第12話 まーやって呼ぶ。いい?
あたしたちが出逢ったのは二月の終わり、駅弁大学前期日程試験の前日だった。
前の週から気温が上がり、金曜に降った雨で車道の氷雪はほぼ消えている。陽射しに乾いたアスファルトの地肌が見えるほどで、もう冬は終わりかな、って思えたくらいの日。
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黄緑色のバスががりがりと音を立てながら目の前を通り過ぎて、道向かいの正門が視界に戻る。明日の試験に向けて気持ちをアゲるため、あたしは大学の下見にやってきた。午後三時という時間帯の所為か、はたまた試験準備のためなのか学生の出入りはまったく無く、門の向こうに広がる平たい敷地にも人影は見えない。
と、正門横の受付あたりから白いダッフルコートが出てきた。小柄な女の子。まぁ小柄なのは負けないが。
なんかうなだれている。信号が変わったので、とりあえずあたしは道路を横断した。
正門を抜けるべく歩を踏み出したあたしに、白い女の子が声を掛けてきた。ような気がした。正直、声が小さ過ぎてほとんどなにも聞こえなかったのだ。
「……あの」
「はい?」
行き足を止められちょっとだけムッとしたのが顔に出たかもしれない。一瞬押し黙った女の子は、それでも顔を上げてあたしに目を合わせてきた。
「明日受験される方、ですよね」
なぜわかった?!
と驚くことはない。なにせその日のあたしはダサさで有名な濃紺一色の制服を同色の指定コートでラッピングした、市内の人なら誰一人として見紛うはずのない二高生そのものだったから。
それがなにか? とまでは口にしなかったけど、かなり挑戦的な視線を飛ばしたことは認める。あのときはホント、悪かった。
「私もそうですけど……、今日は中、入っちゃいけないんだそうです」
消え入りそうな声ではあったけど、言いたいことはわかった。要するに、この子も下見に来て中入ろうとしたら守衛さんに止められて、本日は許可を得た人しかキャンパス内には入れないと言われたってことなんだろうな。
なるほど。そりゃまあ確かにそうだ。理に適ってる。明日の試験を前に校舎内に人を入れたりしたら、試験問題を盗んだりカンニングの仕込みをしたりする輩だって現れかねない。たかが受験生の安心や自己満のためだけに、そこまで大きなリスクを背負ったりはしないよね。
「そっか。わかった。教えてくれてありがとうね」
「いえ……」
そこではじめて、あたしは気がついた。この少女の類稀なる可愛さに。
へんなウェーブなどかかってないショートボブに頬だけが紅い色白の小顔。化粧っ気なんて微塵もない。涙袋ぷっくりで大きな瞳とくっきり二重。やや濃いめの眉毛は意志的なのに、全体の雰囲気はまるで小動物。まさに地上に具現した清楚清純女子の理想形だった。杜撰で開けっ広げでたまに陰湿な女子校の三年間ですっかり見失っていた天使属性を、こんな場所で拝顔できるとは!
「ね。明日、あなたもここで試験受けるんだよね? ここらでは見かけたことないけど、どこから来たの?」
自己紹介を飛ばしたことにも気づかず、あたしは雪うさ天使ににじり寄っていた。
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雪うさ天使のお名前は中嶋弥生さんだった。宿泊先の駅前ビジネスホテルに戻るまでの道すがら、あたしは彼女の話を聞いていた。胆沢町の高校生で、家族抜きで町を出たことは修学旅行以外では無かったらしい。受験日前日だったけどあたしはこの出逢いを大切にしたくって道案内という名目で宿の前まで付き添った。それでもまだお互い話し足りない気がしたので、向かいにある駅ビル二階のカフェでお茶をすることにした。
「杜陸って、すごい都会だぁ」
カフェは初めてと云う弥生さんは、店内のあちこちを見回しながら何度もそう呟いてた。
「弥生さんの高校からは駅弁大学に何人くらい受けるの?」
「四人です。けれど人社を受けるのは私ひとり。原町田さんは?」
「うちは六人で人社はふたり。残りは教育」
そう話しながら、あたしはもう確信していた。あたしたちふたりは間違いなく合格して、四月からは同じ校舎で四年間一緒に過ごす。そして一番の仲良しになるんだ、と。
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トレイを下げてカフェを出るとき、弥生さんはお店の人にごちそうさまを言って頭を下げた。そんなひと、あたしは初めて見た。
「ねえ弥生さん。あたし、あなたとは入学式で絶対会えるって信じてる。あなたもあたしが受かることを信じててくれていい。だからそのときは。ううん。今からでもあたしのこと、名字じゃなくって名前で呼んで欲しいな。そう、できれば『ゆかりん』って」
「ゆか……りん」
「ありがと。あたしも弥生さんのこと、やよいって……やっぱやめ。『なかしまやよい』の真ん中を取って『まーや』って呼ぶ。いい?」
弥生さん、じゃなくてまーやは、ただでさえ紅い頬をさらに真っ赤にして、大きく深く頷いてくれた。
*
そうしてあたしは再会した。入学式のあと、頭になぜだか雪の粉を乗せたまーやと。
 




