って泣いていた。
その時、それまでユラユラと風と戯れる様に空に浮かんでいたカカシお気に入りの麦わら帽子が、カラスの足元に落ちてきた。
その麦わら帽子を見て、カラスは涙を止めた。
麦わら帽子のつばをくわえ、カラスは飛び立った。
「あ、見て!お父さん」
散歩中に何かを発見した小さな女の子が、太陽の眩しさに目を細めながら、父の手を引いた。
なんだろう、と娘の指差す方を見た父親は「ははっ」と笑った。
「風のイタズラかな?」
そこには、教会があった。
教会の屋根、空に向かって立つ十字架の先端に、麦わら帽子がかかっていた。
「カラスさんもとまってる」
「ほんとだね」
「さっきの田んぼにあったカカシさんみたい」
女の子がそう言うと、十字架の腕に乗っていたカラスが飛び立った。
カカシが何年も同じ場所に立っているはずはない、服の着替えはどうするの、カラスの力 どんだけ~、とかも言いっこなしでお願いします。