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駅弁大学のヰタ・セクスアリス  作者: 深海くじら
第19章 弥生とすみれ
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第129話 これから先の私。

 駅ビルと繋がる連絡路を抜けて地下に降りた私たちは、雪除け用の地下道を通って開運橋手前の駅前通りに出ました。

 以前入ったことのある落ち着いた喫茶店を知ってるから、と言う先生は前に立って先導してくれてる。後ろを歩きながら、私は私自身に疑問をぶつけていました。

 先生を呼び止めて、私はいったい何を話そうとしてるの? この人は今、いいえ、今だけじゃなくてたぶんもっといろんなところで私を助けるために力を尽くしてくれたのよ。そんな恩人に、私は何を聞こうとしてるの? 何を告げようというの?


 でも、聞かなくちゃ収まらないし、話さなきゃ気が晴れない。棚に上げた荷物は、いつかは降ろさなきゃいけない。いろんな霧が晴れてきた今、私がその先に行くためにはやっぱり棚卸しが必要なの。そしてまさにこのタイミングを狙ったかのように、先生と、いえ、ポニーテールさんとふたりきりでいるこの僥倖は、もはや私の運命に違いない。



 乾いたカウベルの音を響かせ扉を開く先生に続いて、私もお店の中に入りました。以前から気にはなってはいたけど入ったことの無かった白い壁の喫茶店。馴染みのある手軽なカフェとは違う、体験したことないのに懐かしい感じがする不思議な空間。


「ね、いい感じでしょ。私もまだ二回目なんだけど、すごく気に入ったお店なの」


 きょろきょろと周りを見廻していた私に、横尾先生はそう声を掛けます。

 最初のときは誰と来たんですかと聞きたい気持ちを、私は頑張って押さえ込みました。


 向かいに座った先生はカプチーノをふたつ注文してから、身体を前に乗り出して私に尋ねました。


「話ってなぁに?」


 微塵も邪気を感じさせないその顔を見て私は確信しました。この完璧なひとは、自分の恋人と私との関係(こと)を知らないんだ。


「先生は、彼氏さんはいらっしゃるんですよね」


「え? 話したいことってそんなことなの?」


 そうです。と言いたいのをグッと堪えて、私は言い訳をします。


「あ、いや、これは話の枕みたいなもので……」


「お陰様で、ひとりだけいるわ」


 先生(ポニーテールさん)は私の戯言につきあってくれました。

 強いて言えば『バイク仲間』かな、と付け加えて。


 知ってます。そのバイクに私、乗せてもらいました。


「ど、どんな方なんですか? 先生みたいに素敵なひとの彼氏さんなら、やっぱり素敵なオトナの方……」


「普通のひとよ。年下だし。まだ何者にもなってない、未来だけの(ひと)。でも、つらかったときの私を助けてくれた、とても真面目で優しいひと。って、私なに言ってるのかな」


 ああ、この人も彼に助けられたんだ。私と同じように。照れ隠しで笑う先生を見つめながら、私はそう思いました。



「で、本論はなんなのかな」


 カプチーノの泡がついた上唇をちろっと舐めてから、先生は話を戻してきました。まだ覚悟ができてない私は、無難な話題に逃げてしまいます。


「あの……、さっきのお話。お金がどうとかって、なんだかよくわからなくて」


「そうよね。あんなバタバタな説明でちゃんとわかるわけないよね。ごめんなさい。もう一度きちんと説明するわ」


 先生は丁寧に話してくれた。

 あの時期に撮られた動画や画像は、二度と配信されることは無いということ。未編集分も含めてすべてのデータが弁護士事務所の手で押収されており、私が望めば完全に廃棄されること。私の動画の売上が二千七百万円もあったこと。ビジネスパートナーである私は収益の五十%の権利があり、それをファイン先輩が私に変わって行使してくれたこと。この件で掛かった弁護士費用や経費は私が負担すること。そしてほんの三日後の来月初め、十月一日の私の口座残高は一千二百万円を超えるということ。


「話の流れはわかりました。でもそれが自分のことっていう部分が追い付かなくって」


「わかる。無一文がいきなり大金持ちって、まるでマンガだもんね。でもね。私はこう考えるべきだと思うな。たしかにあなたは大きな声では人に言いにくい過去を持ってしまった。そこは変わらない。でもあの時期の行動は、これから先のあなたの糧となる報酬を得るためのパートタイムの仕事だったんだよってね。そしてそれを裏打ちするのが一千二百万円。あなたは胸張って受け取っていいのよ」


 先生の熱は、喫茶店のテーブル越しにも強烈に私に伝わってきた。このひとの言葉には力がある。


「これから先の私……」


「そう。これから先。あなた自身の輝かしい未来を目指すリスタート」


 これからの私。考えなきゃとは思っていたけど具体的な方策や裏付けがなくて、漠然としたものさえ思い描けていなかった未来。それを本気で考える地盤が、突然できた。助けてくれた人たちが用意してくれた私の礎。


「これはあくまでも私の私見だから聞き流してもらって構わないんだけど、弥生さんは留学するのがいいんじゃないか、って思う」


 カップにも手を付けずに考え込んでいた私に、先生はそんな提案をしてきました。


「環境を変えて本当の心機一転をするのに、留学という手段は有効だと思うの。私はそれで少し強くなれた。まぁ私の場合は拗らせたところもあったけど、少なくともキャリアを重ねることはできたよ」


 そう言って先生は笑った。何があったのかは知らないけど、このひとにも辛いことや苦しいことはあったんだ。そのことに私はちょっと安堵しました。


「一千二百万円ていうのはとても頼りになる金額。でも、何も考えずにいたら、たぶん五年くらいで無くなっちゃう。だから余力のあるうちに自分に投資するの。別に留学じゃなくてもいいんだけど、地力をつけるのには有効だと思うの」


 そこまで話してから、先生は背筋を伸ばし直して私の目を射抜きました。


「さっき私は、あの行動のことを『仕事』って考えるべきと言ったけど、これからのあなたにはその仕事を得意技にしてもらいたくないの。私だけじゃない。由香里さんも天津原さんも田中さんも島内さんも、今回一緒に動いた全員がそう思ってる。だからもっと別の、胸張って言えるあなただけの得意技を育てるためにリスタートして欲しい」


 嗚呼。私はこんなにも多くの人に救われている。このひとは心底私のことを思ってくれてるんだ。そしてそれはイツローさんも同じ。それなのに、当の私は胸の棚に置いた荷物が足枷になって、その先に踏み出せないでいる。私が今ここで黒い荷物を開いてしまったら、目の前で私を助けてくれたこのひとを悲しませることになるのに。

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