6.蛇の女王様
「はあー……」
柏真はその場に腰をおろしてそう呟いた。
ここは練習場。EKの練習をする為に設けられている場所だ。
防音、防壁も施されており、頑丈でいくら生徒が暴れても壊れない特別な空間。
普通の学校にはこんなものはない。私立東宮学校だからこそなのだ。
小さい頃からEKを学び、ラグナロクでの栄冠を勝ち取るため、勉学は最低限こなせば良い。EKに集中する学校。それが柏真達の通う学校。
しかし勉学は最低限に抑えているので、頭の良い人間と悪い人間がはっきり分かれている。
EKの道を諦めた者はこの学校を去ることも多い。一年ごとに10人は必ずと言っていいほど転校していく。
その過酷な状況の中で、「Eternal・Rain」に選ばれることはとても光栄なことなのだ。
そのかわり、先日のように他の生徒に怨まれることも多いが。
先日のゲームを見て、柏真は思った。
自分はあの仲間達には勝てない。
実力が違いすぎる。
贔屓と妃央に言われたあの言葉はあながち間違っていないのではと思う。
そんなことを考えるのはやめようと別のことに考えを映そうと必死に苦悩する。
神になれるチャンスがある椅子に座るには自分はとても弱い。
だから過去を学び今に生かす。
それが簡単に出来ればこんなに困っていない。
しかしそれに加えてEKの戦闘のセンスが無ければ勝ち進むことは難しいだろう。
他の者もいかなる理由はあれど目標を「神」とする輩ばかりだ。自分が足を引っ張るわけにはいかないのだ。
開戦まで後一日なのだ。少しでも向上したかった。
「あー柏真! 早いね~」
緊迫した脳内に響く明るい声。
声の主は黒い髪を左に長く垂れ下げた青年、光如月。柏真のクラスメイトで仲間でもある。
その他にもぞろぞろと仲間達。あの因縁の蛇の女王も目に入った。
「柏真」
メデューサが柏真に呼びかける。
思わずムッとした顔になったが、苛立ちを抑えて返事をした。
「何だよ」
「改めて貴様の実力を図ってやろう。相手をしてやる」
相変わらず上から目線の泡良妃央の言葉。
本当は不安だ。勝てるはずがないと心では思っている。
しかし、断るわけにはいかない。それこそが恥であるから。
「望むところだ」
にやりと笑む妃央。実力の差を見せ付けるつもりなのだろうか。
水と雷。相性は抜群だ。
しかし相手は「メデューサ」の異名をとる泡良妃央。侮ることは到底出来ない相手。本当に敵に回せば厄介な人間だと柏真は思っている。
妃央は負けず嫌いな性格が功を成してか、小さい頃はいつまでも練習していた。
皆が妃央に負けて帰ってしまっても、妃央は練習し続けていた。
それにいつも付き添っていたのが柏真だった。
幼馴染であるふたりはこの学校に入ってからもずっとふたりで一緒にいた。
誰が挫折しようと、誰に罵られても。あの時までは。一緒に、いた。
「私は貴様に罵られてから才能に頼らず実力を磨き上げてきた。その努力は貴様のみみっちい憎悪に負けるはずがない」
そしてこうも続けるのだ。
「これからも、怒りと憎しみを根源にした力では私には勝てない。絶対に」
妃央は柏真を挑発するように太刀で指す。
勿論これは練習なのだが、ふたりの周りの空気だけはびりびりとした刺々しいものに変わっていた。
緊張が走る空間。居座りがたい空間。
「全力でこい」
「……わかってるよ。<古に溢れしものよ、雷の血のもとに撃て>、<розный(グローズヌイ)>」
上から乱雑に落ちてくる雷。
どこに落ちるかわからないランダムな雷はギリギリのところで妃央に当たらない。強運の持ち主とでも言うのか。
妃央は小さく息を吸って、詠唱する。
「<堅牢地神>」
妃央の周囲に現れるは土の壁。
これは属性・地による固有技であり、技自体のレベルも低いので他属性の妃央にも操れる。
地の堅牢と神の不壊に解釈され、大地を堅固ならしめる神の名前。
他の属性の攻撃を防ぐことにはあまり役立たないが、雷の攻撃を無効化することはたやすい。
