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駅弁大学のヰタ・セクスアリス  作者: 深海くじら
続章 物語は終わったけれど
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第157話 世界に残ったのは俺らふたりだけ、みたいだな。

 この時期にしては極めて珍しい青空の下、山ほどの期待とスパイスレベルの不安で浮足立っているまっさらな新入生の群れを見物するはずだった原町田由香里は、立て札が立つのみで人っ子ひとりいない大講堂の入口を眺めていた。


「世界に残ったのは俺らふたりだけ、みたいだな」


――なにを寝惚けたことを言っているのだこの男は。柵の向こうの街道では、スタッドレス特有のじゃりじゃり音を響かせながら、馬鹿でかいトラックやバスや乗用車が今もさっきも走ってるではないか。


 呆れ顔の由香里は肩に提げたディパックのポケットから保温ボトルを取り出し、空いた方の手でマスクをずらすと、生温くなったほうじ茶をひと口飲んだ。

 世界中で猛威を振るう新型コロナウイルスに恐れをなし、全国各地のイベントや施設では中止や閉鎖が相次いでいる。我らが駅弁大学も、持ち前の日和見癖を持ち出すまでもなくの右に倣えで、四月からのキャンパス立ち入り禁止を決め込んでいた。

 だから本来ならば由香里もシンスケもここにいてはいけないのだが、横切った方が近いじゃんという極めて即物的なシンスケの提案に由香里も反対する気になれなかったのだ。


「岩手県は未だに感染者ゼロなんだから、もっと鷹揚に構えりゃいいのにねえ」


 シンスケの緩い語りに、由香里も心の中で大きく頷いた。

 聞くところによるとイツロー先輩の帰杜(きと)も結構大変だったらしい。岩手ナンバーとは言え、あきらかにツーリング帰りとわかる荷物満載のバイクだとドライブインや道の駅では命の保証ができないそうで、まだまだ冷える深夜の東北路を、メインの街道を避けながら走ってきたんだとか。なんでも、給油の時が一番緊張したという話。


――まったく剣呑な世の中になったもんだ。


 由香里はそんなことを考えながらシンスケの後ろをついて、ふらふらと歩いていた。


          *


 寮と大学のちょうど真ん中あたりをぶった斬るように走るひと桁国道のバイパスの脇に、その中古車販売店はあった。ふたりが時間通りに敷地に踏み込むと、奥のコンテナから体格のいい作業着のおっちゃんが気持ち悪い笑い顔で現れた。

 おっちゃんはふたりがマスクをしているのを見て、あわててポケットからくしゃくしゃの布マスクを取り出した。


「お待ちしてましたよ島内さん」


「こちらこそ、今日はよろしくお願いします」


――シンスケさんのこういうとこは好ましい。


 絶対口には出さないが、由香里は常々そう思っている。ぞんざいな語り口の印象が強いシンスケだが、案外社会性は高いのだ。去年の秋、共に行動するようになってはじめて知った一面。

 シンスケはおっちゃんの案内で、目立つところに置かれている一台の車の前に近づいていく。小ぶりなのにタイヤだけはでかくて背も少し高い。全体は白だけどボンネットとドアは真っ黒で、少し性根が曲がってそうなつり目をしている。


「ジムニーXCターボ。八年落ちですがワンオーナーで三万キロ。お引き取りに合わせてワックスもかけときましたよ」


「マジありがとうございます。すごい嬉しいッス」


 由香里もゆっくりと歩み寄っていく。本当は興味津々なのだが、わざと気の無いふりをして。


「見てくれゆかりん。こいつが今日から俺たちの仲間になる頼もしい車だぜ」


 ふぅんと言いながらも、由香里の目の輝きは誤魔化せない。


――フツーっぽくないとこがかなりいい。全体にごついつくりで、これならどこへでも走っていけそう。この印象、配色といい顔つきといい、キャラクターでなんかいたよね。いたずら好きで天邪鬼なペンギンの子。あれの名前はたしか……。


「うん、いいね。この子は好きになれそう」


 前屈みになって車の周りを歩きながら、由香里は思わず心の声を口に出していた。だが、おっちゃんの説明を聞いているシンスケには聞かれなかったようだ。

 表情を見られないよう車の後ろに回ってみると背中にでっかいタイヤがくっついている。由香里はこらえきれず、スペアタイヤに手を伸ばした。


「事務所で手続してくるから、ゆかりんは乗ってていいよ。ドア開いてるし」


 そう言い残して、シンスケはおっちゃんと連れ立ってコンテナに向かっていった。

 男ふたりがコンテナに消えるのを見届けてから由香里は車のドアに手を掛けた。運転席。


「やっぱ最初乗るならこっちでしょ」


 ハンドルに掴まって身体を引き上げる。背の低い由香里にとって、この高さは普通の車と違ってけっこう乗りにくい。


――こりゃあミニだと危険かも。


 そんなことを考える由香里だが、そもそもミニスカートなんて持ってない。

 ドアを閉め、改めてハンドルに手を添えてみる。視界が高い。


「おお。これはいいですよ。かなりいいんじゃないですか」


 ハンドルを少し回してみる。が、重い。重くて回せない。あまりの重さに衝撃を受けた由香里は、ハンドルをあきらめて車内を見回した。足元にはペダルが三つ。アクセルとブレーキと……。


――あと一個はなに? 脱出装置? 


