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駅弁大学のヰタ・セクスアリス  作者: 深海くじら
第7章 横尾すみれ
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第38話 そんなとこで裸になってたらあぶない世界に入っちゃう。

「チキンだなぁイツローくんは。もしかして、童貞?」


 つまらなさそうにTシャツをかぶりながら、すみれ先生はさらっと失礼なことを聞く。大きなお世話だ、と思いつつも逸郎は正直に答えた。


「似たようなもんです」


 意外な答えだったのだろうか。白いTシャツから亀のように首だけ出したすみれ先生は、え、という顔をしていた。それって、という言葉を彼女の口が発する前に、逸郎は言葉を急いだ。


「あまり思いだしたくない経験がひとつだけあった、ということです。すみれ先生だってありますよね、言いたくないことのひとつやふたつ」


 そっかぁ、とだけつぶやき、少しだけ黙り込んだすみれ先生は、さほどの間もなく表情を元に戻すと、明るい声でこう言った。


「あのさ、イツローくん。ふたりでいるときは、私のこと『先生』って呼ぶの、やめよ。すみれ、とか、すみれちゃん、とか。なんならなにかオリジナルな呼び名でもいいよ。とにかく、先生じゃなくてそういうフランクなのにしてくれるかな? もう友だちなんだから」


 私もイツローって呼ぶから、と付け加えたすみれを見上げ、逸郎は眩しげに眼を細めた。それから少し迷った顔をして、伺うように聞いてみる。


「すみれさん、でもいいですか」


 しょうがない、よしとしといてやろう、と応えたすみれは苦笑交じりの、でもそれなりに満足げな笑顔を向けた。

 手を伸ばし、テーブルの上に積んだカタログの束を崩す。ワイパーのように動く肘の内側の白さに、逸郎は刹那、目を奪われた。そんな視線など頓着せずに、すみれは快活な口調で話を始める。


「それじゃイツロー、ここから未来の愛馬を一緒に探すよ」


          *


 すみれが乗りたいと選んだのはスズキのVストローム250だった。


「もうこれ一択ね。エンジンとか馬力とかどうでもいい。この赤黒の雄姿に一目惚れしちゃった」


 (くちばし)の尖った赤いフロントフェンダーと黒豹の背中を思わせる大ぶりのタンクが真っ先に目を引いた。オフロード車に見紛うシルエットに大きな丸形ヘッドライト。その上には小型のウィンドシールドが付いている。

 シャープなスタイルのオンロードバイクだ。


「こりゃかっこいい。なんかヒーローものにでも出てきそう。この赤黒ツートーンならすみれさんの赤ヘルと黒ツナギにもばっちり合いますよ」


 すみれはその感想に、満足そうに胸を張った。


「で、イツローはどれがいいの?」


 乗り出すように尋ねてくるすみれ。Tシャツの下の豊かな胸がこれでもかと主張してくるのに、逸郎は気圧(けお)される。手に持っていたカタログを誤魔化すようにテーブルに投げて、背中をソファに預けた。一連の動作を装ってポケットからスマホを取り出す。


「俺は、やっぱりアメリカンタイプがいいです。陸上やってた時もそうだけど、早く走るよりも長く走る方が性に合ってそうで。ここのカタログには無かったんですが、一番好きなのはスズキのサベージですかね。ほら、これ」


 逸郎はスマホの検索でヒットした中古バイク市場サイトの画面をすみれに見せた。


「おお。これはまたシンプルで、実に渋いね。あ、このバイクはもう新車はつくってないんだ」


「そうなんです。中古市場を探すしかないですね。そうするとやっぱり一期一会になっちゃうのかな」



「ねえイツロー」


 バイク選びもひと段落し、すみれの淹れたドリップコーヒーを相伴するブレイクタイム。マグカップを手にしたすみれが自信なさげに口を開いた。


「今はまだ早いけど、例えばさ、ふたりともの教習に目途とかがついてきたりしたら……」


 話の途中で口籠ったすみれは、深呼吸ひとつして、言葉を繋いだ。


「私と一緒に、バイク屋さん見に行かない? ……嫌じゃなかったら」


 消え入りそうになった語尾に被さるように逸郎が応えた。


「喜んで!」


 返事を聞いて顔を上げたすみれの頬に真夏の残照が映った。頬が紅いのはきっと夕陽のせい。逸郎はそう思うことにした。


          *


 スーツに着替え直すすみれを廊下で待っているうちに、外はすっかり暗くなっていた。


「遅くまで付き合わせちゃってごめんね」


 ドアに施錠して振り返ったすみれは、片目を瞑って手を合わせてきた。逸郎はかぶりを振って応える。


「思ってたより早かったですよ、着替えるの。もっと掛かるかと覚悟してた」


「ツナギ脱いでスーツ着るだけだから、すぐよ」


「え。水着は……」


「もぉ、何聞いてんのよ。イツローのエッチ。仮にもここは研究室よ。そんなとこで裸になってたらあぶない世界に入っちゃうじゃない。水着はいまもそのままだよ。見る?」


 そう言ってお尻を突き出し、スカートの裾を上げて見せようとするすみれを逸郎は慌てて止めた。


「な、なにやってんですか。それこそここは研究棟の中ですよ。誰が見てるのかわからないのにそんな危ないこと…」


「じゃどこでならいいの?」


「いや、それは……」


 しどろもどろになるイツローの背中をパンと叩いて、なぁんてね、と笑うすみれ。ふたりだけだとスーツ姿でも元気で明るい。



 並んで裏門を出たふたりは夜道を行く。この辺りは街灯が少ない。


「すみれさんは家は?」


「私は材木町。イツローは今日もアルバイト?」


「いえ。今日は休みです」


 街の方角に向かって当たり前のように歩を進める逸郎。川沿いにある材木町も同じ方向だ。


「え、イツローの部屋、高松って言ってたよね。逆方向じゃない」


「や、駅ビルにちょっと用があって。夏の短期留学に行く奴が明日出発で、なんか餞別でも選ぼうかと」


「なぁんだ。もう少し私と一緒にいたいからじゃないんだ」


 拗ねた顔をしてみせるすみれに。逸郎は大慌てでそんなことはないと言い訳をする。もちろん遊ばれているだけである。


「イツロー、おもしろーい」


          *


 杜陸(もりおか)市材木町。

 旧きを温め新しきを知る。そんな雰囲気が漂う石畳の通りで、すみれは逸郎に尋ねた。


「ね。その留学する子って男の子? 女の子?」


「女子です」


「やっぱりねぇ。あ、もしかして、彼女とか?」


「違いますよ。そんなのいませんって。明日出発するのはサークルの同期」


 そっか、いないのか、と呟くすみれ。逸郎には聴こえていない。すみれの部屋はすぐそこだ。



「じゃ、ここで」

「あの、すみれさん」


 ふたり同時に声を発した。お先にどぞ、とすみれが手を差し出し、逸郎も、それじゃと応じる。


「あの、もしよかったら、餞別一緒に選んでもらってもいいですか。いや、お忙しいようなら断ってくれても…」


「行く。行きます」


 今度はすみれが即答する番だったようだ。

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