第27話:返事の方はもうちょっとだけ待っててね。
第27話 返事の方はもうちょっとだけ待っててね。
「この前の返事、まだ聞かせてもらってないんだけど」
左隣のイツロー先輩はグイっとビール飲んでから、私にだけ聴こえる小声でそう聞いてきました。
隣に座ってきたときからそう訊かれるのはわかってはいました。私自身、この四日間ずっとそのことを考えていたのです。着るものだって趣味に合わせたつもりだし、今も上り框の先輩と目が合った瞬間にわざと横に置いてた荷物を膝の上に移動させた。
そう。頷くのは簡単なのです。だって私もイツロー先輩のことが好きなんだから。
だけど、今まで一度も男の人と交際したことのない物知らずで田舎者の私で、ホントにいいのかな。手だって繋いだことないのに。
おつきあいすることになったら、やっぱりキスとかしちゃうのかな。それだけじゃない。保健体育の時間に習ったセッ……とかだって要求されちゃうかもしれない。そのときにちゃんとお断りできる自信、私にはありません。かといって、この私はそんなだいそれたことを実際にできるだなんて想像もできないし。
この行ったり来たりで、もうどうすればいいのかわからなくなっています。結局ゆかりんにも相談できなかったし。
独り暮らしすることが決まったときお母さんから、そういうことは結婚してからだからね、ってしっかり念を押されたのが記憶に深く刻まれています。一番大切な人と結婚するそのときまでは綺麗なままでって。それがまさか、こんなにも早く考えなきゃいけないことになるなんて。まだ杜陸で暮らし始めて一カ月だっていうのに。どうしよう。なんて応えればいいの。
なにが正しい答えなのかわからなくて、私はただウーロン茶のコップを握りしめたまま俯いているだけでした。そんな私の様子を見かねて、イツロー先輩は言葉を重ねてくるのです。
「いやならいやって普通に断ってくれていいんだよ。俺が勝手に思い込んでるだけだから、別に怒ったりしないし」
違う。そうじゃないの。このだいじな決断を目の前にして、ホントにどうしたらいいのかわからなくなってるだけ。
下を向いたままだったけど、私はブンブンと首を振りました。
イツロー先輩の顔が明るくなった、と思いました。見てないからわからないけど、たぶんそう。だって、そういう雰囲気が隣から伝わってきたのです。
「じゃ、OKでいいの?」
ほら、声のトーンがさっきまでと全然違う。映画のことを教えてくれるときと同じの、私が好きな明るくて社交的な方のイツロー先輩の声。
優しいイツロー先輩ならわかってくれるかもしれない。私がここから先は今はダメって線引きをしても。うん、そうだ。きっとわかってくれる。それこそ勝手な考えだったのかもしれませんが、そう思った私は顔を上げました。そして
「私も…」
そう口を開いた瞬間のこと。いきなりあの大きくて強い声が飛んできたのです。
「ほらそこの一年女子、そんなとこでなにジメジメやってんの。キミらの大先輩、槍須さんが大事な仕事放っぽって駆けつけて来たんだよ! さっさとこっちきて、ちゃんと挨拶しなさいって!」
さっきまで空席だった上座の席にはじめて見る人が座っていました。他の先輩たちより軽やかに笑ってる目立つ感じの人。目が合いました。いまのセリフは私に向かって言ってたんだ。そう気づきました。
ヤリス先輩、仕事してねぇじゃん。上級生のひとりが気安げにそう囃し立て、回りも笑いながら同調しています。バカヤロ、ユーチューバーは小学生が一番になりたがる立派な仕事だコノヤロ。上座からそう怒鳴り返す声。この前の合宿での三日間でもなかったほどの陽気さです。
遅れてきたのに一瞬で場の中心をさらっている。すごい人だな。本心からそう思いました。向かいの席で立ち上がりかけてるゆかりんが目で合図をしています。早く挨拶に行こ、って。私もあわてて立ち上がりました。ごめんなさいイツロー先輩。返事の方はもうちょっとだけ待っててね。心の中でそう謝りながら。




