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「ラグナロク開戦って言っても実際、学業は捨てれないよねー」
「まあな」
「あーあ、授業中にだれか強襲してこないかなー」
「嫌な事言うなよ……」
いつも通りの教室。いつも通りの日常。
如月は暇そうに柏真に話しかける。
柏真はそんな物騒な如月の会話を軽くあしらう。
開戦したからといっても今はまだ都道府県別予選の段階。人々の関心は高くはない。
テレビや新聞などのマスコミの報道も予選が終わってから本格的なものになる。
それまでは陰日向で頑張るしかないのだ。
「何時に開戦だっけ」
「一応十時」
「じゃあ、あと三分くらいだね」
「ま、いきなり戦争始めたりはしねーだろ」
「だよねぇ、そんな馬鹿いるはずないもんね」
時計の針が動いた。あと二分で開戦。
柏真と如月は教師の話を全く聞かず、勝手に会話を進める。
そんな柏真と如月を教師はうるさいと言わんばかりにちらちらと見る。授業中に会話をする生徒は教師として見過ごせないのだろう。
しかし、ラグナロクに参戦する理事長の目にかかった生徒。たやすく叱ることができないのが現状である。
少なくとも柏真はそんな怪物的な生徒ではないが。
もしこれが妃央や深早の場合ならとんでもないことになる可能性は高いが。
教師は少し柏真と如月を気にしながらも黒板に文字を書き進める。
カツカツ、とチョークで文字を書く音とふたりの小声での会話だけが静かに響く。あと一分で開戦。
黒板に文字を書き終えると、教師は教科書を読んでいく。
「あ、十時」
「本当だ」
ついに時計の針は十時丁度をさした。
十時を待っていたかのように、外が騒がしくなる。
まるで喧嘩でも起きたような喧騒がこの階を取り巻く。
そしてよく聞いた事のある声音が廊下に響く。
「さあ、始めよう、戦争だ!」
高圧な台詞にメゾソプラノの音。
柏真も如月もよく知る人物の声だった。
喧騒が気になり、柏真達は教室を飛び出す。
遠くからでもわかった。廊下に当然のごとく居たのは泡良妃央。
この学校からラグナロクに参戦する「Eternal・Rain」のオーダーマスターだ。
その妃央と向かい合っている少女達がいた。
リーダー格のような少女は髪を縦にカールさせており、いかにもなお嬢様。
「今ここで叩きのめして差し上げますわ。覚悟なさい、Eternal・Rain!」
そう叫ぶ。柏真と妃央の教室は結構離れている。それなのに柏真達の場所まではっきり聞こえるとは。かなり大声だ。
宣戦布告をした少女は部類的には妃央とそっくりだ。
妙に威圧的でリーダーシップのある少女。
柏真達は妃央達の方へ向かおうと走った。
「うわっ!」
もう少し、というところで柏真と如月の目の前で飛び散る硝子の破片。
砕け散ったそれに囲まれるように倒れているのはひとりの男子生徒。
血だらけになって蹲っている。
その硝子の破片の持ち主である教室から出てきたのは桃色の髪を垂らした少女。
相当怒っていらっしゃるようで、目は痙攣したように動き、瞳孔が開いている。
柏真も如月も良く知る人物。「悲鳴奏者」の槇下結未華は野太刀を肩に担いで現れる。
「ったく……何だってんだ!」
「結未華ちゃん、どうしたの?」
「こいつがいきなり私に斬りかかってきたんだよ」
苛々を隠しもしない口調でことを話す。
「まあ、あれしきのことでは倒れませんのね」
「てめえか……! ゲームでぶちのめしてやる! 戦争だ!」
結未華は今にも拳を振るいそうな表情で少女を睨む。
結未華は普段は凶暴で乱暴だが、汚い手段というものを嫌う人情味のある娘だ。
いきなり刺客を送り込まれて、結未華が怒らないはずがない。
「妃央先輩、東兄妹連れてきましたっ!」
「よし。準備は整った。さあ、やろうではないか」
昇降口から出てきたのはEternal・Rainの伊江識恋空。
妃央に言われたままに降りてきたのだろう。その後ろにはEKOの東兄妹も一緒だった。
東兄妹はやれやれと話を進める。
「今回のゲームはクインテッドで行われるフラグスクランブルです~」
相変わらずの腑抜けた声質で、脱力感の溢れる少女、もとい東恭子。
恭子は大きな水色のメッセージバッグから色とりどりの五本の旗を取り出した。
三本を兄の恭平に手渡す。
