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駅弁大学のヰタ・セクスアリス  作者: 深海くじら
第7章 横尾すみれ
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第39話 待ってたよ。

「そんなのでよかったの?」


 自分が推薦したものばかりとは言え、あまりのチープさが心配になったすみれはそう念押ししてきた。だが逸郎は、問題ないと思うと答える。

 和柄扇子、キットカット抹茶味、サランラップ、そして林檎入りの南部せんべい、これを三セット。一セットが千円以下なのは、そのほとんどを百円ショップで調達した成果だ。


――『おじさま』たち三人をイメージしてのお土産なら、むしろこれでいいはず。


「ま、イツローが納得してるならそれでいいわ」


 さっきまでのスーツ姿ではなく、オフホワイトのカットソーと薄いブルーのフレアミニのコンビ。眼鏡をはずし、髪もポニーテールにしている。買い物に付き合うと応えたあと、ちょっとだけ待っててと言い残して着替えに戻ったのだ。


――まるで普通の女子大生だ。しかも超美形の。とても先生には見えない。


 逸郎は、一緒に歩く自分まで誇らしく感じているのがわかった。



「ね、イツロー。晩ごはんに誰か待たせてたりしないんなら、そこでハンバーガー食べてかない?」


 すみれが指差した先はMのマークがシンボルの超大手ファストフードチェーンだった。え、いいの? と逸郎は聞き返す。


「だってあそこは、すみれさんの好きなハンバーガーとは違うと思うよ」


「いいの! 私がイツローと行きたいの。ほら」


 すみれの両手が逸郎の荷物を持っていない左手を掴んだ。後ろ歩きで先導するすみれに手を引かれるまま、ふたりは店内に入っていった。


「私ね、日本でここに入るのって、実は中学生のとき以来なんだ」


 すみれは楽しそうにそう言った。両手はまだ逸郎の左手を包み込むように握っている。ましてや男の子と手を繋いで入るなんて。そう続けて笑うすみれは、まるで女子高生のようにさえ見えた。



 ハンバーガーチェーンでは、すみれのアメリカでの大学生活の話を聞いた。

 広大な敷地を半分に分ける理数系(ティッキー)文系(ファジー)。すみれの専攻はファジーだったけど、実験や数理研究なんかも絡んでくるからティッキーの講義にはよく紛れ込んだとか、建物ひとつひとつがとにかく格調高くて、広場にはロダンの彫刻が野ざらしで置いてあったとか、キャンパス全体が街そのものだったとか、先生も学生も賢いひとばかりだったけどみんな同じくらい変だったとか。

 逸郎は、あらためてすみれが自分とは違うスペシャルな(もしかしたら涼子なら少しは近いかもしれない)存在なんだと気づかされた。その半面、よく動く愛くるしい瞳や身振り手振り、ポテトに手を伸ばす頻度などで自分たちと同じ平凡さや共通点などを見つけたりもした。


――自分の経験の棚にはこれっぽっちも在庫の無いまったく知らない世界の日常を、お互いの故郷から遥か離れた地方都市の駅前にある店の角席でL字に座って聴くのは不思議な気がする。人の体験やポリシーに普通なんてものは存在しなくて、みんな違ったベクトルを持った愛おしいものなのかもしれない。


 そんなことを思いながら逸郎は安いハンバーガーを齧った。いつもとは違う味がした気がしたし、なによりも楽しかった。


          *


 時刻は午後九時。

 駅ビルでの用事はとっくに終わっている。食事も終えた。


――あとはお礼を言ってさよなら、か。


 逸郎はもの悲しい気持ちになっていた。研究室でのひとときはGW以降の生活の中で初めて訪れたボーナスのような潤いだった。それどころかあんなにドキドキしたことなんて、生まれてこの方一度も無かったかもしれない。今だってこんなにも心が浮き立っている。それだけに、これで今日をおしまいにしてしまうのが惜しいと感じていたのだ。明日にだって教習所では会えるかもしれない。そうわかっていたけれど。


「あの……」


 駅ビルを抜け、川沿いの遊歩道を歩きながら、イツローは前を行く白いシルエットに声をかけた。仔馬の尻尾を振って振り向く小さな顔。


「俺……」


 逸朗の眼前に高校の体育館裏の風景がフラッシュバックした。


――ごめんね、と彼女は言った。

 田中くん、遅いよ。遅過ぎだよ。だけどこれ、笑っちゃうよね。だってあたし、つきあい始めたの一昨日(おととい)からだよ。しかも彼とは初めて会ってから一週間も経ってない。田中くんが昨日あたしにくれた手紙、思いついてから書くまでに何日かかったの? 三日? 一週間? 違うよね。三カ月くらい前から見てたもんね、あたしのこと。あたしね、最初は待ってたんだよ。田中くんが告ってくるのを。でもあんまり遅いから、だんだん待つのも飽きてきちゃった。もう別にいっかな、て。そしたらこのタイミングなんだもん。ホント、笑っちゃうよ。悪いけど。


「まだもう少し……」


 脳裏の映像は、不連続に連なる場面の断片に替わった。


――雪の結晶が舞い踊る中、頬だけが紅い、ちょっと困った感じの笑顔。

 西陽(にしび)の差し込むドーナツショップ。

 包丁を手にしたまま、驚きで放心している貌。

 夜のバス停広場で真っ直ぐこっちを見て、なにか話そうと動き出す唇。

 夜の道を疾走する視界。交差点の向こうに停まってるタクシー。男に背を押され乗り込む彼女。大声で名前を呼ぶ。でも届かない。走り出すタクシー。後ろの窓の彼女が俺を見ながら小さくなる。肺をふいごのようにして追いかけた。でも、届かなかった。


「あなたと……」


 シルエットの白い顔が逸郎を見ていた。


――少しだけ小首をかしげながら、双つの瞳が俺の目と繋がってる。川の流れる調べの中で、俺たちはまだ、向かい合えてる。車のライトが一瞬だけ横顔を照らした。俺はそれを大事に思ってる。今。


「一緒にいたい、です」


――やっと。やっと言えた。伝えるべき言葉を。


「まだもっと話がしたい。俺は、もっともっとあなたのことが知りたい」


――必要なとき、伝えたい相手に。



 待ってたよ、と彼女は言った。


「私もおんなじ気持ちだから」

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