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第一話 猫の少年(後編)

 退屈な授業は眠ってしまえば一瞬のうちに終わる。

 一番後ろの席と言うのはこういうとき便利だな、と思う。やる気なんて出ない。退屈なんだ。休み時間になるたび香枝が「起きようよぉ、朝日ー」と起こしにやってくる。実技以外のすべての授業を睡眠で乗り越えて、あっという間に放課後へのタイムスリップ。香枝があきれた顔でやってくる。

「もう、朝日ずっと寝てたー!」

「眠いんだ」

 ある意味では嘘だ。ただ退屈だっただけ。今日の記憶だってほとんどない。ただ、残っているのは――

「………ねぇ、香枝。あの部屋、行かないか?」

「…へ?」

 香枝は一瞬訳がわからなかったようで疑問符を頭上に浮かべていたが、すぐに思い出したらしく「あぁ!」と叫んだ。

「あの歌の人の部屋ね!?」

「そう。」

 ”あの歌の人の部屋”。言うまでもない、一時間目の音楽の授業の前に見かけた至極怪しいあの部屋だ。何部の部室なのかはよく見ていなかったからわからないけれど…行けば解るだろうと踏み、行くことにした。

 荷物は置きっぱなしにしたまま、香枝とあたしは二階への階段を上り、左に曲がった。クラブ棟への通路を抜け…そこから、3番目の扉。

「…ここ、だったよね?」

「そうだな」

 扉に貼ってある紙を見る。…『心理カウンセラー部』。妙に丁寧な文字でそう書いてあった。その下には何やら『受け付けは昼休み・放課後です。休日は予約制。』などと書かれている。見るからに怪しい部活じゃないか。こんな部がこんな学校にあるだなんて知らなかった。恐る恐るノブを回した。がちゃり、と言う音が心臓に悪いように感じられる。

 そこに、いたのは。

「いらっしゃい。来ると思ってたよ。林田朝日さん、杉村香枝さん。」

 少年はにっこりと笑って見せた。朝見た訝しげな表情とは違う、屈託のない笑顔。怯むじゃないか。

「なんで、名前」

「学校のことについては部長が色々詳しいからね。さ、そんなとこにいないで座ってよ。歓迎するよ」

 言って、少年は椅子を勧めた。朝は気づかなかったが、よく見たらアンティーク小物が並べられた、小洒落た喫茶店のような内装になっている。丸テーブルの支柱は一本のみ。椅子は洋風で華奢。なんでこんなに金がかかってるんだ。

 とりあえず、何も言わず、座った。香枝も座ると訝しげに少年を見やっている。

「申し遅れました。僕は2年C組川上燈夜。よろしくね」

 変わらず笑顔を絶やさない少年は、何だか人懐っこく感じられた。自分も自己紹介をしようかとも思ったがもうすでに川上さんは知っているようだったので、言う事に困った。どうすれば、いいんだろう。

 困っていると、奥の方から何やら物音がしたのでそちらを見やる。奥の扉が乱暴にがちゃりと開き、そこから黒髪の背の高い男が姿を現した。男は、あたしたちと川上さんを交互に見ると、にやりと笑った。

「俺の予想が当たったな、トーヤ」

「大正解、だね」

 何やらにやにやと笑っている。でも別に嫌な感じはしなかった。不思議だ。

「あの…」

「かしこまらなくていいよ、林田さん。ここに用があるのは君のはずだよね?」

「……は?」

 川上さんはにこりと笑う。顔が綺麗なだけにその笑顔だけでうろたえてしまう。純真無垢な人間は時に残酷だ。

「一週間前まで、寺門先輩と付き合ってたんだよね」

 ……何で、知ってるんだろう。特に大っぴらに付き合っていたわけではないのだけれど。あたしが不思議がっていると、川上さんが気がついたように「あぁ、」と言った。

「そこの金井亮太部長が寺門先輩と友達だったからさ」

「…そう、ですか」

 心を見透かされているみたいだ。


「さて、この部の説明をしてなかったね」

 川上さんがパンと手をたたいた。机の上で手を組み、じっとこちらを見た。川上さんの後ろの壁に寄りかかっているギターケースに気がついた。シンプルな黒のギターケース。あのギターはこの中に入っているのだろうか。

