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駅弁大学のヰタ・セクスアリス  作者: 深海くじら
第1章 中嶋弥生
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第7話 目標は、年間百本。

 飲茶ラーメンのあと、逸郎はもう少し話をしたいと思った。だからダメ元でコーヒーの追加を促し、即答した弥生がぱぁっと表情を明るくするのを見たときには、今までに感じたことのない満足感を得た。

 ちょっとと言って席を立った弥生は、紅茶のほかにドーナツを三個も皿に乗せて戻ってきた。流石にひとりで三個は多いんじゃね、と思っていたら、ナイフでそれぞれを半分にしている。


「いろいろ目移りしちゃったんで。あ。また、はしゃいじゃいました」


 イツロー先輩も食べてくださいね、と言って、弥生は楽しそうにドーナツの皿を真ん中に滑らせた。逸郎の目の前にいるいまの弥生に、普段の彼女が纏っているおどおどした空気は感じられない。まるでリラックスして、ここにいるのが楽しくてしょうがない。そんな感じ。

 逸郎は、小学生のころ実家で飼っていた犬を思い起こした。殺処分目前で見初めて家に迎え入れた雑種犬。体験からなのか人の顔色を窺うところが強かった(かのじょ)が次第に慣れ、逸郎や家族と一緒にいるときに見せるようになったあの感覚。ここにいて愉しんでいてもいいんだと解き放たれ、躊躇なく遊びをせがんでくるようになったあのころの記憶を。

 弥生のユーフォ語りは始まっていた。


「ね、先輩。私、あの四人の中だったら誰に一番近いですか?」


「新入生の四人で?」


 はい、と元気よく答える弥生。好きなことを語るときはこんな風になるんだ。そう思いながら、逸郎はさっき観た映画を反芻し、場面を辿りつつ熟考する。


――人嫌いと人好きの両極端なダブル鈴木は最初から除外、つっかかってばかりでハリネズミのもとむもぜんぜん違う。消去法でいけばどうやったって残りのひとりになるんだけど、それだけじゃなくて共通項もちゃんとある・・・・・・。


「強いて言えば、かなで、かな」

 

「えー?! 私、あんなメンドクサイ後輩じゃないですよぉ」


 そう言って弥生は頬を膨らませた。


――ハムスターみたいで可愛い。この表情だけだと小さい方の鈴木にはちょっと近いかも。


「いや、だから、強いて言えばだって。ほら弥生さん、ちょっと控えめだけど基本いつも笑顔だろ。髪型も少し似てるし、言葉遣いも丁寧だし。内側ではなんかいろいろと考えてそうな奥深さも」


「あんなに要領良くないし腹黒くもないですよ、私。楽器もできないし友だちも少ない……」


 第一、あんなに可愛くない。もごもごとそう呟く弥生を見つめながら、可愛さでなら全然負けてない、と逸郎は思った。



「そういえば、今日買った本ってなに? 買いそびれてたって言ってたけど、シリーズものか何か?」


 我が意を得たりとばかりに空になった皿をどけた弥生は、ナプキンでテーブルの上をさっと拭ってからトートバッグを探り、中から文庫本を取り出して書店カバーを外した。マンガ調の絵柄で、ちょっと複雑な表情をした冬服の女の子が表紙を飾っている。


『キミの忘れかたを教えて2』


――あまさきみりと。知らない作家だ。ライトノベルは毎月星の数ほど出てるからとてもじゃないが追いきれない。


「不治の病で余命半年の男のひとと、歌手になったけど活動休止してる幼馴染の女のひとの話の第二巻です。ベタっていえばかなりベタな部類の設定なんですけど、ふたりの故郷が東北の過疎村っていうのも、なんだか親近感があって」


