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駅弁大学のヰタ・セクスアリス  作者: 深海くじら
第21章 田中逸郞
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第139話 あなた自身が決めなさい。

「私、先輩に愛してもらったあの日からこっち、誰とも一度もしてません。私の形は先輩ののままです。先輩のことを想う度に躰が疼いてしょうがないんです」


 お願い、もう一度私を抱いてください、と訴えかけてくる弥生の瞳は、すれ違う車のヘッドライトを反射してきらきらと輝いていた。あの日弥生に着せてやったブルゾンの袖を弥生の指先が掴んで離さない。



 駄目だよ。逸郎は静かにそう語り始めた。


「俺はね、今、すみれを待っているんだ。だから弥生でもほかの誰であっても、俺は抱いてやることができない」


 そんなあ、と言いつつも、弥生は意外そうな顔はしていなかった。

 ていうか、と逸郎は苦笑しながら続ける。


「弥生、言うことがぶっちゃけ過ぎ。ビッチ臭が強過ぎて、聞いてる方が辛くなるよ」


「だって私、正真正銘のビッチですもん。まだ十八歳なのに百回くらいセックスしてて経験人数六人って言ったら、もうそれしか無いじゃないですか。開き直ってそっちのキャラでいくことにしたんですから」


 弥生は明るい笑顔でそう応え、足を止めた。


「今日、打ち上げに行く前にファイン先輩に呼び止められたんです。ちょっといい、って感じで。私、助けてもらったことのお礼もちゃんと言ってなかったんで、そのことを叱られるのかなって思ったら、そんなんじゃなかった」


 前を向き、遠くを見るようにして、弥生が言葉を重ねる。


「あれはみんなが好きでやってただけで、むしろあなたにとってはお節介だったかもしれない。だからお礼とかは別にいい。ファイン先輩は優しくそう言ってくれました。でもそのあとすぐ、すっごく真剣な顔になってこう続けたんです。私たちは脱線してたあなたを、普通の学生が描く一般的な未来も目指せるレールに乗せ直した。でもそんな私たちの思惑なんてどうでもいい。ここから先をどう進むかは、あなた自身が決めなさいって」


 滔々と語る弥生。その唇が唱えるのは、ファインが与えてくれた託宣。


「あなたがこの先どうなろうが、それはあなたの勝手。私たちに取る責任なんて微塵も無い」


 誰に向かってでもなく頷いた弥生は、目線を足元に落とした。ブレーキレバーに添えた右手を絞り、逸郎は黙ったまま話の続きを待った。


――涼子、さすがだよ。円環を解き放ったんだな。


 弥生は顔を上げた。まっすぐ、虚空ではないどこかに焦点を絞って。


「さっきの宴会の間、私、考えました。ううん。ずっと考え続けてはいたんです。それが、今日のファイン先輩の言葉でお墨付きをもらえた。私は、私がこうしたいって思う方に進んでいいんだ。親や世間やゆかりんが示す未来じゃなくて、私が向きたい未来を選んでも。したくないことはお金もらえたってやらない。でも心からしたいって感じたときは遠慮しないでしたいって言っちゃう。そんな風な自分を目指してもいいんだ、って」


 不意に身体をひねった弥生が視線を逸郎に向けた。思いつめた顔、ではない。むしろ少し愉快そうに肩を揺すって尋ねてきた。


「ねえ先輩。私の人生で、欲しいなって思うひととあと何人会えると思います? 十人? 百人? どっちにしたって限りはあるんです。そしたらもう、出逢えたそのときに声を上げるしかないじゃないですか、あなたが欲しいって紛れの無い言葉にして。月が綺麗ですね、なぁんて悠長なこと言ってられない。先輩みたいにお断りされることだって、これからきっと山ほどある。でも、そんなのにいちいちめげてる暇はないんですよ」


 にこやかにそう宣言する弥生に、逸郎が返した。


「おまえさ、それやってると同性から嫌われるぞ」


 満面に笑みを浮かべて、弥生は即答する。


「そんなこと、織り込み済みです。私のことをちゃんと知ろうとしないで、ただ行動だけで嫌ってくる人なんて別に要りませんから。それに私、そう遠くないうちにこの街を出ます。世界が広がれば、きっと私みたいなのも一杯います。そういうひとたちと友だちになればいい」


 これが新しい私の結論なんです。弥生はそう締めくくって、逸郎に右手を差し出した。


「これは?」


「握手です。お友だちになりましょうって」


――そうか。重石になるような長い準備期間を経ずに一番したいことを真っ先に告げれば、それが叶わなくてもこうして堂々と次善の提案ができる。全てを無にする必要は無いんだな。


 バイクのスタンドを立ててグローブを外し、逸郎は差し出された手を右手で握った。


「改めて、よろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします、田中先輩」



 ところで、と、再び歩き出した逸郎は切り出す。


「その呼び方、田中先輩って奴なんだけど、なんか慣れなくて。前みたいな方が気楽なんだけど……」


 逸郎からのその問いに、弥生は決然と答えた。


「禁止されたんです。先生に。こればっかりは守らないわけにはいきません」


――先生? 先生って……。そうか、すみれに何か言われたのか。


 逸郎は胸が痛くなった。


「あの呼び名は封印しました。だからあれ以外でご希望があるのなら言ってください。そうでなかったら、そのうち私が何か考えてご提案しますが」


「や、今のままでいいよ。こっちが慣れればいいんだから」


          *


 十時少し前にアマゾネス舘坂の前に着くと、たしかに玄関は開いていた。


「ありがとうございました。誰にも襲われず、無事帰ることができました」


 そう言って弥生は笑った。


「でも、ここに送ってもらうのは今夜が最後かもしれませんね」


 疑問符の付いた顔の逸郎に弥生は続けた。


「私、引っ越すんです。上田のあたりで候補を絞ってるところなんです。決まったら遊びに来てくださいね」


 逸郎は、ゆかりんたちと一緒でよかったらな、と予防線を張る。



「じゃ、おやすみなさい。先輩も帰りはお気をつけて」


 弥生は手を振りながら玄関口に消えた。

 バイクに跨りエンジンをかけ、ヘルメットを手に取ったところで逸郎は呼び声に気づく。弥生が走り寄ってきた。

 エンジン音に負けない声で弥生が言った。


「私、これからも先輩にお願いするかもしれません。そのときは、いいよでも駄目でもどっちでもいいから、真面目に答えてくださいね。いつでも私、本気ですから」


 それじゃ、と言いながら、今度こそ弥生は帰っていった。逸郎はそれを、複雑な表情で見送った。


 すみれに逢いたい。


 逸郎は、心の底からそう思っていた。

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