第115話 なにやってんですか、きみたちは。
すみれの部屋から戻ってきた逸郎がエントランスから呼び出しのベルを押しても、返事は戻ってこなかった。マンションを出てからだと小一時間ほど経過している。
――ふたりして酔い潰れるには、まだ早過ぎるはずなんだが。
部屋側から開錠してもらわないと先に進めない。逸郎はオートロックの前で立ち往生していた。
さてどうしたもんかと悩んでいるところに、帰宅路らしい会社勤め風のおじさんが鍵を片手に割り込んできた。ダメ元で、事情を話して頼んだところ、ほろ酔い加減も手伝ってなのか、おじさんは快く招き入れてくれた。おかげで無事マンション内に入ることができたのだが、途中の階で去っていく背中を見送りながら逸郎は却って心配になった。
――俺としては有難かったけど、大丈夫なの、このマンション。セキュリティ的な意味で。
防犯意識が低かったのはおじさんだけではなかった。
なんの抵抗もなく回るノブを握った逸郎は、住人レベルの低さに愕然としていた。
――すみれといい涼子といい、なんなんだよあいつらは。若い娘っていう危うさに無自覚過ぎるだろ。ったく。
玄関に入ると、女たちのはしゃいだ声が聞こえてきた。すみれはともかく、ファインのあんな声など逸郎は聞いたこともない。
――あいつら、いったいなにやってんだ?
ヘルメットを抱えた逸郎が廊下に一歩足を踏み出したそのとき、横の磨りガラス扉が開き、中から四本足のもつれ合った物体が飛び出してきた。
物体の正体は、身体を正面に向けたすみれと、その背後から抱きつくようにぴったりと密着したファインという複合体だった。それも、ふたりとも一糸纏わぬ姿で。
ファインの両手はすみれの左右の胸を揉みしだき、細い指先で先端を巧みに攻めている。魔手から逃がれようと身体をくねらせ、嬌声をあげるすみれ。髪から滴る水滴。重なり合った二組の曲線。すみれの滑らかな腹部の下で存在を主張するささやかな茂み。ふたりの美女の上気した肌の狂宴が、逸郎の眼前で繰り広げられていた。
「あqswでfgふじこ!」
逸郎の意味不明の驚嘆に気づいて、すみれは咄嗟に両手で胸と絶対領域を隠した。そのポーズは逸郎に場違いな連想をさせる。
――監修は永井豪? はたまた矢吹神?!
一方で、すみれの裸体のおかげで前面のほとんどが隠れているファインは、とくに取り乱す様子も無い。すみれの右胸を覆っていた手を外して逸郎に振ってくる。
「はぁい。いっくん。おかえり~」
間延びしたファインの声で意識が状況に追いついた逸郎は、素早く玄関ドアに向かって身体を回し、こう叫んだ。
「いいからふたりとも、なんか着ろ!!!」
*
シルクのパジャマで一分の隙も無い華麗な座り姿を披露するファインと、借り物のコットンパジャマで体育座りするすみれが、ゲーミングチェアに腰かけた逸郎の正面でソファに並んでいる。
「なにやってんですか、きみたちは」
「涼子さんにお風呂誘われて、つい」
「ねぇねぇいっくん、聞いて聞いて。私、百合展開ならイケちゃうかもだよ。今のところすみれちゃん限定だけど」
――『~さん』から『~ちゃん』に格下げかよ。いや、涼子に関してなら、むしろ格上げかな。
「玄関の鍵も開いたままだったし、俺が宅配の兄ちゃんとかならどうするつもりだったんだよ」
「だって鍵開いてなかったらいっくん締め出しだよ。それに、すみれちゃんもいっくん相手なら見られ慣れてるから平気だもんね」
返答できないすみれは、顔を真っ赤にしたまま黙り込んでいる。
「お前だって裸だったろ!」
「んふん。私はちゃんと着てたもん。すみれちゃんを」
「すみれは涼子のエプロンじゃなーい!!」
「まぁまぁいいじゃない。別にすみれちゃんの貞操奪ったわけじゃないし。綺麗な女の子がふたりしてわちゃわちゃやってるのも可愛くていいでしょ。そんなレアステージに遭遇できたんだから、これはもう、大喜びするとこだよ」
「すみれのおっぱいいじってただろ」
「あれは不可抗力」
「涼子お前、キャラ変わってない?」
「だってすみれちゃん、綺麗だし感度いいし、最高なんだもん」
それは俺が育てたから、と言いそうになった逸郎は、ぐっと堪えた。
「とにかく! そういう破廉恥な遊びはもうしない! わかった?」
「はぁい。あ、そうだ。すみれちゃん、今度休みになったら一緒に銭湯に行こ。なんなら温泉でもいいけど」
舌の根の乾く間もなく、次回の言質を取ろうとする。ファインの暴走に留まる様子はない。
歯噛みする逸郎。すみれはファインからの猛アプローチに目を丸くするのが精いっぱいだ。
「いっくん、そんなに怒ってたらせっかくカッコよくなったのも台無しだよ。そうだ。いいこと教えたげる」
そう言ってファインは腰を上げた。
「すみれちゃんの下着とブラウスは、一日着てたから今洗濯してるの。乾くまで着るもの無いからパジャマだけは貸したげたんだけど、下着はやっぱり貸し借りするものじゃないしね」
逸郎が座るゲーミングチェアの肘掛けに両手を置いて顔を近づけたファインは、耳元で続きを囁く。
「だ~か~ら~すみれちゃん、あの下はすっぽんぽん」
目の前で乗り出す姿勢になっているファインの衿ぐりが、重力で下がった。ふたつの丘の谷間が覗いている。
「ひとりじゃ可哀そうだから、私も今はおんなじなんだけどね」
んふん、と含み笑いするファインは、身を起こし、腰をくねらせるように振ってからソファにすとんと落とした。
*
「そういうわけなので、すみれちゃん、今夜はうちでお預かりします。いっくんは明日の朝迎えに来てあげて」
なんでそうなる、と反論する逸郎にファインはこう返した。
「すみれちゃんに明日も同じ服着させて仕事行かせる気? 彼女の悪評を未然に防げるなら、彼氏としては本望なんじゃないのかな」
「それは話のすり替えだ。すみれも黙ってないでなんとか言って」
逸郎は、固まっているすみれに矛先を変えた。顔を上げたすみれが口を開く。
「うん。今日はここに泊まる。涼子さんには聞きたいこともあるし。だからイツローは明日の朝、迎えに来て。そうね、七時ちょうどに」
――すみれの表情からは酔いは見えない。ならば、これはもう考えがあってのことなんだな。パートナーとしては信頼して従うしかない。
そう確信した逸郎は、あとを任せることにした。
玄関まではすみれだけが見送りに来た。片付けをすると断ったファインは、気を利かせてくれたのだろうか。
「じゃ、また明日。涼子とへんなことしちゃ駄目だよ」
逸郎の言葉にすみれが顔を寄せる。おやすみのキス。少しだけ舌を入れ、ついでにパジャマの胸も触ってみる。
――たしかにつけてない。
顔を離したすみれがくすりと笑った。
「へんなことするのはイツローの方じゃない」




