第154話 あんたの才覚で五十年は安心できる。
江戸時代終盤に久慈の海産物を扱う問屋として始まった天津原興産(当時の屋号は『魚々屋』)は、高祖父・勝造の代で急激に大きくなった。
開国直後の1865年、元服したての現場見習(今でいう新人研修)で遠洋に出ていた勝造が異国商船の難破現場に遭遇し、たまたま乗り合わせていた英国商家の娘・マイアを死地から救った。まだ十歳だったマイアを保護し面倒を見ているうちに勝造と恋仲になり、そのまま内儀(奥様)として本家に向かい入れることになる。そこからマイアの実家、ファインモーション家とのパイプが繋がり、互いに大きな利益を上げるwin-winな関係となって双方ともに発展。勝造は、勢いに乗って『天津原』の姓を名乗り、同時に社名も現在のものとなった。
勝造・マイア夫妻は一男四女を儲け、高齢で授かった末っ子の錠が家督を継いだ。しかし折からの太平洋戦争で、錠は三十代前半の数年間を兵士として南洋で過ごすこととなった。戦後すぐ無事帰還した錠は、引き上げの際に東京で拾った戦災孤児の少女・辰子を後妻に迎え、傾きかけていた天津原興産を八面六臂の働きで再興させた。あとは大きな波乱も無く現在に至る。
長生きした曾祖父・錠は百四歳で大往生したが、その晩年は妻、というよりもビジネスパートナーの辰子に代表を譲っていた。辰子は今に至るまで手腕を振るい続け、会社を盛り立てている。
その辰子が九十歳を迎えた今年、病床に臥した。
東京の大学病院に入院し治療を受けているのだが、年齢もあって流石に快癒は絶望的だった。医療体制も十月後半からはターミナルケアに切り替えられ、緩やかな治療で終の刻を待つ状況となっている。
その曾祖母・辰子から、名指しでファインが呼び出されたのだ。
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「辰子曾祖母ちゃんは私と同じだったの。昔からずっと目を掛けてくれてたんだけど、そのことは、先日初めて教えてもらった。曾祖母ちゃんは、生き延びるために子どもをつくる手続きをした、って」
思いのほか重たい話だ。逸郎はそう思った。隣で聞いているすみれも、ひと言も言葉を差し挟まないところを見ると、たぶん俺以上に衝撃を受けている、とも。
「アロマンティック・アセクシュアルが遺伝するのかどうかは知らない。そういう論文は、少なくとも私の知るところは無いわ。だから私たちのはたぶん偶然。でもね。とにかく辰子曾祖母ちゃんはすぐにわかったんだって。高校入学りたての私を見て、天津原の家に来たときの自分と同じだって」
いったん話を区切ったファインは、ソファに座るふたりの無言の反応を確かめてから語りを再開した。
「曾祖母ちゃんは私に家を継げって言ってる。アロマンティッカーの私たちが今の暮らしに報いるのは、その選択しかないってね。その上で、曾祖母ちゃんは言うの。盆暗揃いの分家を黙らせる一番の方法は、私が子を生すことだって。なんなら育てるのは他人任せでもいい。ちゃんと選んだ人にしっかり育ててもらえれば、きちんとした子は育つ。なによりも血を繋ぐという他人には絶対にできない大仕事を見せつけることさえできれば、あとはあんたの才覚で五十年は安心できる、ってね」
ホント、買い被りよね。そう言ってファインは笑う。が、少なくとも才覚に関しては、すみれも逸郎も辰子曾祖母さんと同意見だった。
「でもね、私、辰子曾祖母ちゃんのことは世界で一番尊敬してるのよ。だから、彼女にそこまで期待されてるんなら、ひとつ乗っかってみようかなって思ったの」
ファインは固まっているすみれと逸郎の顔を交互に見てから、まぁこんなとこね、と話を締めた。
「そういう訳で来月から数回に分けて、私、UKに行ってくるわ。曾祖母ちゃんが生きてるうちに、未来の跡継ぎの顔を見せなくっちゃ」
「UKって……、例のおじさま?」
そう口にする逸郎を、すみれが振り向いて見つめてきた。あなた、なにか知ってるの? という顔で。
「そ。例のおじさま。そういえば、すみれには話してなかったね、私の性癖のこと。私ね、強姦されてるときだけは物凄く性欲が増すのよ。詳しくは、あとでいっくんに聞いてね。いっくんも、知ってることは全部伝えてあげて」
雑が過ぎる説明でまとめようとするファインを逃げ切らせまいと、逸郎は追い縋る。
「だっておじさまは、結構いい年なんじゃないの?」
ファインは澄ました顔で、ことも無げに応える。
「少なくとも今年の夏は充分に機能してたわ。一日二回くらいならまだ熟せてたし。それに彼にはこの話、既に伝えてみてるの。そしたら、両手放しで快諾。親権は主張しない、認知はする、養育費も十二分に提供することを約束するって三拍子揃えて。事前に検査もしといてくれるって言ってた。容姿良し頭良し、おまけに身体も頑健。提供精子としてはUGクラスよね」
すみれは茫然とした顔で聞いている。理解の咀嚼が追い付いていないのだろう。
「もちろん、この話は曾祖母ちゃんのお墨付きも貰ってる。あんたの考え通りにやったらええ、って。だからこの話はもう決定事項なの。あなたたちふたりには、他の人たちには絶対に話せない私のこの決断を聞いておいて欲しい。これからも経過を伝えたり愚痴を言ったりすると思うから、よろしくね」
はい、おしまい、と言ってファインは立ち上がり、自分用の新しいハイネケンを持ってきた。
「こうやって自由にお酒飲めるのも、あと数カ月なのかもね」
勢いよくプルタブを開けたファインは、美味そうに喉を鳴らしてビールを飲んだ。




