第127話 この手は信頼していい。
横尾先生が私の前に突然現れたのは、シロナマさんからのメールに指示通りの自撮りを返したすぐあと、ホテルメトロポリタンのロビーででした。
「中嶋さん、ひさしぶり」
研究室のときと変わらず、先生は気さくな様子で私に声を掛けてきます。前回とは違う暗い色のパンツスーツでしたが、それもよく似合ってました。でも、眼鏡は掛けてない。
ここ座るわね、と言って、横尾先生は私の返事も待たずに向かいの席に腰掛けました。駄目です、先生。そこにはもうすぐ別の人が来るんです。
「時間が無いからストレートに言うけど、大事なことだからちゃんと聞いてね」
え? 何? ここにいるのって偶然じゃないの?
「このあと予定されている動画の撮影はお断りしなさい」
私はあっけにとられてしまいました。
先生が何を言っているのかまったく理解できなかったのです。このあと予定されてる動画って、なんでそんなことを先生が、いいえ、ポニーテールさんが知っているのでしょう?
「いきなり言われてもなにがなんだかわからないよね。もう一度順番に話すから、ちゃんと聞いて理解してね。まずひとつ目はお金の話。つい先日、天津原さんが弥生さんの代理として、弁護士を間に立てて槍須哲也氏と掛け合ったの。今年五月から六月にかけて弥生さんが出演した動画の報酬を請求するために。その結果、合計一千三百五十万円という金額が今月末に弥生さんの銀行口座に振り込まれることになりました。ただし弁護士依頼費用として百三十五万円はそこから引かれます」
え! ファイン先輩が槍須さんと会ったって? ていうか……
「……いっせんさんびゃくごじゅーまん?!」
「ふたつ目は、これからしなきゃいけないこと。私はあなたがいまからひとと会って、そのあとその人が撮影する動画に出演することになっていることも知ってます。大学の後期授業料や当面の生活費確保のためってことも。でもその心配は完全になくなりました。だって元々あなたのだった大金が入ってくるんだもの。だからこのあと、その撮影をキャンセルする交渉をしましょう。私と一緒に。いいわね?」
横尾先生の顔をしたポニーテールさんはそれだけ言うと立ち上がり、私の隣に回り込んできました。
私は混乱していました。このひとは、親身になって私の話を聞いて頭の整理をさせてくれた人。見返りもないのになんの躊躇もなく味方になってくれた人。とても尊敬できる美人で頼りになれる非の打ちどころのない先生。そして、私の横にいてもらうはずだった人を後から出てきて攫っていった人。
隣に座った先生は私に何か言ってきてる。でも、ぐるぐる回る私の頭には先生の話す言葉がひらひらと舞い散るだけで、その意味がまったく繋がりません。
入口の自動ドアが開いて、大きな荷物を引きずった男の人が入ってきました。さっき送られてきた画像と同じ格好。シロナマさんです。片手を上げて近づいてくるけど、手を挙げ返すことすら決断できない。私はどうすればいいの?
「私に任せて」
ポニーテールさんが、いえ、先生が私の手を握ってきました。混乱して冷え切ってる私の躰の中で、その手だけが暖かかった。
この手は信頼していい。その直感に、私は従おうと決めました。
「はじめまして。シロナマです……、って、そちらの方は?」
「はじめまして。この子の担当教官をしています横尾と申します。大学で教鞭を取っております」
横尾先生はとても堂々としていました。その場を支配してるって言うんでしょうか。立ったまま動けなくなってるシロナマさんに席を勧めると、先生は話を続けました。
「シロナマさんにおかれましてはわざわざ杜陸までご足労いただきたいへん心苦しいのですが、この度の撮影のお話は中止にしていただけるようお願いしにまいりました」
「それはどういう……」
シロナマさんも困惑しているようです。
「この子はつい最近ご家庭の事情がありまして、来期以降の学費が払えない事態になりました。短期間でまとまったお金を稼げる手段を探していたところ、そちらの撮影のお仕事を見つけたようです。しかし昨日、この子にとって幸いなことに別口の、しかも十分な金策が確保できたため、そちらのお仕事での収入が不要になったのです」
先生の言葉に澱みはありません。今は横尾先生を信じて、その言葉に従うことにしよう。私は先生の隣で、自分のするべきことを考えていました。
「破格な条件を提示していただき、はるばる杜陸まで会いに来ていただけたことは、この子にとっても大変光栄なことではありますが、何分にも将来に大きな影響を与えかねないお仕事であるため、本当に申し訳ありませんが今回のお話は無かったことに」
そう言って先生は深々と頭を下げました。私も同じように首を垂れます。




