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駅弁大学のヰタ・セクスアリス  作者: 深海くじら
第1章 中嶋弥生
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第4話 ここに決めちゃったのね?

 可もなく不可もなく。

 説明会での出番はなんの手応えも感じられないままあっさりと終わった。講堂を後にして大教室に移動した逸郎とシンスケは、文化系サークルに与えられた長テーブルの戯れ会の席に着く。隣は囲碁サークル。勧誘に力が入らないもの同士の目配せで、逸郎は軽く会釈した。

 いまごろ講堂では体育会系各部の猛者どもが、いたいけな新入生たちを強制連行する狩場と化しているはず。出口を見失い右往左往する新人たちを大勢で待ち構え、入部やら仮入部やらの署名をさせるまで離さない。そんな人権無視の狼藉が、少なくとも去年は行われていた、らしい。

 というのも、寮生だった逸郎とシンスケは、前夜に開かれていた寮大会という名の大宴会で丼酒を散々飲まされた挙げ句酷い宿酔(ふつかよい)となり、他の新入寮生たちとともにサークルオリを欠席していた。だいたいにして、寮の新入生のめぼしい者はすでに各部の先輩寮生たちの網に囲い込まれており、出枯らしで評価外の逸郎やシンスケなどはもはや勧誘の対象にすらなっていなかったのだ。


 逸郎たちがサークルオリエンテーションの席に着いて三十分ほどしたころから、執拗な追撃から命からがら逃げ切ってきた者や、そもそも相手にされなかったフィジカルに乏しい連中がちらほらとやってきた。さらにしばらくすると、いくつかのサークルの前でも塊ができ、あちこちから大きな拍手や歓声、万歳三唱などが鳴り響いてきた。

 そんな中、戯れ会のテーブルはいまに至るまで閑古鳥が鳴きっぱなし。この一時間余りでフライヤーを手に取った者さえ片手で余るという体たらくぶりだった。


「やっぱアレだよ。ナイル先輩には悪いけど、ファイン抜きの俺たちじゃ荷が重すぎるってことだな」


 敗北宣言をするシンスケには、逸郎も首肯するしかない。早々に店仕舞いを決めると、触られもしなかった資料の束を抱えてシンスケは部室に戻っていった。後ろ姿を横目で見ながら、逸郎は目の前の僅かに残したフライヤーの束の角をちまちまと揃える。が、奇跡はそこからはじまった。

 無意味な整理をする逸郎の手元に人影が落ちた。人の気配に顔を上げると、その先に白いダッフルコートの少女が立っていた。固まる逸郎。少女は絞り出すように口を開いた。


「あの……さきほどは、ありがとうございました。それと、朝も親切にしていただいて……」


 伏し目がちな少女の桜色の頬を目の当たりにして、逸郎の記憶は完全に蘇った。 


「弥生さん、だったよね」


 少女は目を見開いた。驚愕し、そして明らかに動揺している。その瞳に浮かんだ疑惑と恐れを打ち消すために、逸郎は大きな身振りで応える。


「に、入学式のとき、人社棟の前の杉の木の下で記念写真撮っただろ、ご両親と一緒に。風が吹いてきて、上から雪が落ちてきた。あのとき頼まれてシャッター押したの、俺。ほら、お父さんが呼びかけてたじゃん。弥生って。いま憶い出して、名前」


「あのときの、素敵な写真を撮ってくださった……?」


 少女の顔が、鈍い逸郎でもわかるくらい明るく華やいだ。


「あの写真、私も、母も父も大好きなんです。今までたくさん、子どもの頃からずっと撮って貰ってきたどの写真よりも一番」


 うっとりと笑顔を浮かべた少女の瞳には、さほど間を置かずに決意の光が灯った。


「ここに書けば、いいんですか?」


 その言葉に反応し、隣で戦果無しのまま片づけをしていた囲碁サークルの受付男子が目を剥いた。

 少女は机の上に転がしてあったボールペンをまるで自然に手に取って、まっさらな芳名リストの一番上に学部と名前を書き込み始めたのだ。


 人文社会科学部 一年 中嶋弥生


「なかしまやよい……さん」


 筆圧の弱い、でも形の良い文字でそう書き終えた弥生は、はい、と応えて逸郎にボールペンを差し出してきた。


「お名前を、お聞きしてもよろしいですか」


 尋ねられたことへの理解に手間取った逸郎は、間抜けなくらい遅れたタイミングで自分の名を告げる。


「俺は、田中逸郎。普通の田中に、機会(チャンス)(いっ)したの逸郎。人社の二年……です」


「田中、イツロー……先輩」


 口の中で何度か反芻するように声にすることなくその名前を繰り返した弥生は、ひとつ頷いて笑顔になった。その顔を見て、逸郎もなんだか嬉しくなってきた。


「これからも、よろしくお願いします、イツロー先輩」


 そう言って、弥生は真っすぐ右手を差し出してきた。

 釣られるように逸郎も手を差し伸べる。


 手と手が触れ合ったその瞬間、またしても奴の声が飛んできた。


「ちょっ! なにやってるの、まーや! え? さっきの男?! てか何、このサークル。戯れ合いって? やらしいことするとこ?」


 茶色の毛玉、ゆかりん、とか呼ばれていたお目付役。


「いや、戯れ合いじゃなくて『戯れ会』。みんなでだらだらトランプとかボードゲームとかTVゲームとかやってるだけのゆるーいサークルだから」


 ゆかりんの機関銃のような非難に気圧されながらも、逸郎は弁明する。


――うちは、少なくとも自分の知る限りのうちは、会長と事務局長が付き合ってることを除けば、やらしいことなど一切無い健全そのもののサークルだから!


 握手しそびれたことを不満に思ってか少し頬を膨らませる弥生を無視して、ゆかりんは芳名リストを指差して抗議してくる。


「なにこれまーや、こいつになんか弱みでも握られたの? これって何? 本入会?! どーゆーことよ。意味わかんない。明らかに、どっからみても陰謀ですよね、これ。もしかして催眠とか? 非合法の薬嗅がされたとか?」


 無い無い、と大きく手を振る逸郎。暴言の数々が過ぎて、こいつ呼ばわりされたことなどどこかに行ってしまっている。


「まーや、ここに決めちゃったのね?」


 振り返るゆかりんに、弥生は笑顔で首を縦に振る。

 呆れ顔で固まったゆかりんだったが、再起動も素早い。わかったわよ、と静かに告げたゆかりんは、逸郎の手からボールペンを奪い取って、弥生の下に自分の名前を書き込んだ。


 人文社会科学部 一年 原町田由香里


 ポイっとボールペンを投げ返した由香里が、悔しそうに言い捨てた。


「何をどうされたのかはわかんないけど、まーやが本入会しちゃったんじゃあしょうがない。お目付け役のあたしも入んないわけにはいかないでしょ」

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