第4話|──それで、王太子殿下のご婚約者は、いつお決まりに?
芽月の午後、王都西館に集う貴婦人たち。
おしゃべりの中で、ふいに投げかけられた問いが、空気を少しだけ凍らせる。
誰もが気づいている。
“選ばれなかった名”と、“今、見つめられている存在”を──。
まるで天気でも問うかのような口ぶりで、白髪の伯爵夫人が問いを投げる。
── 今日の茶会も、よいお天気ですこと。
王都・西館の定例茶会。
芽月の風が香る午後、
白藤の垂れたアーチのもとには、
王家とも面識の深い社交界の重鎮たちが集っていた。
それでも、一瞬、空気が静かになる。
問いの意味が、あまりにも重いからだ。
「まあまあ、フランセーズ夫人。
そんなことを気にしても詮無いでしょうに。
どうせまた、“慎重に選定中”というお答えが返ってくるのですから」
繊細な飾り彫りの扇子をひらりと仰いだのは、海軍提督の未亡人。
涼やかに笑う唇の奥に、微かに含んだ棘が見え隠れする。
視線を交わす令夫人たちの間に、微妙な笑いが生まれる。
「でも ── あれほどのご年齢で、まだ未婚とは」
「他国からの縁談も、あらかた済んでしまっているとか?」
「ええ。なんでも、
北のリュクリューヌ王国には“氷の王妃”が、
南の海商同盟には“梔子の姫君”が、
そして東の聖都には、“祈りの蛇”がおられるとか」
「…… いずれも、王太子殿下の伯母様方。
まさに、政略の申し子ね」
「さすがに、これ以上
“血のつながった姫君”との婚姻は、
難しいのでしょう。
残るは ── そう、国内ですものねえ」
そこで、一人の夫人が微笑んだ。
ヴァルモン侯爵夫人。
年若い美貌の娘を持つが、その名は誰も口にしない。
「国内といえば ……
まあ、五大家の令嬢あたりが最適任ではございませんか?」
「まさか、ロズベルグ家?
あそこは ……」
「いいえ、きっと、皆様のご想像通りのあの家門でしょう。
ご令嬢も、それはそれはお美しいと伺いましたもの」
「王都での社交を引き締めておられた“侯爵夫人様”の娘ですもの。
誰が見ても相応しいお立場で ──
ふさわしい振る舞いでしたわ」
「確か ── 数年前から、王太子妃教育が始まっていたと」
「── 始まって、“いた”。ですわね」
ふわりと微笑が広がり、扇子が揺れる。
香木で作られた扇子。
そこから漂う香りが、風もないのに空気を一段冷たくしていた。
「でも最近では、あまり目立たなくなったように思いますわ。
…… 以前は、もっと前に出ておられたのに」
「── 逃げられたのでしょうね。
あの“視線”に」
誰かが低く呟いたが、それ以上、言葉は続かない。
全員が知っている。
王太子の視線が、いま誰に向いているのかを。
けれど、誰も口に出さない。
それが、社交界の“美しき沈黙”というもの。
「…… あら、紅茶が冷めてしまいますわ」
ヴァルモン侯爵夫人が、そっと言った。
それを合図に、話題はふんわりと次へ流れていく。
── 社交界の“紅茶”は、いつもこうして冷めないうちに終わるのだった。