第57話 ビキニのおっぱいは嫌い?
「見てー、イツロー! すごいよー! この絶景」
「尻餅とかつかないよう気をつけろよ、すみれ! せっかくの新品ツナギが傷ついちゃうぞ」
革なんて傷ついてなんぼよ、などと大声で怒鳴り返しながら、溶岩流跡の上で異世界ごっこに興ずるすみれは、めちゃくちゃ楽しそうだった。
――子どもか? はたまた、犬か。
ここは焼走り溶岩流。
三百年ほど前に起こった大噴火による溶岩流の固まったものだそうな。高さ十メートルを優に越える分厚い溶岩流の壁を登り切ると、そこは遥か数キロ先まで広がるただただ黒く冷えた溶岩の平原。黒々と広がった荒地と、そのへりから向こうに見える緑溢れる樹林との対比が不自然過ぎる。たしかにこれはこの世の風景じゃない。
「クリストファー・ノーランは、なんでここを使わなかったんだろうね」
のたのたと這いずるように降りてきたすみれは、ぜいぜい息を切らしながらそんなことを言う。どうやら数年前に公開されたSF映画『インターステラー』のことらしい。主人公たちが探索する地球外惑星のロケ地にも、たしかのここの風景は遜色ない。
「不勉強だったんだろ。そうでなきゃ、怪我しそうだってキャストからNG出されたとか」
「ありえるー。ここは危険だわ。お尻はつかなかったけど、手袋がこんなんなっちゃった」
すみれが突き出してきたライダーグローブの手のひらには、細かい傷がたくさんついていた。でも当のすみれはまったく気にしていない様子だった。
「手袋なんて、使い込んでこその消耗品だもんね」
それより暑い、と言いつつ手袋を外すと、逸郎の目の前で革ツナギのファスナーを一気にへそまで下ろした。そのまま両腕を抜き、ツナギの上半身を脱いでしまう。まろび出たのは前と同じく白のビキニに包まれた豊満なバスト。ただ前回と違うのは汗だくで赤みを帯びた素肌だ。空調の効いた室内でのコスプレとは違い、炎天下を小一時間走ってきたので、掻いた汗の量も半端ではない。雌の匂いが鼻先まで溢れてきた気さえした。桃と云うには大き過ぎる双丘を覆う白い布地はぴったりと肌に張り付き、紅がかった地色を透かしている。
――ていうか、まさかこれ、インナーパッド外してない?
「気持ちいぃーーー!」
狼狽える逸郎に構わず、声を上げて思い切り伸びをするすみれ。尖った胸の先端が汗を吸った布地をうすピンクに押し上げて、ぷっくりと浮き上がっている。
挙動不審な逸郎の視線に、どしたの? と無邪気に尋ね、すみれは顔を覗き込んでくる。
――こいつ、ぜったい確信犯だ。
逸郎は胸の中でそう慄いていた。
「あ、あのさ、すみれ。他人に見られちゃったらマズイよ」
「え? どして? ひとなんて、ここには私の他はイツローしかいないよ。それともイツロー、私のビキニのおっぱいは嫌い?」
「……嫌いなわけ、ないじゃん」
もごもごして視線を外す逸郎ににっこり微笑んだすみれは、じゃ問題ないよね、と明るく応えた。
*
焼走りを発ち、パノラマラインを快走するころには逸郎の混乱も収まっていた。
――すみれの奴、本気で攻めてきてるな。あのおっぱいはマジで劇薬だ。
身体がオートバイに慣れてきたのか、逸郎は走りながらもよそ事を考える余裕を持ち始めていた。
――俺にだって性欲が無いわけじゃない。絶倫とまでは言わないけど、人並みにちゃんと欲情だってするんだから。
効果線で描いたような沿道の濃い緑が放射状に流れていく中で、逸郎の意識はすみれの肢体にとらわれていた。研究室で目の当たりにした半裸やデートの時に押し当てられた腕への感触。
――おかずにしたことだって、ある。でもそれは、弥生も同じ……。
逸郎は、ヤリスちゃんねるでの弥生の映像を思い出した。あの嬌態に何度となく欲情した記憶とともに。
――でもそれらは彼女たちを汚す行為だ。
そう思いつつも一方で、さっきすみれに見せられた乳首の浮いた水着などは今夜のおかずになる、とも思ってしまう。その情けなさは、自身の経験不足が原因なんじゃないだろうか。逸郎はそんな風に分析していた。
――これは俺も、そろそろ心を決めないといけないってことだよな。
でも、いつ、どうやって? どんなタイミングで?
シフトチェンジの必要のない単純な道であっても、頭が邪念でいっぱいになっては操作もおろそかになる。走行に集中できずゆるゆるとスピードを落とす初心者ライダーの横に、斜め後ろを追走していたはずのVストロームが並んできた。すみれが赤いジェットヘルのバイザーを上げて、大声で叫んでくる。
「ヘイヘイ! エッチなこと考えながら乗ってると、置いてっちゃうよぉ!」
ご丁寧に、左手で胸を持ち上げて見せつけてくる。
――くっそー、負けねぇぞ。次は俺が主導権取ってやる!
逸郎はスロットルを開き、運転に集中した。
*
樹海ラインに入ってしばらくしたところで車止めを見つけた逸郎は、ブレーキランプで停止の合図をした。
「さすがに緊張しっぱなしで一時間走ると、ちょっと疲れたね」
「うーん。疲れてないと思ってたけど、こうやってバイク降りると、背中の痛みがお姉さんにもわかるわ」
朝の残りのコッペパンを齧りながら、すみれはまたもファスナーを下す。ただし今度は胸の間まで。両側から抑え込まれていた双丘が峡谷を開く。間に溜まっていた汗が水滴となってスーツの内側に流れ落ちていく。これはこれで、充分にエロい。
パンを食べる手を止まった逸郞は、スーツに陰に消えていった雫を目で追っている。それに気づいたすみれは、わざと目線をずらして独り言。
「上から流れる汗って、ぜんぶ中の下着に吸い込まれちゃうのよね。おかげでショーツはぐっしょぐしょ」
ぎょっとして顔を上げる逸郎に、すみれは過去最高に妖艶な笑顔を向けてくる。
「見てみる?」
負けてばかりじゃいられない。ここが反撃のしどころだと機を見た逸郎は、気合を入れて精一杯強いリターンを返した。
「そんなに汗掻いたんなら、この先でちょっと寄ってみる? たぶん一時間くらいのとこにいい温泉があるんだけど」