「フラグスクランブルは私たちEKOが隠した五本の旗を見つけて奪い合うゲームです。EKOは私達ふたりです。制限時間は五十五分。一チーム五名まで選抜してくださ~い」
「私たちは五名決まっておりましてよ。さあ、早くメンバーを選出してくださいまし」
常に上から目線らしい高飛車な少女は余裕そうに髪の毛を弄る。
妃央はフン、とそれを鼻で笑い流し、勝手に宣言。
「こっちだってメンバーはもう決まっている!」
「…………わかりました~。Eternal・Rainは妃央先輩、高種先輩、光先輩、槇下先輩、恋空ちゃんの五名の参加となります。私達はこれから旗を隠してきますんで、暫くお待ちください~」
走って目の前から消える恭子。
恭子が居なくなると、妃央は敵オーダーの少女に目をやる。
「メデューサ」泡良妃央に睨まれても動じないとは大した根性の持ち主というか天然ボケしてるのかもしれない。
慌て怯えるどころか、睨み返してくる。まるでフフン、と笑うかのように。
「あらら~もしかしてもうゲーム始まった?」
「はじめ、」
暢気に現れたのはE・Rの騎士である一一一。
敵に目をやり、情報を思い出すかのように直視する。
彼の頭の中には何百何千という情報がインプットされている。騎士の情報も例外ではない。
「仙桃寺綾子……警視総監を父に持つ『正義の犬』。こりゃまた面倒な物件だな」
「誰だろうと関係ねえ。ぶっ殺すまでだ!」
「何ですか、その下品な言葉遣いは! 女性たる者、上品であることを心掛けなければ!」
仙桃寺綾子は敵の結未華に対して酷く怒りをぶつけた。
対して結未華は面倒臭そうに溜め息を吐き、それから綾子を睨みつけた。
「メデューサ」に劣らず勝らずなその目つきは、普通の人間ならば汗を垂らす事も億劫になるだろう。
それにも恐れも畏怖の挙動も見せない綾子。――真に強いのかただ鈍いというだけなのか。
「あたしの性格に文句言われる筋合いはない。仁義を背負う者が犬に噛まれて誇り捨てるわけにはいかねぇ」
警察官の、それも警視総監という最高位の人間を父に持つ仙桃寺綾子と関東最大のその筋における頂点を父に持つ槇下結未華。
両者の立ち位置はまさに正反対であり、お互いにお互いを快く思っていないだろう。
さらに双方がその職に誉れを持っているとなれば更に険悪さは増すだろう。
「おーっほっほっほ! 宜しいですわ、正義の名の元に、貴方を捕らえてみせましょう!」
「警察の娘と名乗れないように叩きのめしてやる!」
ゲーム開始前からふたりは火花を散らしていた。
周りは当然の如く置いてけぼりである。
頃良く、東恭子が走って柏真達の元へ戻ってきた。
オーダーと人数を確認すると、恭子は口元へホイッスルを持っていった。
「制限時間五十五分! 大いに取り合ってくださーい!」
甲高いホイッスルを鳴らすと、ゲームに参戦した騎士はあっという間に消えた。
五十五分間の小さな初陣が、たった今、始まったのだ。
* * *
「旗なんてどこにあんだっつーの」
柏真はこの広い東宮学校を走り回っていた。
ただの旗探し。されど旗探し。
科学研究室に入り、片っ端から戸棚を漁る。
ガチャガチャとガラスの擦りあう音が壊れないか、不安な衝動に駆られる。
しかし時間は五十五分。長いようで意外と短いのだ。
とにかく、ひとつでも旗を見つけなければ。
妃央や槇下は旗そっちの気で敵に攻撃を仕掛けている可能性も高い。
ビーカーや三角フラスコの棚から光学顕微鏡が収められている棚に移動し、大まかに探し始める。
すると、あっさりと二等辺三角形をした赤色の旗が見つかった。
意外に探すのは簡単かもしれない。
静かに棚の戸を閉める。
「あ」
「あ」
指をさされる。敵に見つかった。
指をさしたその後には、すぐに敵は攻撃へと行動を移す。
柏真の頭の中で、自分が囁く。
勝ちを守れ、と。相手を倒す事は二の次であると。
「くっそ!」
「<古に溢れしものよ、闇の血のもとに映せ>、<Doppelganger>」
柏真は敵から遠ざかる。
敵から遠ざかる柏真の前にゼリー状の液体が不気味に形を形成していく。
それはだんだんと人の形を模ってきており、何かにとても似ている気がした。
正面にいる。――高種柏真そのものにゼリー状の奇妙な物体が全く同じ姿で現れたのだ。
まるでクローンやレプリカのように。同じ人間が二人いる。
<ドッペルゲンガー>は柏真の復元で召致された武器である雷を腕に走らせている。
そしてその腕で柏真を思い切り叩き斬ろうとしたのだ。