 横を見ると、シートの左隣にはなにやらレバーが突き出している。


「なにこれ? こんなの、(うち)のには無いよ」


 掴んでくれと言わんばかりの黒い取っ手を左手で包んでみる。小ぶりの蜜柑くらい。左右には動くが前後は引っかかってるみたいでびくともしない。


――こんなの操るって、もしかして凄いことなんじゃないの。


 由香里の中のシンスケ評価がいい勢いで加算されていく。

 ひさしぶりに会えたシンスケの、今朝のお迎えからここまでの道中で乱高下している評価点を考えているうちに、由香里の思考は十カ月前の逸郎とのやりとりを思い出していた。自分の対人採点の中で最高振れ幅だった足掛け二日のあの対話。

 由香里は、あのころから自分も随分変わったと感じている。


――『友だち』は環境と言い切っていたあたし。コンビニやカフェのように注文されればそれに応じたモノやコトを即座に提供するけど、望まれるまではこちらから誘致したり詮索したりしない。


――高校までの十八年間でつくり上げ完成したと思い込んでいたその哲学は、まーやへの直接介入を勧めてきたイツロー先輩のひと言で大規模アップデートを余儀なくされた。


――あの日から学祭前までの三カ月余り、あたしはそれまでのルールを完全に逸脱したまったくはじめてのやり方で、まーやに絡んでいった。あのやり方が正解だったかどうかは今でもわからない。結果的にまーやはあたしが守ろうとしていたのとは別のまーやになって帰ってきた。でもそのことに落胆したりはしていない。ひとはお互いに干渉しあうことで日々変わっていくものだし、それこそが成長の大きな要素だ。


――まーやも変わったけど、あたしも変わった。あの経験が無かったら、今ここに座ってるあたしはいない。


 窓を叩く音で由香里は我に返った。


「ゆかりん、運転してくれんの?」


 ドアを開けて顔を出したシンスケが笑顔で聞いてきた。


「あ、ごめんごめん。なんか運転席座ってみたくって」


「わかるわかる。運転席にはロマンがあるよな。汽車とか飛行機とか、チャンスがあったら俺も座ってみたいし」


 覚束ない足取りで車から降りた由香里はシンスケに、終わったの? と尋ねた。


「バッチリ。これでこのジムニーは俺たちの愛車だぜ。さ、引っ越しの荷運びに行くぞ。寮と鵜沼屋敷のピストン輸送だ」


 助手席に乗りなおした由香里がエンジンを始動させるシンスケに声を掛ける。


「鵜沼屋敷じゃない。もうシンスケ屋敷でしょ」



 手を振るおっちゃんに見送られてジムニーXCは店の駐車場をあとにした。


「シンスケさん、この春は随分と頑張っちゃったね。家借りて車買って……」


「おう。もうすっからかんだよ。といっても寮は安かったからそこそこは貯まってた。家だって会長のとこの引継ぎだから家財道具一式そのまま使える」


「だ~か~ら~、会長はもうあなたっ!」


 由香里が助手席から乗り出すようにして念を押す。笑いながらスルーするシンスケ。早くもマニュアル運転に慣れてきたようだ。


「でもあそこ、鵜沼さんはナイル先輩と一緒に住んでたんだよね。ひとりだと家賃きつくない?」


「それな。こいつのローンもあるし、ちょいバイト増やすかな」


「家庭教師の方はいいとして、居酒屋さんは開店休業なんじゃないの? 新しいアルバイトも見つけにくいよ、きっと」


 渋面になるシンスケ。たしかにコロナの影響は随分と広がってきている。


「イツローも休業申請調べてるって言ってたしな」


「家賃、あたしも少し持つよ。けっこうお邪魔することになると思うし」


「それって、いよいよOKってこと?」


 シンスケが食いつくように由香里を見つめてきた。アクセルが緩んで坂を上るスピードが落ちる。


「莫迦。前見て運転しなさい!」


          *


 学生寮入口前の空きスペースに停めたジムニーの中で、由香里はシートベルトを外しながらシンスケに話しかけた。


「ね。この車、あたしが名前つけていい?」


「名前? いいけど。なんて?」


 んーとね。由香里はゆっくりとタメをつくってから思いつきを声にした。


「ばつ丸くん!」

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