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第一話 猫の少年(前編)

 あたしには、何かが足りないんだ。


 いつもどおりの時間に起きて、いつもどおりの量の朝食を食べて、いつもどおりの電車に乗って、いつもどおりの駅で降りて、いつもどおりの時間に学校に着く。いつもどおりの足取りで教室に入り、いつもどおり友達に「おはよう」といって、いつもどおりのチャイムを聞いて、いつもどおりの退屈な授業を受ける。

 ”いつも”と同じ日常。何ら変わりない、何の変哲もない、日々。ただ違うのは、隣にキミが居ない。寂しいとは思わない。哀しいとも思わない。ただそこにある、妙な空虚感。

『別れよう』

 いつもどおりだと思ってたんだ。キミも、あたしも。でも、キミは違った。息苦しかったんだ、と吐き捨てるように言って、去ってしまった。あの綺麗な金髪がキミの背中で綺麗に揺れていた。綺麗な金の目があたしを捉えても、それは冷たかった。あたしはその背中を追わなかった。苦しくはなかった。哀しくもなかった。泣いたりもしなかった。何故だろう、あんなに好きだったはずなのに。あたしは素直に別れを受け入れた。友達に戻ろうとも思わなかった。だって普通に無理じゃないか、別れたらもう元になんて戻れない。嫌いになったわけでもないのに。不思議。

 あたしには、きっと何かが欠けている。

「ねぇ、朝日。次音楽だよ、移動しなきゃ。」

 香枝が音楽の教科書と楽譜を持ってあたしの席までやってきた。早く早く、と急かす。あたしはロッカーから教科書と楽譜を取り出した。香枝はそれを確認すると、じゃぁ行こう、と腕を引いた。

 音楽室は二階にある。階段を上って、向かって右に曲がって、ちょっと歩いてすぐの扉。あたしたちは階段を急ぎ足で上ってゆき、左に曲がりそうになった。あれ、と思う。入学してもう半年も経つのに、道を覚えてないということはないはずだ。

「……なんか聞こえる」

 あたしはそのまま左の道へ向かう。香枝が「待ってよ、授業遅れちゃう」などと焦っているが、あたしは気にしていなかった。歌が、聞こえる。


  哀しかったら呼べば良い 僕の名を


「声と、ギター?」

「…軽音部って体育館じゃなかったっけ?」

 と、香枝が後ろで首を傾げていた。そもそももう授業が始まる時間なのに、いいのか、この歌を歌っている人は。あたしはそのまま歩を進めた。クラブ棟二階、…三つ目の、扉…。

 哀しくて切なくて、でも明るくて。寂しくて甘くて、でも甘すぎなくて、よく伸びる、きれいな声。あたしはきっとこの声に惚れてしまった。どうしてこの声は、こんなにあたしを惹きつけるんだろう。


  切なかったら僕と一緒に鼻歌を歌おうよ


「…ここだ」

 息を呑む。ドアに手をかけた。ゆっくりと、ノブを回す。がちゃり、と、扉は簡単に開いた。きっともう始業のチャイムは鳴ってしまったんだろう、だけどあたしは気がつかなかった。香枝が真剣な面持ちでドアの先を見ている。あたしもそちらを見やった。

 ドアを少し開けただけで、ぼんやりとしか聞こえなかった声が、大きく聞こえた。自然に流れてくる声。ギターの音色。


  僕は君のためだけに歌を届けよう

  君のためだけに歌おう

  僕のすべてを君に捧ぐから


 声の主は、あたしたちに気がついている様子はなかった。ずっと、手も口も止めることなく、歌い続ける。一生懸命で直向で真っ直ぐで。

 明るい栗色の光る髪。少し伏せたレモンの瞳。金よりも純粋な色。濁りのない。


  ヤなこと全部吹き飛ばして

  明日のチカラにしてしまえば良い

  そうして僕らは強くなれるから


  僕は君のためだけに歌を紡ごう

  君のためだけに歌うよ

  僕のすべてを君に捧ぎたい


 …ギターの音色が止まった。これで終わりのようだ。レモンの瞳の少年は、ようやくあたしたちに気がついたようで、目が合ってしまった。なんとなく、気まずい…気がする。

「あ、あの…」

 あたしたち別に、と続けようとして声が出なかった。その先が思い浮かばなかったからだ。こういうときは何て言い訳すればいいんだ? 香枝も後ろで固まっているようだった。

「…君達どうしたの?」

 何を言うか迷っていたら、少年の方から声を掛けてきた。歌っているときとは違う、落ち着いた声だった。この人、顔、よく見たら綺麗だ。女顔とはこういう顔のことを言うんだろう。どちらかといえば可愛い部類に入る整った顔立ちだ。

「……歌、が…聞こえたんだ…」

 しどろもどろになりながら答えると、香枝も後ろから「そ、そう! そうなの!」と合わせた。

「…やだな、聞こえてたんだ。やっぱ防音じゃないと駄目だね。」

 少年は独り言を言うようにぽつりと言った。

「ねぇ、君達はいいの? 授業。」

「「…………あ」」

 あたしと香枝の声がそろった。慌ててこの部屋にあった時計を見た。授業開始から五分ほど過ぎていた。

「やば…っ! 行こ、香枝!」

「う、うん」

 あたしは香枝の手を引いて急ぎ足でその部屋を出、きちんと扉を閉め(少々乱暴になってしまったせいかバタンと大きな音がした)、まっすぐ音楽室へと向かった。

 音楽室に入ると、当然授業は始まっていたようで、先生に変な目で見られたが、すみませんと言って席に座った。







「トーヤ? 今の誰だ?」

 黒髪の少年が部屋の奥からやってきた。さっきの少女たちが扉を閉める時に大きな音を立てていたのに気がついたのだろう。

 川上燈夜<<かわかみ・とうや>>はその声に気がつくと、そちらを振り向いた。

「さあ。わかんないけど」

「まーたお前のファンじゃないのか?」

「違うよ」

 燈夜はギターに視線を落とすと、それをケースに仕舞い、壁に立てかけた。黒髪の少年…心理カウンセラー部部長、金井亮太は明るい笑顔を浮かべると、そうかそうか、と軽快に燈夜の肩をたたいた。

「でもきっと、さっきの子達、また来るぜ」

「そうかなぁ」

「そうだよ、俺の勘は外れねぇからな」

 そう言って、亮太はにっこりと笑い、また奥の部屋に引っ込んだ。

 独り残された燈夜は、溜息を一つ吐くと、ドアに貼ってある紙が歪んでいるのを見つけ、それを直しにと席を立った。


『心理カウンセラー部』


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