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駅弁大学のヰタ・セクスアリス  作者: 深海くじら
第12章 中島弥生3
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第82話 今日死んじゃってもいいくらい幸せだったんだよ。

 幻の一九四〇年東京オリンピックと太平洋戦争によるアスリートたちの悲哀を綴った特集番組を、逸郎はぼんやりと眺めていた。そういえば来年の夏は東京でオリンピックがあるんだよな。そんな世間の状況にはまったく関係ない、俺のこのまったり加減はどうしたもんかな。腹も膨れて満足感いっぱいの逸郎は、つい今しがたの夕食メニューを思い返していた。

 全てをつくり、一緒に食べ終えた弥生は、今は風呂に入っている。


          *


 風呂から上がってスウェットに着替えた逸郎を待っていたのは、テーブルに並べられた見事な晩御飯だった。


「蒸し鶏ときゅうりと茗荷(みょうが)のサラダ。お味噌とマヨネーズと胡麻油で和えてあるから、そのまま食べてね。お次は冷奴。生姜と大葉と梅と鰹節が薬味だよ。暑い夏には必須メニューだよね。でもってメインはお野菜たっぷりの豚汁。馬鈴薯(じゃがいも)、人参、牛蒡(ごぼう)、長葱、しめじ、蒟蒻(こんにゃく)、生姜、赤唐辛子、それに豚バラ肉をお味噌で濃い目に仕立てたよ。熱々の豚汁をつけ汁にして、冷や冷やのおうどんをつるつるって食べるの。ちゃんと割り下も用意してあるから。ね。夏っぽいメニューでしょ」


 弥生、やるときはやるのだ。そう言って胸を張る弥生。語彙の足りない逸郎は、ただ、すげぇな、としか言葉は無い。


 料理はどれも文句なく美味しかった。サラダはそのままメインにできるくらい食べ応えがあるし、薬味満載の冷奴は食欲をそそらせる。本来なら冬の食べ物である豚汁がこんなふうに冷製麺のつけ汁になるなんて考えもしなかった。赤唐辛子もパンチが効いている。

 お話の中に出てくる女の子たちが用意する彼氏の胃袋を掴む手づくりご飯と言えば、カレーか肉じゃがか、せいぜい言ってハンバーグあたりが定番だが、弥生が用意した献立(メニュー)はそんなレベルとはひと味もふた味も違う。ちゃんとした日本の家庭料理そのものだった。

 逸郎は、TVのドラマから流れる前畑への非情な叱咤を聴き流しながら、弥生メシを堪能した。



 特集番組のあとのスポーツニュースが二日前の田中マー君の快投を伝えているときに、引き戸が開いて弥生が戻ってきた。Tシャツが違うだけで、あとは昨夜と同じ姿。両手をまとめるようにして、缶ビール二本とポテチの袋を持っている。艶やかな髪に色気を感じ、思わず逸郎は目を伏せた。


「お風呂、ありがとう。今日はいっぱい歩いたから、すごく気持ちよかったよ」


 弥生は逸郎と自分の前に缶ビールを置き、食事のときと同じに、角を挟んだ隣の場所で横座りになった。


「乾杯しよ。お兄ちゃん」


「弥生、飲めるのか?」


「飲み切れなかったら、残りはお兄ちゃんにあげる」


 カシュッ。 ベン。 ごくごくごく。 ぷはぁ。


「お風呂上がりのビールって、最初のひと口だけは間違いなく美味しいね」


「ナマ言って。この未成年娘が」


「えへへー。ここでだけだよー」


 相好を崩した弥生はポテトチップの封を開けて、袋を広げた。

 お兄ちゃん。そう呼びかけて、弥生は話し始める。


「今日は本当にありがとう。生まれてきて十八年間でいっちばん楽しい一日だったよ」


 ポテトチップをぱりっと音を立てて齧り、弥生は話を続けた。


「今日はね、弥生の初めてづくしだったんだよ。初めての手漕ぎボート、初めての景色、初めてのカフェ、初めてのちゃんとした晩ご飯づくり」


 弥生は目を閉じて息を継ぐ。それから目を開き、逸郎を見た。


「そしてなによりも、初めてのデート。それも大好きなひとと」


 そう言って目を閉じた弥生は、祈るように指を組み、うっとりとした貌で虚空に向けて(おとがい)を上げる。


「もうね。私、今日死んじゃってもいいくらい幸せだったんだよ」


「そんな大袈裟な」


 逸郎が笑いながらそう返すのと同時に、テーブルの端に置かれたスマートフォンがメッセージの着信を知らせた。

 語っていた弥生と笑顔の逸郎が同時に固まる。


 取って。と、静かに弥生が言った。

 

 逸郎が開いたスマートフォンの画面に現れたのは、由香里からの簡潔なメッセージだった。



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 いま成田に着きました。

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