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 トルムの制度が始まってから初めて、医師免許を剥奪された医師が出た事がニュースで報道された。山口良平医師。トルチルコミュニティでは一気に話題になった。

 殺人者なのか? 救世主なのか? 議論は白熱し、それぞれの意見を持つサークルが、毎日ネット上でディベートを繰り広げていた。

 私はそれをぼんやりと毎日、眺めていた。私もトルチルで、寿命は八十歳。一般的な女性の平均寿命とほとんど変わらない。母に、この年齢設定にした理由を聞いた事がある。

「長生きしすぎても、短命でも、周囲が辛くなるだけなの」

 だそうだ。どういう事かと考えた。例えば幼くして死んだら、親は「自分より子供が先に逝ってしまった」と言って悲しむだろう。自責の念にかられるかも知れない。守ってやれなかった、と。一方で、例えばトルムの最高齢百二十歳まで生きるとしたら、介護する人間は大変だろう。私自身、もし結婚して、子供や孫ができた時、子供や孫よりも長生きする事に、罪悪感を覚えるかも知れない。そうならないために、親が設定してくれた年齢が、八十歳という事だ。

 先日、同じ大学に通う高校からの同級生、峰山光輝君が、二十歳という若さで亡くなった。死因はトルム変異による多臓器不全だった。本人にはトルチルである言は知らされていなかったようで、峰山君の親はマスコミに叩かれていたし、トルチルコミュニティでも話題になった。

 光輝君には好きな人がいた。同じ学科の小松まひろという女性だった。私は彼に、小松さんとどうしたら付き合えるか、と相談されていた。彼がトルチルと分かっていたら、それが二十歳の設定と分かっていたら、「当たって砕けろ」とでも言って、一日でも早く、幸せな目に会わせてあげたかった。しかし私はそれを知らなかったから、光輝君と小松さんが付き合う事になるのが一日でも遅くなればいいと思っていた。自分の器の小ささに辟易する。

 私は峰山君の事が好きだった。

 後日、大学の構内で見かけた小松さんのやつれ具合といったら、酷い物だった。どうやら死に場に居合わせてしまったらしいのだ。私は、彼の最期を看取ってあげられた小松さんを羨ましく思うのだが。まぁ、トルチルである事を知らなかった訳だから、いきなり彼が倒れたら、落ち着いてられないか。

 トルチルコミュニティは、男女の出会いを目的としている人が多く集まっている。トルチルは結婚するのに不利な条件なのだ。しかし私のように、日本人の平均寿命に近い設定の場合は別だ。今付き合っている医学部の木下君は、医者になったら私と結婚すると言っている。医者の嫁になって、平均寿命で人生を終える。結構幸せな生き方のように思う。


******


五十九年後


 玄関先で気を失った事は覚えている。ついに人生が終わりを告げるのだと思った。

 だがどうだ、目を覚ましてみると、眼前に見えたのは白い天井。私の周囲を覆うのは娘とその婿、孫、そして「医院長」という名札を付けた夫。

「まだ息があったか」

 夫はそう言い、私の手を握りしめる。

 息苦しく、胸を締め付けられるような痛みが襲い、顔をしかめる。声を出そうにも喉が張り付いたようになってしまって声が出ない。

 ただただ白一色のベッドに横たえられるだけで、医療的な措置は一切されずにいた。

「おばあちゃん、死んじゃダメだよ、あと半年は生きていられるかも知れないのに」

 孫の言葉を聞き、彼の頭に手を伸ばそうとするのだが、力が入らない。その横で、娘がハンカチを手にして涙をぼろぼろ流している。暫く、沈黙の時間が流れた。

 私の胸苦しさはどんどん増してきて、横になっているのも辛くなり、身体をくの字に曲げた。

「お母さん!」

 叫んでしゃがんだのは娘で、私の顔の目の前で、大きな声で言うのだ。

「誰だって、自分の親には一日でも、一時間でも、一分でも長生きして欲しいの! だから、死なないで! 生きて!」

 それでも私はトルムによって寿命が操作されたトルムチルドレンなのだ。これから死に向かって流れて行く事は決められた事で、一分単位での長生きだって、自分の力ではどうにもできないのだ。

 私がトルチルでなかったなら。八十歳で今と同じように病院で死の淵に立たされていたのなら、口には酸素吸入がなされ、気管挿入もあったかも知れない。心電図がモニターされて、点滴もされているかも知れない。一分、一秒でもその命の火を長く灯させるための努力が、他人の手でなされていたかも知れない。そして一命を取り留めたとき、娘も孫も、そして夫も、胸を撫で下ろすのだろう。

 何もできないまま、そこにいる人間が死んで行くのだ。彼らにとっては辛い現実だ。ふと、大学の時に死んだ峰山君の事を思い出した。彼が死ぬとき、小松さんは何もできなかった筈だ。辛かっただろう。人間の死に直面し、何もできないまま眼前で、命の灯火が消えて行くのをただただ見ているだけなのだ。

「お母さん......」

 しゃがんだままの娘に声をかけられる。耳にフィルターでもかかったように、遠く聞こえる。

「お母さん、逝っちゃダメ。まだダメだよ」

 それでもプラマイ期間の後半で死ねる私は、長生きをしている方なのだ。

 苦しい。息ができなくなってきた。夫に握られた手に、無意識に力が込められる。握り返されるのが分かる。彼の目には、光る物が浮かんでいた。

 こうして家族に囲まれて最期を迎えられる事は幸せな事だ。しかし、一分一秒でも長く生きてくれと言う娘達の希望に添ってやれない事が唯一の悔いだ。

 声は出ない。口だけは動かした。


「ありがとう」

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