「この部は心理カウンセラー部と書いてるけど正しくはそんなに専門的じゃない。ただ普通に訪れてきた人の相談や愚痴を聞いたり、歌を歌ったり」

「歌うんですか」

 今、ものすごくさらりと言ったけど、歌うって可笑しくないか。

「僕は路上でライブをしてるんだ。歌うことが好きだから。歌ってすごい力を持ってるんだよ、知ってた?」

「それと何の関係が有るんでしょうか」

「歌は人々を救うんだ」

 また、笑いながら言う。純真な笑顔。本気なのかと疑いたくなるが、本気で言っているのだろう。自身に誇りを持っている人間の目。

「音楽は無くても良い様で実は無くてはならないんだよね。そりゃ音楽にも好みはあるから好き好きはあるだろうけど」

 川上さんは手を組みなおした。動作の一つ一つが綺麗だと思う。

「誇りを持ってる人間の音楽を聴いていて気分を害す人は居ないってね」

 …返す言葉もございません。

 川上さんは言う。僕は自分の歌に誇りを持ってるんだ。込められるだけの自分の中の思いを詰め込んで、歌う。歌を届けたい人が居るから。僕の歌を聴いてくれる人が居るから。それだけで僕のチカラになるんだ。聞いて何かを伝えたいというわけじゃないんだ。ただ聞いてくれるだけで良い。解ってくれるだけで良い。幸せは伝染するんだよ、それだけで僕が幸せならば、聞いてくれる人も幸せでしょう?

 綺麗な、人だ。

「世界が平和になるような立派な歌なんて歌えない。傷だらけの歌ばかりだよ。だけど、それでも」

 幸せになってくれるのならそれでいいんだ。川上さんがそう言った。

「林田さん、君はさ。肩肘を張りすぎて居たんだよ。もっと気楽に考えよう。歌でも歌って、さ」

 そうして川上さんはギターケースを指差した。

「カウンセラーってお堅い偽善者のイメージが強いんだってね。でも僕らはそんなの吹き飛ばしてやる。本気の気持ちを嘘だと思うようならば歌を聴いてくれれば良い。僕らは音楽の力を信じてる」

 にゃお、という声がした。かたん、という音がして、その音の方向を見ると、一匹の猫が入ってきていた。薄汚れた、灰色の毛の子猫。猫は川上さんに向かって走りより、軽やかにジャンプをして川上さんの方まで上った。

「いらっしゃい、また来たね」

「かわいいネコさん」

 喜んだのは香枝だった。可愛い可愛いと良いながら川上さんの肩の上の猫に触ろうとしたが、猫は嫌がって威嚇した。川上さんが苦笑している。

「何よぅ、そんなに嫌がること無いじゃない」

「仕方ないぜ杉村さん、トーヤは猫寄せ付ける体質だから。普通のノラは人間に対して友好的じゃねーんだよな」

「なんでだろうねぇ」

 川上さんはあははと笑う。とっても不思議な体質じゃないですか。笑い事じゃないですよ。

 猫が川上さんに懐いているのは一目でわかった。もしかしたら、猫は川上さんを仲間だと思っているのかもしれない。もしくは、川上さんが猫にだけ効くフェロモンを振りまいているか、どちらかだ。

「さて、じゃぁ歌おうかな」

「歌うんですか」

「そうだよ」

 川上さんは後ろにあるギターケースに手を伸ばし、ケースを開けた。中から綺麗な木目の入った栗色のギターが現れた。川上さんが弾くには少し大きい気もしたが、なんとなく似合う。やっぱり不思議な人だと、思う。

 ぼーっと川上さんがギターの準備をしている動作を見ていたら、横から部長の金井さんが話しかけてきた。

「見てろよ、林田さん。猫も愛すトーヤの歌だ」

 猫も愛す。猫も歌を聴くのか、と少し驚いた。川上さんは準備が終わったようで、ギターを構えたまま顔を上げると、「始まり始まり」とおどけた調子で言った。


 旋律が、走る。

 うまくは言い表せないけれど、空気をも揺るがす音、とでも言うのだろうか。空気に存在感がある。川上さんが歌う歌は朝聞いた歌と同じもののようだった。


  僕は君のためだけに歌を届けよう

  君のためだけに歌おう

  僕のすべてを君に捧ぐから


 気がつけば開いたままの扉からぽつりぽつりと猫が入ってきていた。まるで川上さんの歌を聴きに来た客のように、川上さんを真ん中に円陣を組んで、静かに聞き入っている様子だった。