「あー、どうすりゃ良いんだよ、これ!」
柏真は慌てて旗をズボンのポケットに仕舞おうとした。
しかし焦りからか、旗は上手くポケットに滑り込まず、手から零れ床に落ちてしまった。
「……っ!」
「貰った!」
すかさず相手に取られる赤色の旗。
敵は<ドッペルゲンガー>に柏真を任せて遠くへ逃げる逃げる。
柏真は<ドッペルゲンガー>をすぐ振り切れず、追いかけることは出来なかった。
「だああ!」
何とか<ドッペルゲンガー>を押し切った。
しかし、旗を持ち、逃げた敵はもう見当たらない。
だが探すしかない。EKOも校内をうろうろしているため、運が良ければまだまだ旗を渡していないだろう。
科学研究室から出、辺りを見渡す。
「柏真」
「あ?」
出来ればこの状況で会いたくなかった。メデューサの異名を持つ泡良妃央。
しかし彼女の手にも旗と思しき物はなく、若干心の中で安堵した。
頬に切創。赤い血が薄く傷口を照らす。
「何をやっている」
「いや、旗探してたんだけど……」
「そうか。暢気なことだ」
「……傷」
柏真に指をさされて初めて気づいたのか、傷口に触れた。
しかし、大して気になってはいないようで、表情も大げさに変わることは無かった。
「傷という程のものでもあるまい。下らんことを気にしないで旗探しに尽力しろ。……ではな」
そう吐き捨て、妃央は柏真の前から立ち去ろうとした。
「あ、……妃央」
何かを言わなければいけない気がし、柏真は思わず大声で呼びかけてしまった。
妃央は振り向きもせず、「何だ」と答えた。
「約束、は守るから」
静かな沈黙の後、妃央の足音がこつん、と鳴った。
「当然だ」
* * *
慌てて探す。旗がEKOに渡ってからでは遅いのだ。
このゲームはただ敵を倒せばいいわけじゃない。
最も優先するは旗の命。
バヂンッ!
何かが破裂する音。
音のほうを振り向くと、先程の男とは違うが、旗を持った少女の姿。
足をおさえて、渋った顔をしている。
少女の足首に纏わりついていたのは、黒色の炎。
恐らく誰かがトラップとして仕掛けていたものだろう。
柏真はその少女に近づき、手にしっかりと握っている旗を奪い取ろうと目論んだ。
しかしその瞬間、柏真を警戒した少女は柏真を睨みつけ、永遠詩を口にする。
「<古に溢れしものよ、水の血のもとに封じよ>、<水牢>!」
柏真の周り一帯を水の牢が囲む。
酸素もなにも入っていない水の中に柏真は閉じ込められる。
しかし少女は大きな過ちをしていた。
高種柏真という男の属性を把握していなかった事。
柏真は少女の腕を無理やり掴むと、水の中で永唱する。
「<古に溢れしものよ、雷の血のもとに飛べ>、<千鳥>」
金色をした鳥は腕を伝って体中に昇っていく。
水に濡れた身体は電気を通しやすい。
それはもう滑稽に少女は感電する。
一歩間違えれば殺人になりやすい雷は、注意して扱わねばならない。
放心状態になった少女の技が解かれると、柏真は水の牢から解放された。
そして少女が握っている旗を取った。
「うっ……あ、」
「悪いなー、旗貰ってくぜ」
「あんた、たち……綾子を甘く見てると痛い目に遭うわ……」
仙桃寺綾子。
柏真も名前と顔は知っていた。「正義の犬」という異名で知られる彼女は校内でも有名だ。
正義という謳うに恥じぬくらいの実力を持っており、数多の不良達を何人も警察送りにしてきたという。
この町では名の知れている方だろう。
しかしそんな人間が「Eternal・Rain」にゲームを仕掛けてくるとは思いもしなかった。
彼女は高校三年生。柏真達よりもひとつ年上だ。
「あ、高種先輩」
「お前、EKOの……」
「旗は持っていますか? 持ってるなら渡すチャンスっすよー」
「ああ、ほらよ」
声を掛けて来たのはEKOである東恭平だった。
内心、急に声をかけてきた恭平に驚いていたが、柏真は平常心を装いながら旗を渡した。
この時点でいくつの旗が自分達のものになっているのかはわからないが、とりあえずひとつは確実なものとなった。
恭平は旗を受け取ると、思い出した様に話を切り出した。
「現在、Eternal・Rainの旗はひとつです。そして正義の門番の旗はふたつです。早くしないと犬に全部取られちまいますよー」
「マジか……のんびりしてられねぇな。――じゃあな」
「お気をつけて」
旗は全部で五つ。
後ひとつでも取られれば負け。
柏真はまた校内を走り出す。