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駅弁大学のヰタ・セクスアリス  作者: 深海くじら
幕間8 それぞれの主人公
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第141話 これは逃げちゃいけないヤツ。

「そういえばシンスケさん、あなた途中で会長さんとナイル先輩に絡まれてたじゃないですか。あれ、なにをお話ししてたんです? たしかファイン先輩も横にいましたよね」


 郵便局横の静まり返った通りを並んで歩くあたしたち。少し絞り気味で話さないと、夜の空気に乗って遥か先まで声が届いてしまいそう。


「ああ、あれな。別に絡まれてたワケじゃないんだけど、次期会長をやってくれって言われてさ」


「はあ?!」


 思わず出てしまった大声に、あたしは慌てて口を押える。こんなことしても意味ないのにと思いながらもポーズを取ってしまうのは、原初から連なる遺伝子レベルの刷り込みなのだろうか。


「シンスケさん、まだ二年じゃないですか。三年の方々が控えておられるというのに」


「その三年生たちからの頼みなんだってさ」


 横を見ると、彼は秋の星座が散らばる夜空を見上げていた。すぐ近くに差し掛かった街灯が横顔に当たってちょっと恰好いいかも、と思った。心拍が二割がた上がる。


「三年生四人が揃って会長のとこに謝りに来たんだって。今回の弥生の件、自分たちは動画見て興奮してただけで何もしなかった。本来なら率先して助けてやらなきゃいけなかったのに。ゆかりんや二年生三人が頑張ってたのを全く知らなかったワケでもないのに、見て見ぬふりしてた。そんな自分たちが、ただ先に生まれたからってだけで役職なんか貰っても、あいつらを偉そうに引っ張るなんてできない。だから次期会長は二年の中から選んでくれって。それで俺とファインが呼ばれてさ」


          *


「私は嫌よ。そんな面倒なこと」


 検討の余地なんてあるはずもないという顔をして、ファインは即座に断った。受諾の可能性を微塵も期待してなかった鵜沼とナイルは軽く頷いてから、視線をシンスケに移す。


「いっつろーでも別に構わないんだけど、私としてはシンスケくんの方が納まりがいいんじゃないかなぁって思ってるんだ」


 ナイルはそう言って鵜沼の方にちらりと視線を送った。


「俺も同意見だ。イツローにしてもファインにしても、お前が会長になったからと言って付き合い方を変えることも無いだろうし、ちゃんと助け合ってくれると信じてる。その上で対外的な事柄については、三人の中でシンスケが一番合ってるとも」


 落ち着いた声で鵜沼がそう繋いだ。


「バトン、受け取ってくれるよな」


          *


「会長のイケボでそんなこと言われたら、もう断れるワケないじゃん。二月半ばまでは学内ぷらぷらしてるから引継ぎもじっくりできるって言われちゃったしね」


 苦笑いするシンスケさんがこちらに顔を向けた。じっと見つめていたあたしは、いきなりの視線の絡み合いでさらに心拍を上げた。もう心臓はふいごのよう。このままではヤバいと思ったあたしは、頑張って顔を前に向けて憎まれ口を叩いたりする。


「そりゃあ逃げ道を塞がれちゃいましたね」


 駄目だ。切れ味がまったく無い。それがいいってあたしも思ってるから? 違う。や、それもあるけど、それよりも、あたしが緩くなっちゃってる。今までならもうふたつみっつ畳みかけて、それこそ逃げ道無いくらいきっちり突っ込むはずなのに。

 あたし、甘くなってる。この人のこと、もっと知りたいって思ってる。


「まあ、そんな感じだから、これからもよろしくな。頼りにしてるからさ」


 右側に立つシンスケさんはあたしに向き直って右手を出してきた。暗い道だからぼんやりだけど、柔らかな顔をしてるのはわかる。右手を出しかけたあたしは、やっぱりやめて、左手で差し出された手を握った。シンスケさんの顔が怪訝そうな表情に変わった。


「これ、握手の新しいトレンド?」


 この鈍感男!


