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駅弁大学のヰタ・セクスアリス  作者: 深海くじら
第10章 横尾すみれ3
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第59話 言葉にしないと伝わらない。

 逸郎は結局、露天風呂にいる間中、勃起しっぱなしだった。

 にごり湯に浸かっている間、すみれは父親の膝に座る幼子のようなポジションを崩さなかった。だから逸郎の目の前にあるのは常に、上気したすみれのうなじ。それどころか、無作法な男性客の視線がすみれに向いているときなどは、タオルで前を隠す手伝いをしろとまで言う。自分は(タオルが浮き上がらないよう)下を押さえるからイツローは上を押さえろとか、その逆とか。

 お互い、直接のボディタッチこそ控えているものの、接触面積だけなら半端ない。泉水の温度がもう少しでも高かったら、逸郎はのぼせ上がって倒れていたに違いない。


          *


――俺は逆立ちしても槍須にはなれないな。


 内湯に戻りひとりになって、ようやく気持ちが落ち着いた逸郎はそう漏らした。このあり得ないミッションを終えたことで真っ先に得た感想は、安堵だったのだ。が、それとは別に、激しい欲求不満と自己嫌悪を同時に感じていることも自覚していた。

 白いうなじを真っ赤に染めながら、すみれが勇気をふり絞って投げ出してきてくれたあの魅力的な身体を、どうして自分はちゃんと触らなかったのか。愉しんでやれなかったのか。

 本当は、人目なんか無視してめちゃくちゃ愛撫したかったくせに。


――この偽善者が。


 逸郎は、自らの不甲斐無さ、優柔不断さに煩悶していた。だが、彼はまだ気づいていない。当初の思惑のまま、自身が持っていた燈七温泉での痴態イメージがすみれとのそれに完全に書き換わっていたことを。


          *


 手荷物を背負った逸郎が脱衣所から戻ると、受付前には既に出発の準備を整えたすみれが、しおらしい風情で待っていた。伏目のままの小さな声で、すみれが謝ってくる。


「ごめんねイツロー。私、調子に乗りすぎちゃったみたい」


 その瞬間、逸郎は自分の不義に頭を殴られ、同時に目が覚めた。


――俺は今、目の前に立つすみれのことを猛烈に愛しく感じてる。萎れ切ったこのひとを、すぐにでも元気づけてやりたい。あなたのしてくれたことは、ちゃんと自分に届いてる。

――言葉にしないと伝わらない。今、この場でちゃんと言わないと。


 駆け寄った逸郞は、落ち込んでいるすみれを正面からまるごと抱き締めた。かけるべき言葉を探し、頭をフル回転させて。そうして自覚できた感謝の気持ちを言葉に乗せる。以前のダイナーズカフェで、すみれがしてくれたように。


「すごく楽しかった。一緒に入ってくれてありがとう、すみれ」


 逸郎の足元になにか大きなものが落ちた。すみれが持っていたリュックだった。空になったすみれの手は逸郎の背中に回っている。

 長めの抱擁のあと身体を離したすみれは、鼻をすすったような声でひと言だけ残して、背を向けた。


「まってて、ちょっと忘れ物」


 脱衣所に走っていくすみれを見送りながら、あっけにとられた逸郎は自問していた。


――俺、間違ってなかったよな。


          *


 十和田湖に着いたのは予定よりも四時間ほど遅れた午後七時前だった。予定外の温泉もだが、すみれが角館で評判の鶏中華そばをどうしても食べたい強弁したことも一因だった。それでも逸郞は、下っていく道の先に夕日に染まった湖のパノラマが見えてきたときには、ここまできてよかったと素直に感じていた。

 二台のバイクは二本の光芒を放ちつつ、湖畔を左回りに北上する。


――ホントは一周巡りの右回りで行こうと思ってたけど、遅くなったからショートカットは仕方ない。鶏中華も美味かったから良しとしよう。なによりすみれが喜んでたし。


 国道103号線の表示を横目で見ながら、逸郎は頭の中に地図を広げ、行程表を書き直していた。


――この先の旅館街を抜けてしばらく行けば丁字路があるはず。そこで右折して454号に乗れば、あとは4号線までまっすぐだ。途中で食事や給油休憩などを挟んでも、日付が変わる前には帰れるはず。


 と、Vストロームがするすると前に出てきた。

 次の交差点にはまだしばらくある。観光地ではあるが、夕刻に入った所為か交通量も少ない。


――まっすぐの道だからすみれも先頭を走りたいんだな。


 後方の安全を確かめた逸郎は、スロットルを戻して前を譲った。

 数分行くと、拓けた場所が見えてきた。ホテルの看板に灯りがともっている。湖畔の旅館街だ。


――この先にたしかトンネルがあって……。


 そう思いながら前を向く逸郎の目の前でVストロームが急に減速し、左折ウィンカーを点灯させながら沿道の駐車場に入っていった。サベージもあわてて後を追う。

『ホテル十和田湖畔荘』と表示された建物の駐輪スペースで、Vストロームは完全に停止した。

 遅れて横に停めた逸郎が、先に降りてヘルメットを外しているすみれに、心配そうに声をかけた。


「どうしたの? 調子でも悪くなった? それともお花摘み?」


 お花摘みに反応したすみれが、睨んできた。


「違うわよ。トイレは中華屋さんで行ったからまだ大丈夫だもん。それより、もう疲れちゃった。今日はここで泊まりにしましょ」


 それだけ言うと、すみれはリュックを肩に掛け、さっさとロビーに向かっていった。


――え? ええー?!



 ヘルメットと荷物を抱えて後を追うと、すみれはすでにカウンターの前に立っていた。


「ご予約の田中様ですね。少々お待ちくださいませ」


 応対するフロントの女性は、背後の棚からルームキーを選び出している。


「予約って?」


「えへへー。温泉の帰り際に予約しちゃった。田中さんご夫婦で。てへ」


 戻って来たフロントが、ルームキーと紙片を逸郎の前に差し出した。


「ご予約いただいたツインルームの鍵となります。それではこちらにご署名をお願いいたします」


 まったく理解が追い付いていない困惑顔の逸郎に、すみれは澄ました顔でこう告げた。


()()()、記入、お願いね」

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