第1話「ログインしたはずなのに」
視界が暗い。いや暗いっていうか、何もない。黒でもない。空っぽだ。おかしい、さっきまで普通に部屋にいたはずだろ、仕事終わって、飯食って、風呂入って、で、あいつに呼ばれて――そこで思考が一瞬止まる。呼ばれて? 何にだ。いや違う、分かってる、あのゲームだ、ゼクトに無理やり入れられたやつ、名前なんだっけ、長いタイトルで――いや今それ考えてる場合じゃない。
「……ちょっと待て」
声が出た気がする。でも音が返ってこない。いや、返ってきてるのか? 遅れてる? 自分の声なのに距離がある感じがして気持ち悪い。とりあえず手を動かそうとする。動く。動くけど、何も触れてない。感触がない。いや違う、ある。あるのに、掴めない。なんだこれ。
さっきまでの記憶を引っ張る。ソファに座って、スマホ見ながら、ゼクトからのメッセージが来て、「やれって、絶対ハマるから」ってしつこくて、「いや無理だって」って返して、それでも結局アプリ落として、ヘッドセット被って――そこまでは覚えてる。そこからだ。ログイン画面。確かにあった。あったはずだ。なのに、その先がない。
「ログインしたよな……?」
確認するみたいに呟く。誰もいないのに。返事もない。あるわけない。なのに、なんか嫌な感じがする。確認できない状態が一番嫌だ。仕事でもそうだ。状況が分からないのが一番ストレスになる。いや、だから今それを思い出すな。
「ゼクト?」
名前を呼ぶ。反射で。いつもそうだからだ。面倒ごとがあったらあいつに投げる。あいつが何とかする。そういう関係だ。……だったはずだ。でも返事がない。そりゃそうだ。この空っぽにいるのが俺一人なら、どうしようもない。
「……いや、違う」
違和感が強くなる。静かすぎる。無音っていうか、無の感じ。耳が詰まるみたいな圧迫感がある。これ、ゲームか? ゲームでこんな状態あるか? ローディングにしても変だろ。何も表示されないってどういうことだ。
試しに意識を向ける。いつもならここでUIが出る。メニューとか、ステータスとか、ログとか。出ない。何も出ない。反応がない。空振りする。階段踏み外したみたいな感覚だけ残る。
「……バグ?」
言ってみるけど、自分で否定する。バグにしては雑すぎる。逆に凝りすぎてるとも言えるけど、どっちにしても普通じゃない。頭の中で言葉がぐるぐる回る。整理しようとして、まとまらない。
その時、急に視界が開けた。
光。白い。近い。反射的に目を細める。まぶしい。いやまぶしいって何だよ、これゲームだろ。なのに普通にまぶしいって思う自分がいる。
次に見えたのが空だった。
近い。やたら近い。いや近いってなんだ。空は近くならないだろ普通。そこでやっと、自分が寝転がってることに気づく。背中に感触がある。草。湿ってる。冷たい。
「……は?」
やっと声がまともに出た。遅い。理解も遅い。頭が追いついてない。
手をついて起き上がる。指に土がつく。感触がある。細かい。細かすぎる。風が吹く。頬に当たる。温度がある。匂いもある。全部ある。
「いや、なんだこれ」
ようやく出てきた言葉がそれだった。弱い。弱いけどそれしか出ない。情報が多すぎる。処理できない。
視界の端を探る。UI。ない。どこにもない。意識しても出ない。完全に消えてる。
「おい、起きたか」
横から声がした。
反射で振り向く。そこにいたのはゼクトだった。いつもの顔。いつもの軽い顔。なのに装備が違う。剣持ってるし、服もそれっぽい。似合ってるのが腹立つ。
「……お前かよ」
安心と苛立ちが混ざる。混ざるけど、安心が先に来る。人がいる。それだけでだいぶマシだ。
「なんだこれ」
同じ言葉を繰り返す。語彙が死んでる。しょうがないだろこんな状況。
ゼクトは肩をすくめた。
「ゲームだろ」
「いや違うだろこれ」
即否定。ほぼ反射。考える前に出た。
「痛覚あるぞ」
言いながら腕をつねる。普通に痛い。強めにやったせいで普通に痛い。やらなきゃよかった。
ゼクトが笑う。
「設定でオンにしただろ」
「いやそんな細かい設定――」
言いかけて止まる。したかもしれない。あいつに急かされて、ほぼ流しで決定押した記憶はある。あるけど、こんなレベルだとは思ってない。
「だから言ったろ、やべえって」
「方向が違うんだよ」
立ち上がる。バランスが微妙にズレる。体が自分のものじゃない感じがする。いや、自分のものなんだろうけど、慣れてない。動きが一拍遅れる。
周りを見る。草原。林。遠くに建物っぽい影。全部それっぽい。リアルすぎる。
その時、遠くで音がした。
金属音。ぶつかる音。あと、声。
「回復! おい!」
そこで思考が止まる。反応が先に来る。足が動く。動いてから気づく。
「……いや、行くのか?」
自分にツッコむ。遅い。もう走り出してる。
ゼクトが後ろで笑う。
「行くだろ、お前」
「行かねえよ普通――いや、くそ」
否定しながらも止まらない。こういうところだ。嫌々でも結局動く。昔から変わってない。
林に向かって走る。足場が悪い。少し滑る。体勢を崩す。立て直すのが遅れる。
「まずい」
小さく呟く。
もう、遅れてる。
全部。