「違うの! これは単に、手ぇ繋いでるだけ!!」


 あたしは繋がった手をぶんぶんと振る。熱が伝わってくるのがわかる。

 ここでくだらないこと言うな、絶対言うなよ。そう念じてたらシンスケさんはやっぱり口を開いた。


「なぁんだ。繋ぎたかったんなら繋ぎたいよーって言ってくれればよかったのに」


 こいつ、そのうち絶対コロす。デリカシーの欠片も無い。

 腹立たしいから外そうと思ったが、なぜか手が離れない。こっちの指はあたしの指令通りに開いている。なのに向こうが指が、あたしの手をがっちり掴んで離さない。睨んだ先は、なぜかにこにこ顔。


「俺も繋ぎたかったんだ」


 ならサッサと繋げよ、ばかぁ。

 あたしは指を組み替える。友だち繋ぎから、俗にいうアレに。


          *


 内丸にあるあたしの家までの道のりで、あたしの心臓は左手の中にあった。何を話したのかもわからない。なんにも喋らなかったのかもしれない。そんなことないか、あたしのことだし。

 ただひとつだけ、啓示みたいなものはあった。あたしたちは今、主人公みたいなことしてるんだなって。恋人らしいことはまだなにもしてないけれど、きっとあたしは今夜のことは一生忘れないんだろうな。



 そんなこんなで、着いてしまった玄関前に。あっけないくらいにあっさりと。

 あたしは下を向いて呟く。


 送ってくれてありがとう。


 恥ずかし過ぎて顔が見れない。と、さっきまであたしの心臓を握っていた大きな右手が、今度は顎を持ち上げてきた。強制的に上を向かされたあたしの顔を、門柱の灯りを映したふたつの瞳が見つめている。

 え? え? これって、いわゆるアレの場面?!

 迫ってくるシンスケさんの顔は()けられそうにない。違う。これは逃げちゃいけないヤツ。

 あたしの頭の中で碇シンジくんが念仏のように定型の呪文を繰り返してる。



 玄関が内側から唐突に開いたとき、あたしたちはまだ接触していなかった。


「お前か! お前がシンスケとやらかっ!?」


 廊下の照明を背景(バック)にサンダルをつっかけて黒い影が飛び出してきた。あたしは瞬時にして我に返る。仁王立ちする声の主は、むろんのことだが馬鹿兄貴。よく見るとサンダルは左右逆だ。


「こんばんは。お兄様ですね。そうですか、お聞き及びでしたか。僕がその、島内伸介です。妹さんにはいつもお世話になってます」


 向かい合って今しも接吻を敢行せんとしていたはずのシンスケさんは、なんのインターバルも無しに体勢をひねって滑らかに応対してみせた。なにこの変わり身。このひと、こんなに要領よかったの?


「お、おう。お、俺は由香里の兄をやってる、原町田吾朗だ」


 あきらかに食われ気味な兄貴がどもりつつ開陳するしょうもない自己紹介に、シンスケさんが食いつく。このひとの座右の銘はもしかして『攻撃は最大の防御』?


「え? お兄さん、ゴロウさんなんですか? 真島さんとおんなじじゃないですか。ちょーいいですねぇ」


 上手い! いいツッコミだよ、それ。真島さんはまさしく兄貴のツボ。


「ちなみに字も一緒だ」


 兄貴、鼻から息吐いてるよ。


「島内くん、だっけ。龍やるの?」


「やりますやります。俺、あん中のダーツとかボウリングとか、めっちゃ得意ッスよ」


 瞬時に空気読んで、一人称を僕から俺に変える奴! なにこの適応力?


「お。んじゃ今度いっしょにやるか?」


「是非ともおなしゃす! 俺、けっこう時間ありますから」


 凄っ。兄貴に誘わせてるし。めちゃめちゃコミュ強者じゃん。島内シンスケ、恐ろしい子。


「おう。わ、わかった」


 完全に毒気の抜かれた兄貴に向かって、シンスケさんは締めにかかった。


「それはともかく、今夜は由香里さんを遅くまで連れまわしてしまって申し訳ありませんでした。さぞかしご心配なされたと思いますが、なにひとつ危険なこともなく無事に送り届けることができましたことをご報告します」


「お、おう。ごくろうさん」


「では、僕はこの辺で失礼させていただきます。由香里さん、今日はおつかれさま。また来週、大学で」


 おやすみなさい、と言いながらあたしと兄に軽く手を振ると、シンスケさんはすぅっと闇に消えていった。兄貴も釣られて手を振ってるし。

 にしてもシンスケさん、去り際が鮮やか過ぎるよ。さっきまでのアレはなんだったの? まぼろし?



 三和土(たたき)でサンダルを脱ぐ兄貴に続いてあたしも家に入った。丸一日履いてたスニーカーを脱いでほうっとしているあたしに廊下で振り向いた兄貴が小声で詰問してきた。


「お前さ、さっきあいつとキスしてただろ」


 あたしも声を抑えめに、でもしっかりと恨みを込めて兄貴を睨みつけた。


「まだよ。どっかの誰かに思いっきりピンポイントで邪魔されたからねっ!」

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