第140話 心得た!
「ちゃんとオトコ見せろよ~シンスケ~~」
すっかり出来上がってるナイル先輩が、全力で手を振りながら大声を上げてきた。というか、いくら飲み屋街とはいえ時間を考えて欲しい。ふらふらで今にも倒れそうな彼女を抱えこんで支える会長が、早く行けと合図してくる。あっちはあっちで大変だ。軽く会釈を返し、あたしたちは三次会の店を後にした。
上田通りの午前一時は、さすがに人影もない。
火照る頬を深まる秋の冷気で醒ましながら、あたしは歩みを進める。正面に暗く伸びるふたつの影法師がゆっくりと長く薄くなってゆき、次のスポットライトでアスファルトが白く浮かび上がるころにはその成長を背後に入れ替えていた。
あたしはかなり緊張している。
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「俺たち、付き合ってみたりするってのはどうだろうか?」
「いいんじゃないですか。付き合いましょう」
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ミッションが完了したあの日の帰り道。決闘前の売り言葉と買い言葉のようなテンションではじまったあたしたちの交際は、もう半月以上経つけれど、まだなにひとつそれっぽいことには発展していない。
学祭の準備で毎日顔は合わせてたし、その度に送ってもらいもしてたけど、そんなのいままでと全然変わらない。向こうはどうだか知らないけど、あたしの方は経験が無さ過ぎて正直手も足も出せてない。いや、数々の読書経験から得た知識は山程ある。ああすればこうくる、こうすればああなる、みたいな。でもそれを自分に置き換えると、良くない結果しか想像できなくて身動きが取れなくなってしまうのだ。だから今も、静かな夜に何を話せばいいのかがまるで浮かんでこない。
それにしても、こんな風に宴会を終えるのははじめてかもしれない。四月は新人だったから八時過ぎには帰らされたし、はじめてお酒を飲んだ五月のときは早々にタクシーに押し込まれての強制送還。その後まーやが帰ってくるまでは、サークル全体が宴会の気分じゃなかった。戻ってきたらきたで、いつバランスを崩してしまうかわからないまーやのことが心配で、お酒を飲むことも二次会参加することもなかった。
ああ、なんかようやく大学生になれた気分。
そう思っていたら、隣から声が降ってきた。
「お疲れさま、ゆかりん。ホント、よく頑張ったな」
え? ちょっ。そういうのやめてくれませんか。なんか込み上げてくるもんがあるんですけど。
動揺を気取られたくないあたしは、声の方に顔を向けない。返事もしない。歩調だって乱さない。でも並んで歩くマイペース男は、そんなのお構いなしに続けてくる。
「半年かけて、ようやくここまで戻ってきたって感じだ。ま、俺が手伝ったのは最後のひと月だけだけどな」
なんなんですか。こういうしみじみは予定外なんですけど。聞いてないですよ。シンスケさんがそんなキャラだなんて。
「先輩たちもフツーに接してくれてるしな。みんな弥生ちゃんの動画は穴の開くほど見てたけど、結局のところ自分の興味が一番の人たちだから、そういうこともあるだろうって感じなんじゃね」
なんかいつもより手振りが大きい気がする。照れ臭いの誤魔化してんのかな。少し冷静になってる自分に安心する。
「二次会はじまりでの鵜沼さんの演説は良かったよな。あれでふらふらしてた三年連中も固まったと思うよ」
確かにあれは良かった、というべきなんだろう。完全駆逐を望んでたあたしからすると不満が無いワケでもないけど。
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「乾杯の前にちょい話させてくれ」
後継者がいないという理由でやむなく会長の席に居続けている鵜沼が、ビールの注がれたグラスをテーブルに置いて話はじめた。
先にさっさと帰っていったイツローと、門限があるからと二次会を固辞した弥生を除く全メンバーが会長に注目する。
「言うまでもないが、中嶋さんのことだ。今回の学祭でのうちの目玉、ダイハンライブ配信でも彼女のヘナチョコぶりは場を大いに盛り上げてくれた。彼女は完全に仲間だ。それは総意でいいよな」
聴衆の頷き合う姿を見回してから、鵜沼は息継ぎするようにグラスのビールを煽った。あれ、乾杯は? たぶん全員がそう思ったけど、ここはスルーするしかない。
「で、マーチちゃんのことだ。ここにいる連中はひとり残らず知ってるが、マーチちゃんは中嶋さんだ。でも、そのことは今日この時をもって記憶から外そう。……まてまて、個人の頭ン中の掃除を強要するワケじゃない。あれだけの良作なんだから簡単に記憶から消せるはずも無いし、手元に残ってる動画を手放すのは惜し過ぎると思ってる奴がいるのもわかる。そこまでの強制は俺のできることじゃない。洗脳じゃあるまいし」
鵜沼は既に空になってるグラスに手を伸ばした。横に座るナイルがすかさずビールを注ぎながら合いの手を入れる。
「ちなみに会長が隠し持ってたmpgファイルは、私が責任を持って消去したけどね」
周りから失笑が漏れ、当の会長も思わず吹き出したが、そこは気を取り直して演説を再開する。
「これから先マーチちゃんを愛でるのは、黙ってひとりだけの秘密の愉しみにしておけ。持ってない奴は諦めろ。あれは禁書だ。そして彼女とマーチちゃんを紐付けるのは金輪際なしだ。これは会長である俺からの、生涯有効の勅命だ」
ナイルが再び満たしたグラスを手に取ると、鵜沼会長は捧げるように掲げた。
「いいか。乾杯の音頭は『心得た』でいくぞ!」
じゃあいいな。せぇーーーの。
会長の発声にメンバー全員の大声が被さった。
心得たっ!!!!