やがて雷は止む。柏真の目論見ははずれ、ひとつも妃央に当たらなかったようだ。
「<古に溢れしものよ、水の血のもとに滅ぼせ>」
どこからか聞こえる透き通るような声の詠唱。
堅牢地神の壁の裏なのか、それとも他のところにいるのか。柏真は迂闊に動けない。足が動かない。
耳を研ぎ澄ます。水の音がするはずだ。それが妃央だ。
ぽたり。
雫の落ちる音。思わず柏真は音の聞こえた方を振り向く。
しかしいない。
あったのは零れた数滴の水だけ。
「――<Undine>!」
妃央の声が聞こえた方に向き直ったが、遅かった。
ゼリーの様な半固体状の女性の姿をしたものが柏真の首を両手で絞め倒す。
そしてその隙に遠慮なしに妃央の太刀は柏真の肩をえぐった。
重たい痛みに思わず柏真はむせぶ。
呼吸ひとつ乱していない妃央は、太刀を柏真から抜き、喉元に当てた。
メデューサとしての泡良妃央の実力がこれだ。
素早い動きに、それについてくる頭の回転の速さ。
速度を重視した妃央の動きに、柏真はただ翻弄されるだけだった。
結果的に、妃央にひとつのダメージを与える事もなく、終わったのだ。
「こんなものか。恨みを源にした力ではいつしか力が成長しなくなる。せいぜい頑張るのだな」
「……くそっ」
妃央はEKを解き、柏真の上から退いた。
その顔は何の表情もない。喜びも、悲嘆も、何もかも。
「如月、相手をしろ」
「うーん。良いよー」
妃央は如月に呼びかけ、次のゲームを始めた。
妃央は如月と戦える体力もエナジーも残している。
柏真はいかに自分が未熟だか改めて理解させられた。
妃央が強すぎるのかもしれない。それは言い訳にしかならない。
自分が弱すぎるのか。そうなのかもしれない。
自分と妃央では頭の回転の速さがまったく違う。
妃央は一手二手先を考える。これがあの才能を引き出しているのかもしれない。
自分には何も才能がない。
ただ、本当に贔屓で「Eternal・Rain」に入れただけなのかもしれない。
認めなくないが、そうなのかもしれないと思わざるをえなくなってきた。
柏真はその場に倒れこんだまま、溜め息。
「なーに寝転んでんだよ」
「うるせ」
「妃央ちゃんの言いたいことわかった?」
テンションが低い柏真に話しかける普段からテンション高めのはじめ。
ニヤニヤしながら炭酸飲料を手渡す。
柏真は起き上がり、ジュースのプルトップを開封した。
「俺が弱いって言いたいんだろ」
やけ気味言った。というかやけである。
はじめから貰った飲み物を一口飲む。
「違うだろー。目標を自分に設定しないで上を見ろ! って言いたいんだと思うよー……多分ね」
「あいつに限って」
「どうしても叶わない位の目標に設定しないと強くなれねーぞってことだろ」
はじめは自分の持っていたアルミ缶を蓋を開け、勢い良く何口か飲んだ。そして続ける。
「人それぞれ目標、目的はある。お前が妃央ちゃんを潰すのが目的でも構わねーけどな。それじゃ神になる力はつかないと俺も思うぜ」
「説教くせえ」
「あははー」
自分が勝てないという苛立ちをはじめにぶつけていると柏真は言ってから気づいた。が遅かった。
はじめは「気にしていませんよ」とでも良いそうな飄々とした顔。ジュースを一気に飲み干す。
誰かに呼ばれたらしく、缶を地面に置き、どこかへ行ってしまった。
間違いではないだろう。
柏真の力は「ひとり」に「負けてたまるか」という気持ちから育っていっているのも確かだ。
柏真自身もそれに気づいているし、それでは駄目だとも思っている。
しかし、人からそれを指摘されると、素直に口に出せないのだ。それがよくいる大多数の人間であり、柏真もその大多数のひとりだ。
いい加減、「妃央を負かす」という思いから離れなければいけない。
でも、そうしたら。自分の目標を何に設定すれば良いかわからない。
昔にあった気がする目標。それすらも思い出せない。
「どうすりゃいいんだよ……」
深い苦悩は柏真の脳内をがんじがらめにする。