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駅弁大学のヰタ・セクスアリス  作者: 深海くじら
第11章 中嶋弥生2
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第74話 なにか不思議な映画、観せて。

 風呂は逸郎が先に入った。一番風呂を勧めたが、下着の手洗いもしたいから終いの方がいいと言われたのだ。

 着替えがあると助かるというリクエストに、逸郎は高校時代の体育祭で作ったL寸のクラスTシャツと、これまた高校時代のジャージ上下を用意して、バスタオルと併せて渡しておいた。ショーツと化粧水だけはコンビニで買ってきたそうだが、他のスキンケア用品は持ってきていない。もちろんそんなものは逸郎も持ちあわせていないので、そっちの方はあきらめてもらった。すっぴんになっちゃうけど我慢して、と弥生は笑った。


――それにしても、さっきの弥生のにじり寄りはちょっとヤバかった。


 髪を洗いながら、逸郎はそんなことを考えていた。いままで知っていた弥生とは、距離感がぜんぜん違う。あの強烈な吸引力をもった視線とポーズは、むしろ、何度も動画で見たマーチちゃんの記憶の方にこそシームレスで繋がる。股間のものが、むくむくと頭を持ち上げている。


――いけない。別のことを考えないと。


 しかし代わりにイメージできたのは、青森のラブホテルで乳繰りあったすみれとの入浴だった。これでは何の役にも立たない、と逸郎は焦った。上がる前にはなんとか抑えておかないと。


          *


 湯船に浮いた残り毛を無心に取り除くことで気持ちを落ち着かせた逸郎は、いつもよりだいぶ長い入浴を終えた。台所の板の間で身体を拭き、服を着る。普段はTシャツとボクサーパンツでおしまいなのだが、弥生がいる以上そうもいかない。夏着るには暑いが、スウェットの下だけは身に着けることにした。


 交代で弥生が風呂に向かった。風呂場は台所の奥にあるので、居間とを仕切る磨りガラスの引き戸を閉めて、台所の板の間を脱衣所として利用することになる。衣類籠などといった小洒落た代物など無いので、代わりに大きめの紙袋を用意しておいた。

 引き戸一枚向こうで弥生が裸になっていることを考えないようにしながら、逸郎は居間でドライヤーを当てていた。と、いきなり引き戸が開き、弥生が戻ってきた。バスタオルを巻いただけの姿で。


「ごめんなさい。ハンガーを二本ほど貸してもらえませんか」


 目の前に突然あらわれたギリギリで局部を隠すタオルの裾に、逸郎は完全に目を奪われた。

 数瞬のあいだ一点を凝視し続けていた自分に気づいた逸郎は、思わず目を逸らし、使っていたドライヤーを投げ出して奥の四畳半に駆け込んだ。物干しロープにぶら下がっていたピンチ付きのハンガーを、数本まとめて引っ掴む。


「これ、使って。あ、あと、ドライヤーも、入ってる間に台所に、置いとくから」


 そんな格好で立ってられちゃ、理性の方がたまらない。逸郎は弥生の顔だけを見ながら、ハンガーを手渡した。

 ありがとうございます、と言って、弥生は台所に消えていった。


――ヤバいよ。これってまさに、出張生マーチちゃんじゃないか。


 轟音を上げて熱風を吐き出し続けるドライヤーを拾い上げた逸郎は、一旦電源を落とす。磨りガラスの向こうから、風呂場の引き戸がこすれる耳障りな音がした。


――やぁ、ビビった。いくらすみれで多少見慣れたとはいえ、ここは俺の部屋だぜ。日常の中にあんな格好持ち込まれちゃあ、こっちの身が保たない。


          *


 小一時間掛けて弥生は風呂から上がった。逸郎はリモコンで音量を上げ、磨りガラスに向こうとする目線をむりやりTVの画面(ディスプレイ)に引き戻した。

 台所からドライヤーの音が鳴りはじめ、やがて止む。何倍にも引き延ばされた衣擦れの数十秒を経て、引き戸を開ける音がした。


「お風呂ありがとうございます。気持ちよかったぁ」


 TVのニュース画面から横に移した視線の先には、生のマーチちゃんが立っていた。

 弥生が身につけていたのは、着替えに貸したLサイズのTシャツ一枚だけ。膝上二十センチくらいで水平にカットされたえんじ色の裾からは、いきなりのようにスレンダーな生足が(すべ)らかな肌を晒している。

 目に焼き付くほど何度も見た動画の中の美少女が、逸郎の部屋ですっぴんのままの彼T姿を披露していた。


「その恰好……」


「これ、イツローさんのクラスTシャツですか。ありましたよね、こういうの。私のとこもつくったな。ここに名前、入ってますね。ITSUROって」


 弥生は、クラス全員のファーストネームが白抜き文字でデザインされているTシャツのちょうど右胸の先っぽあたりを指差して、楽しそうにそう言った。

 いや、そっちじゃなくて、という逸郎のかすれ声にも、弥生はこともなげに応じる。


「あ、ジャージですか。着てみたんですけど、暑いから脱いじゃった。気にしないでくださいね」


――気にするなって言われても、そんな扇情的な超ミニを見せられてたら気にならない方がおかしい。


 逸郎の意識は目の前に佇む美少女の立ち姿に絡め取られていた。

 否定してもしきれない逸郎の昔からの憧れ、彼シャツと彼T。好みだったスレンダーな少女(アイドル)をモデルにして妄想の中だけでなら何度も着させたことのあるその情景(シチュエーション)が、自らの居室に顕現しているという現実(リアル)


