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駅弁大学のヰタ・セクスアリス  作者: 深海くじら
幕間2 夕暮のアマゾネス
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第40話 起きて。めざしが焼けてるよ。

 来たよ、といつもの挨拶を告げながらあたしは勝手知ったる部屋に入った。


 時刻は午後六時。外はまだ明るいし蒸し暑い。この部屋は付けっぱなしのエアコンが効いてて、滲んだ汗が冷たくなっていくのが心地良い。

 それにしても、この街の夏はなんでこう蒸すんだろう。かれこれ十九年住み続けてるけど、未だに慣れる気がしない。かと言って冬が過ごしやすいなんてことは、ぜんぜん、まったく、これぽっちも無い。他の北国の映像を見るに雪はさほどでもないんだろうけど、とにかく寒い。地面が凍る。なまじ雪が中途半端なだけに、やたら滑って歩くのに神経使うったらない。さすがにイツロー先輩みたいな素人じゃないから転んだりはしないけど。

 ぶっちゃけこの街で過ごしやすいのは五月と九月だけだ。かろうじて仲間入りさせてやれるとしても四月の終わりと十月と、あとは十一月の前半まで。親に、爺ちゃんに、ご先祖様に問い詰めたい。なんでこんなとこに根っこはやしたのよ、と。


 いや、ご先祖様への呪詛はこの際どうでもいい。いやほんと。今日はそういうのとは違うんだから。

 家主は、と。まだ寝てるらしい。や、午後六時ですから。寝込むには早過ぎるし、起きてないならもっとヤバい。

 というのは世間一般、この街で言えば約三十万人の云うことであって、別にこの部屋の家主を含めた全ての人が従わなきゃいけないことではない。ひとにはひとのタイムテーブルというものがある。とは言え、約三十万とほぼ同期してるあたしがゲストとして登場しているのだから、ちったぁ合わせてもらわないと話が続かない。

 起こすか。いや、この家主、普段無口で穏やかな割に、寝起きはけっこう面倒臭い。すでに何度かの試行でそれはわかってる。そして、対策も。

 この家主も我が家とは違った形ではあるが多分に甘やかされて育ったきらいがある。しかも、がさつで乱暴なあたしの兄のような存在が他に存在しなかった分、蝶よ花よで愛でられて、大皿のおかずを取り合うような骨肉の争いを経験しないままこの歳まで育ってしまってるのは、私のような意識の高い者からすれば一目瞭然である。かといって、それを一朝一夕で矯正するというのは、どう考えても無理がある。


 そうでなくとも家主は、イツロー先輩言うところの保護観察状態にあるので、一カ月でなんとかなるんじゃないッスかと大言壮語してしまったあたしとしては、なんとか軟着陸させないと。そして、あわよくば(のち)の介護をイツロー先輩にうまいこと禅譲したいと考えているワケで。



 話が逸れた。

 ここの家主の寝起きの対処である。これはイツロー先輩も含め世の中の99.9999%の人が知らない事実だが(憎むべきヤリスなんとかという輩がもしかしたら知ってるかもしれないという腹立たしい可能性はあるが)、ここの家主は朝食和食派なのである。こじゃれたホテルのなんちゃらブレックファストよりも旅館や旅荘的な朝食を好むのだ。焼き魚最高、海苔必須、納豆愛、生玉子LOVE、漬物とお(ひつ)ご飯に悶えるというある種の変態なのである。ちなみにランチやディナーはその限りではないというから、実に勝手なものではある。

 で、現状はといえば、午後六時過ぎとは言え、おそらくはメインの睡眠の明ける、言ってみれば朝。であればそれに応じる対処をせねばなるまい。


 その前に、午後六時過ぎが「朝」と仮定される根拠を説明する必要があるだろう。それを伝えるには、家主の今の生活サイクルを開示しなければいけない。

 有体(ありてい)に云って、家主はここ数週間、いやもう少し正確に言うと、五月初頭以降のここ二カ月半、一般的な意味でのまともな日常を送っていない。本筋でない六月終盤までの無法状態はひとまず置いておくとして、それ以降の、いわゆるヤリス某から離脱した状況に於いて家主が行ったことは、ほぼふたつだけだった。

 ひとつはとにかく寝て、身体を休める。多くを語るつもりはないけれど、先行する一カ月半、家主はそれまで一度も使ったことの無い身体部位をそれこそ酷使していたわけで、その無理を休ませるというのがなによりも最優先。

 それはいい。心身を復旧するという大目標に対し睡眠がもっとも重要かつクリティカルな対処だということは、吹き荒れる太陽風から地表を守り、豊かで健やかなバイオスフィアの維持を担っているバン・アレン帯の例を持ち出すまでもなく、あたしならずとも否定されることは無いだろう。お陰様で、最も懸念されていた生理も、先々週ちゃんとおいでになったし。

 もうひとつは、これは何を考えてなのか不明だが、「執筆活動」なのである。それも創作物語の殻を被った、問題の一カ月半を主題(テーマ)にした自伝的物語。一般論から言えば、アウト中のアウトだろう。

 さらにその執筆、家主は普通の時間に行わないのだ。その理由として、自分はすでに日陰の存在だから、などとそれらしいことを(のたま)ったりしているが、あたしの見立てでは単に朝起きるのが面倒で(この季節、比較的過ごしやすい)夜の方が活動しやすい、だけだと踏んでいる。ちなみに冬まで続くことがあれば、間違いなく別の理由を用意してくることだろう。まったく、とんだ箱入り娘である。


 とはいえ、自らの意識の流れの言語化は、客観性の担保という意味でも充分に有効なので、押し留める選択肢はあり得ない。イツロー先輩じゃあるまいし、偏執目変態科ストーカー属デバガメ種でもないあたしとしては、言語化による自らの客観視という効果に期待するしかないのである。せいぜい言って、変な読者とは絡んだりするな、と注意しておくのが関の山だ。


 そんなわけで家主の不良な生活時間を強くたしなめることは立場上できないのだ。そう。今この時点でのあたしが行うべき最優先ミッションは、ただご飯を炊き、みそ汁を作り、魚を焼いて、薬味ネギとともに納豆を出すことなのである。

 メニューの目処が立ったところで私は、腹掛けで寝息をたてる家主に声を掛けた。



「まーや、起きて。めざしが焼けてるよ」

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