第153話 随分と端折ったみたいね、お化粧時間。
「私、妊活することにしたわ」
マンションのリビングで、定位置のゲーミングチェアに収まってハイネケンを手にしたファインが、そう言った。
*
十二月に入ってから行方が知れなくなっていたファインが三週間ぶりに連絡してきたのは、クリスマスの朝だった。
前夜の睦事ですっかり力を使い果たしたふたりがすみれのベッドで眠りこけていた午前九時、写真立ての横に置くスマートフォンが着信を知らせてきた。
絡み合ったまま布団にくるまっていたすみれは、冷え切った部屋の空気に鳥肌を立てながら素肌の腕だけを伸ばして端末を掴むと、素早く布団の中に取り込んで通話を受けた。頬に当てるディスプレイが氷のように冷たい。
「メリークリスマス。おはよ、すみれ。そこにいっくんも寝てるんでしょ。シャワー浴びて服着るくらいの時間はあげるから、ふたりで私のとこに来て。ちょっと話したいことがあるの。そうね。十二時でいいわ。どうせだから、もう一回くらいは堪能できる時間もあげる。特別にね」
じゃ、待ってるから。早口でそうまとめたファインは、すみれの返答も待たずに通話を切った。
あ、ちょっと、と言いかけたすみれの口元は、意に反して吐息を吐き出す。動きで目が覚めたらしい逸郎の手が、豊かな胸を愉しみはじめたのだ。
「あん。だめ。イツロー、こんな朝から」
「なにが駄目なの? 寝起きにする幸せ、すみれはきらい?」
「きらいじゃない、けど……、ん。今、涼子から電話があって……」
先端をつまむ逸郎の指遣いに翻弄され、すみれの防壁は簡単に崩落する。
*
ふたりが揃ってファインのマンションに到着したのは、正午を十分ほど回ってからだった。
部屋が暖かくなるまで、という蓋然性の低い理由を盾にする逸郎に押し負けてつい気持ちの良い方に身を委ねてしまったすみれは、大いに反省していた。
まさか朝から五回もイカされてしまうとは。己の好色ぶりを思い知らされ、すみれは密かに慄いている。春からはひとりの生活になってしまうのに、本当に自分はやって行けるんだろうか、と。
玄関まで迎えに来たファインは、すみれの顔を舐め回すように見てから言った。
「随分と端折ったみたいね、お化粧時間」
真っ赤になってしまったすみれをファインは、ま、いいわ、と解放した。
「今日は番がそういうことしまくる日らしいからね」
所在なさげにリビングに入ったふたりに、ファインは缶ビールを手渡す。いっぱい汗掻いたんでしょ、と嫌味も忘れず。
散々プレッシャーをし掛けてくるファインのペースに巻き込まれたままのふたりがソファに座ると、その正面でファインは愛用のゲーミングチェアに腰掛けた。
「ふたりとも、ぬくぬくのベッドを抜け出して寒風吹き荒ぶ中、よく来てくれたわ。ありがとね。今日呼び出したのは、私のちょっとした宣言の証人になってもらうため」
そう前置きして、ファインは問題発言を放った。
*
「「妊活っ?!」」
すみれと逸郎は同時に鸚鵡返した。
単語としてはもちろん知っている。だが、二十歳になって半年も経っていない女子大生から放たれる言葉としては、これほど似つかわしくない単語もなかなか無い。
「どういう……こと?」
すみれの問い掛けに、ファインは涼しい顔で応じる。
「言葉通りよ。妊娠を目指す活動。別の言い方をすれば、子づくり宣言、よね」
混乱した逸郎はこんなときなんの役にもたたない。気の利いた返しはおろか、リアクションすら出来ずに口を開けて固まっているだけ。
「だってあなた、恋人いないって……」
「いないわ。いたこともない。補足すれば、親が決めた許嫁とか、そういう非人道的なものも無いしね」
理解できないことを放っておけないすみれは、繋がらない空白期間を埋めるべく疑問をぶつける。
「だいたい涼子はこの三週間、どこで何してたの? 涼子のことだから事件に巻き込まれるとか、そういうのはあまり考えなかったけど、やっぱり心配してたのよ。メッセージの返信もほとんど来ないし、来ても歯切れの悪いそっけないのばっかりで」
すみれのこの追求には流石にファインも恐縮し、言い訳めいた言葉を返すしかない。
「その件については謝る。ごめんね。緘口令が出てたのよ。まずはその説明をさせて」
ファインは、一気に飲み干したビールの空き缶をテーブルに置いてから、ゆっくりと話し始めた。
「この三週間、私は東京にいたの」