 メロディラインは穏やかで、明るい音色のバラードだった。色で表すなら、オレンジと黄色の中間。


  たとえば君が記憶を亡くしたときは

  心を亡くしてしまったときは

  僕だけは君を想っていよう


 不思議だ。何故だか、人を安心させる力を持っている。悩みなんて、どうでもよくなるくらい清清しくて。優しくて。泣きたくなる。まだ、曲は始まったばかりだというのに。

 声に聞き入りすぎてそれだけで、気持ちが満たされる。

 目を閉じた。声だけに集中したかった。涙が溢れそうなのを防ぎたかったのも有る。なんてよく伸びる声。そんじょそこらのミュージシャンが何十年努力しても出せないような声を使う。人の心を動かす声。


  辛かったら僕のところにおいで

  切なかったら僕と一緒に鼻歌を歌おうよ


 鮮やかな声。言葉の一つ一つが色味を帯びている。はじめは明るい色だと感じたのに、本当は違った。何故だろう、哀しみの色にだって染まっている。あぁ、あたしは。本当は哀しかったのかもしれない。本当は、見捨てられたんだと感じて。辛かったのかもしれない。存在価値を欲しかったのかもしれない。


  ヤなこと全部吹き飛ばして

  明日のチカラにしてしまえば良い

  そうして僕らは強くなれるから


  僕は君のためだけに歌を紡ごう

  君のためだけに歌うよ

  僕のすべてを君に捧ぎたい


 少しの伴奏が続いて、歌は終わった。拍手は無かった。意味も無く涙が溢れてくる。不思議だ。香枝はただ呆然と立ち尽くしていたし、金井部長は腕を組み、誇らしげな表情を浮かべていた。猫たちは気がついたら眠っていた。心地よかったのだろうか。

 涙を制服の袖で拭う。じわりと染みた。川上さんは笑っていた。

 川上さんの歌には浄化作用があったのかもしれない。涙が次から次へを溢れ続けた。こんなに泣いたのは、久しぶりだった。






 少女たちは、「ありがとうございました」と言うと、去っていった。静かにドアを閉めるときの林田朝日の表情は、妙にこざっぱりとしていた。暗い影を落としていた数分前が嘘のようだ。

「今日もお手柄だったな、トーヤ」

「それほどでも」

 少年は笑った。想いを乗せて、歌うだけで、誰かが救われたとしたならそれが少年の幸せだった。ただ悔いていた、『あの頃』よりも、ずっと。

 歌を届けたい人が居た。だけど、その人はもうこの世には居なかった。ならばせめて声だけでも届くようにと、ずっと路上で大声で歌っていた。あの人に、届くようにと。ただ直向に、想いを込めて歌っていた。聞こえてないかもしれないけれど。ただの、自己満足だったかもしれないけれど。

 燈夜がギターを仕舞いながら視線はギターのまま、亮太に言った。

「そういえば、部長。寺門さんのこと。言わなくて良かったと思う?」

 寺門。少女林田が、交際していた人物。謎多き、亮太の親友。

「…知らないほうがいいだろうな、失踪してるだなんて」

 知ったって何も出来ないしな、といい足した。何も出来なかったのは俺たちの方だが、と暗に言っているようにも感じられた。

 寺門は朝日と別れて数日後、突然失踪した。親友の亮太には一切何も告げず。理由なんてわからなかった。教えてもらえなかったからだ。気まぐれなやつだしいつか、帰ってくるかもな。亮太は言った。力ない声で。まるでそれは願いのように。

 ふと、扉が開いた。二人は驚いてそちらを見た。立っていたのは、二人の少女。凛とした、表情で。

「林田さん、杉村さん。どうしたの?」

 燈夜が不思議そうに、忘れ物?と聞いた。朝日はふるふると首を振った。そして、真剣な面持ちで二枚の紙を差し出した。

 少年は、それを受け取り、よく見た。自分も、何度か見たことのあるプリント。

「入部届けです。あたしたち、この部に入りたいです」

 少年二人は、一瞬ほうけていたが、やがて顔を見合わせると、にっと笑い、声を合わせて言った。

「「大歓迎」」

 一匹だけ残っていた灰色の猫が、「にゃお」と短く鳴いた。





 

これで第一話は終了です。

ドクトル・キャットは私のサイトの方でもこそこそ公開しているのですが、大変思い入れのある作品です。トーヤのセリフは私の言葉でもありますから。…といっても、私にはトーヤみたいな音楽の才能なんてないんですけどね。

ここまでじゃ恋愛要素が薄い感じがしますが、回を増すごとにじわじわとラブい雰囲気になっていくので(笑)恋愛小説が読みたい方も見放さないで居て頂けると嬉しいです。

ではでは、ここまでお読み戴き有難う御座いました!

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