「ふぅん。ラノベはあんまり読まないけど、二巻くらいならすぐ読めそうだな」


「読んでみます? 私、今日中には読んじゃいますから、二冊まとめて来週持ってきます」


「ありがとう。平日の昼どきはたいてい中央食堂にいるから、スマホで呼び出してくれればすぐにでも受け取りに行けるよ」


 丁寧に手順を逆回しした弥生は、大事そうに本を仕舞ってから逸郎に尋ねてきた。


「先輩はどんな本を読まれるんですか?」


 そうだなぁ、と腕組みをして逸郎は応える。


「最近だと伊坂とか湊ゆきえとか、SFとかも。でもどっちかっていうと読むのはマンガの方が多いかな。あと、映画。今日も午前中は別の、中国の映画を観てきたし」


 一日で二本も観ちゃうんですか、と弥生は妙なところで感心する。


「で、面白かったんですか?」


「いや、イマイチだった」


「それは・・・・・・残念でしたね」


 弥生は我がことのようにしゅんとした。


「いや、でもユーフォは良かったし。それにイマイチなのも含めて、とにかくたくさん観るのが大事だって思ってるから」


 うなずきながら自説を語る逸郎に、弥生は目を見開いた。


「すごいポジティブ。ちなみに先輩、たくさんってどのくらい?」


「目標は、年間百本」


 うわ、という顔の弥生。


「昨年度は勝手がわからなくて、五十本くらいだったけどね」


「それ、全部映画館でですか?」


 逸郎は、まさか、と手を広げてみせる。


「大半はビデオだよ。ときどきやってる古書市の一枚三百円均一ワゴンセールみたいなのから、旧作やあんまり知られてないの中心に、ごそっとね」


「外れとか無いんですか?」


「そんなの、いっぱいあるよ。でもね、それぞれ、監督や脚本家やキャストたちが初めから駄作を目指してるわけないよね。何か見せたいもの、語りたいものがあって、それをフィルムに焼き付けようと必死でつくってたに違いないんだ。その変換がうまくいかなくて失敗作になってしまうことは、わりとよくある。でも、彼らの結晶みたいな作品を三百円で観ることができてしまう俺たちがすべきことは、対価を盾にディスったりするんじゃなくて、彼らの想いを読み解くことだと思ってる」


 弥生は考えている。逸郎の言ったことを、自分の中の何かに置き換えて咀嚼しているのだろう。



 偉そうに長広舌してしまった、と反省しながらコーヒーの最後のひと口を飲み干して、音をたてないようにマグを置いた逸郎に、沈黙していた弥生が話しかけた。


「先輩のお部屋には、たくさんあるんですか? 映画のDVD」


 逸郎は自分の部屋の収納棚を思い浮かべた。

 先月末に引っ越したばかりの逸郎の新しい部屋。高松の池の(ほとり)に建つ小ぢんまりとした一軒家。その広くなった部屋にしつらえて、相部屋だった寮では置くことのできなかった蔵書や円盤をこの機会に大量に持ち込んで、つい先日収納整理を終えたばかりの棚のことを。


「実家に置いてきたのもあるけど、めぼしいのはほぼ全部持ってきたし、こっちで手に入れたのも結構あるから……、たぶん五百本以上は」


 すごい量……。弥生は感嘆する。



 そこからの逸郎は、弥生に問われるがまま、いろいろな映画の話をした。最初に観た映画、影響を受けた映画、元気が出る映画、つらいときに観る映画、一番好きな映画。どの話も眼を輝かせて聴く弥生は、自分の知っている映画のタイトルが上がるとさらに前のめりになる。勢いに乗せられ、気がついたら一番好きなヒロインの話までしていた。


「クラリス、かな。『羊たちの沈黙』の、じゃなくてアニメの『カリオストロの城』の方。観たことある? そう。あのクラリス。囚われのお姫様。主役はもちろんルパンだけど、はっきりいってあの映画はクラリスの、クラリスによる、クラリスのためのプロモーションフィルムといっても言い過ぎじゃない。実のところ、あの映画でのクラリスの台詞はそんなに多くないんだ。意味のある長台詞なんて、塔の屋根の上での口上とラストシーンの二か所だけって言ってもいい。にもかかわらず、島本須美さんが当てた彼女の短い呼びかけ、『おじさま』とか『次元さまも』とか『捨てられたの?』とか、あとは節々での息遣いとセルに描かれた二次元の動きだけで、俺たちが納得して夢中になる存在感を顕しているんだ。まだ血気盛んだったころの宮崎駿氏が当時の自分の理想を顕現させた完璧な美少女に、俺もやられちゃったんだな」


――ヤヴァイ、俺、語っちゃってる。


 途中でそう自覚した逸郎だったが、滑り出した口は止められなかった。これは引かれた、と後悔したが、意外なことに弥生も頷きながら聴き入ってくれていた。


          *


 気づいたら陽も暮れて、窓の外の大通の様相は夜のそれに変わっていた。どうやら三時間近く席を占有していたようだ。ドーナツショップから言わせれば、随分と迷惑な客だったのではないか。逸郎のそんな懸念を察してなのか、帰り際に小さな会釈をして出ていく弥生。逸郎は、レジを預かる店員の表情が緩んだのを見た気がした。



 北上川沿いに材木町を抜け、夕顔瀬橋を渡って舘向まで向かう。

 夜はまだ肌寒い季節だが、今日はなぜだか身体の内側が暖かい。思いのほか充実した一日だった。そう振り返りながら、逸郎は夜の歩道をゆっくりと歩く。真横に並んでいた弥生が数歩前に出てから逸郎に向き直って足を止めた。逸郎も立ち止まる。

 ぶつかりそうな距離感。逸郎のすぐ目の前、街道を行き交う車のヘッドライトに照らされて艶やかに光るピンク色の唇が、弥生の強い願いを静かに紡いだ。


「いつかそのうちイツロー先輩の部屋に行って、お奨めしてくれる映画をふたりだけで観てみたい……」

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