「お風呂、洗っときました。あと、中に下着干してるから見ないでくださいね」


 弥生は無垢な少女のように笑った。

 その発声を頼りに、逸郎は自分をたぐり寄せる。


――少しでもいい。そうやって喋ってくれてる方が助かる。


 逸郎はそう思った。動画の中のマーチちゃんは無口だったから。



「麦茶飲みます? 私、入れてきますよ」


 そう言って裾を翻した弥生は台所に消えた。ほうっと息を吐き出した逸郎は、呼吸を憶いだす。


――なんなんだよ。この破壊力は。


 両手に麦茶を満たしたグラスを持った弥生が戻ってきた。

 片方を逸郎の前に置こうと屈んだそのとき、少し伸びた首元の内側が視線に飛び込んだ。


――もしかして、ブラジャーをつけてない?


 自分のグラスをテーブルに置いた弥生は、あたりまえのように座布団を寄せ、緊張で固まっている逸郎の隣に横座りした。

 すました顔で麦茶を口に含んでいる。



 食事のときよりもあきらかに近くなった配置で、寄り添うように座るふたり。弥生は、部屋にひとつだけあったクッションをたぐり寄せて膝に載せる。その滑らかで自然な動作に、逸郎は言葉を差し挟むことができない。


――これ以上は耐え切れない。


 逸郎が無音の緊張を破ろうとしたそのとき、弥生が口を開いた。


「ひとつ、お願いをしてもいいですか?」


 渡りに船の勢いで逸郎は応じる。不自然なほど前のめりな返事に動じるでもなく、弥生はふんわりとした笑顔で言葉を乗せた。


「よかった。私、前からこの部屋に来れたらお願いしたいことがあったんです。ね、イツローさん、なにか不思議な映画、観せて。誰も知らないようなのを」


 クッションを抱き締めながら、弥生はねだった。

 逸郎のマイナー映画好きは以前にも話をしたことがあった。


――あの頃の弥生はたしかに言ってたっけ。


 まだ肌寒い四月の夜、館坂橋に続く坂道を歩きながら交わした会話を逸郎は思い出していた。


『いつかそのうちイツロー先輩の部屋に行って、お奨めしてくれる映画をふたりだけで観てみたい』


――社交辞令と流していた弥生の台詞が、まさかこんな形で実現するとは……。



 要望に応えるために逸郎は全力で思案する。映画のこと、弥生のことを考えて。

 初めて会った入学式の記念写真。サークルガイダンスの日。例会でのなんでもないやりとり。合宿。バスを降りたときの告白。そして、走り去るタクシー。


――不思議な映画、か。


 巡る記憶は今朝の場面にまで辿ってきた。

 ネットカフェのロビー、背中に伝わる体温、涙をこぼすうつむいた顔、小さな唇が紡ぐこれまでの話。


「これにしよう」


 逸郎は棚のコレクションの中から一枚のパッケージを取り出した。選んだディスクをプレイヤーにセットして、部屋の電気を消す。侘しい部屋には似つかわしくない五十インチの大型ディスプレイが放つ青い光が、部屋全体を青く染める。弥生はクッションを後ろに敷き、座椅子に戻った逸郎の横に寄り添うように座り直した。

 画面が真っ黒になり、金色の文字でタイトルが浮き上がってきた。


 Ecole(エコール)


 外界と隔絶した森の奥に建つ大きな屋敷。そこは少女たちだけの学校『エコール』。棺桶に収めて連れてこられた少女たちは、六歳から十二歳までの間そこで暮らし、バレエと自然科学を習って過ごす。静謐でイノセントな世界。でも少女たちは皆、十二歳を過ぎると外の世界に出ていき、二度とそこ(エコール)に帰ってくることは無い。

 美しい森の中ではしゃぎまわる白い少女(ニンフ)たち。逃げ出そうとして小川で溺れてしまう少女。秘密のダンス発表会。


 (こうべ)を逸郎の胸に預けてぴったりと寄り添った弥生は、逸郎の腕を身体に回させたまま身じろぎもせず映像に見入っていた。


          *


 二時間の物語が終わった。

 画面が発する青で、弥生の頬が蒼く染まっていた。胸を押し付けるように身体をひねって逸郎を見上げた弥生は、不思議な映画、と呟いた。


「でも、わかる。ビアンカは私。あの日までの私と、知ってしまったあとの私」



「ありがとう、イツローさん。これは、私のための映画だよ」


 青い部屋で身体を伸ばした弥生は、逸郎の唇に触れるだけのキスをした。

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