閑話3 王子と学友
本編関連頁 本編開始以前
「マルティンとやら、剣を取れ」
「はい」
素直にマルトが携えてきた剣を構えると、彼は真剣な顔で言った。
「全力で来い」
「……では、行きます」
初めて会ったとき、第一王子は厳しく見定める目でこちらを見てきた。
この方の武術のお相手をつとめよ、と言われてお目にかかったその日、早速訓練に付き合わされた。
王宮の中庭。良く晴れた暖かい日だった。
第一王子デートレフが十一歳、マルトことマルティン・マルティンスン・ズューデン・ヴァイドベルクが十五才の時である。
武術の学友として招かれたが、マルトが通算四人目のお相手候補らしい。マルトの前に目通りした者達は、王子自身が不適格と断じて悉く不合格となったそうだ。
ぐっと力を込めて、相手の正面に真っ直ぐ打ち込んだ。まずは小手調べだ。
当然のように避けられる。想定内だ。
右に移動された。
すい、と体を反らしたところ、模擬剣の先が目の前を横切って行く。
舌打ちと苛立ちの第二撃が返す刃でやって来る。
これも避けた。
王子の剣は今一つぎこちない。もし、全力で戦い続けたら、うっかり勝ってしまう未来が感じられた。
だが、打ち合いの中、近衛の隊長だと言う中年男の言葉が、再びマルトの頭をよぎる。
『勝ってはなりません。怪我をさせてもなりません。しかし、負ければこのお役目は他の者になりますし、家名にも傷が付くことでしょうな』
……何と面倒な話であろう。
自分より弱い相手に勝つな、とは。どうしろと言うのか。
ただひたすら打ち込まれる衝撃に耐えて、反撃するなと言うことだろうか。
何故に、このようなやられ役など引き受けねばならないのか。普通に訓練していた方が何倍もましである。
不満を顔に出さないように、など、剣を持っている最中では器用にこなせない。
まだまだ自分は未熟者なのだ。
だからこそ、王子の相手役になったらもっと良い修行が出来ると思っていた。しかし、それを求めるのは間違っていたらしい。
と、王子の手が止まった。
「何故、攻撃してこない?」
「……」
周囲には、万が一の備えとして御典医殿と近衛の兵士が数人と、第一王子の部屋付の侍女と従者が控えている。
小声は聞こえまいが、普通の音量の話など筒抜けだ。周囲の目が全てこちらに注がれている。
「答えろ! 我の相手などしたくないならもう帰れ」
殿下は子供らしく癇癪を起こしかけている。
ああ、お怒りを買った。もう次から自分は呼ばれまい。
それでも、王子の怒りにつられ、こちらも苛つきながら答えてはいけないと思い、マルトはぐっとこらえて訊いた。
「殿下、正直にお答え申し上げてもお怒りになりませんか?」
「……これ以上は怒らないようにする」
王子デートレフは、今の怒りをどうにかする気は無いようで、そんな返事がきた。
マルトは大きく息を吸った。
「勝ったりお怪我をさせてはならないと命じられましたので反撃出来ません」
真顔でありのままを一息に言う。
王子の頬が上気した。
「誰がそんな事を言った?」
「近衛の方です」
ぼかして個人を示さない言い方をすると、王子は眉間に皺を寄せた。
「……他に何か言われているか?」
「しかし、負けたら他の者にお役目が行くと」
「そうか……なるほどな。あい分かった」
先程までの怒りはなりをひそめ、デートレフは近衛兵士達の方を向くと、指先をちょっと動かして呼びつけた。
たちまち駆け寄って子供に跪く兵士二人へ、第一王子は唐突に言った。
「痛みを知らぬ者は慈悲の心を持たないと聞いたが、まことであろうか。如何様に思うか?」
「は。道理かと思います。その様な教えもございます」
「痛みは、それを受けた者でなければ分からぬと申します」
「良し。では、そなたら。我を叩いてみよ」
兵士二人はぽかんと子供を見上げた。
何言ってるんだ、と顔に書いてあった。
「そなたら、我が痛みの分からぬ暴君になるのが望みか?」
「いえっ、そのような!」
慌てて否定し首をブンブン振る兵士に、王子は言った。
「この者は、我に怪我をさせてはならぬと言われているそうだ。ならば、この者には頼めまい。命令違反になるからな。
我の武術訓練は、折角の機会であるのに精神の訓練は兼ねていなかったのだな。指南役の誰も打てぬと言うのなら、無慈悲に民を虐げ打ちのめす暴君を育てるつもりであったのだろうよ」
「いいえ、決してそのような意図はございません」
近衛兵士二人は子供相手に冷や汗をかいていた。
「以前の訓練相手も一切我に攻撃しなかったな。我が母上は容赦無く相手してくれたが、その後の相手役はやる気の無い腑抜けばかり。皆、子供の我では不満なのかと思っていたが、ただ打たれる案山子になれと言われて、誰が喜ぶものか。この者への指示を撤回しろ」
デートレフの母、昨年お隠れになった王妃ルイーゼは“塔の者”で、強い王家の力を持つ大変に優れた女性だったそうだ。お目にかかったことがある祖父や両親が、こぞって褒めあげていた。
その女性に、殿下は容貌が良く似ているという。五世陛下と同じ黒髪、切れ長で金茶の瞳、上品な顔の造り。
「ですが殿下、万が一お怪我をされては」
「何の為の典医だ」
「しかし、近衛隊長殿が……」
王子は器用に片方の眉を上げた。
「では父上に直接言おう。近衛隊長は暴君を望んでいると」
「ひっ、おやめ下さい!」
この一連のやり取りを呆然と見ていたが、王子の狙いが命令の撤回と知り、我に返ったマルトは頭を下げた。
「殿下、発言をお許し下さい」
「良い。言え」
「私はこのお役目を下ろされても構いません。一度普通にお手合わせさせて下さい」
「したが、お前は二度とこの役目には就けぬぞ」
「承知の上です。殿下のお覚悟に感服致しました。思う存分、打たせていただきます」
殿下はニヤッと笑った。いたずら小僧の笑みだ。多分、自分も同じ様な顔をしていたのだろう。妙な連帯感を感じた。
聡く賢いお方だ。
この少年が、現王陛下と亡き賢妃殿下の一粒種、第一王子殿下か。
やはり、打ち合いで反撃出来ないのは不満だった。それに、このやり方が王子の意図と違うものであったと知り、理不尽な命を発した者に対する腹立ちがわいてきた。
勝っても負けても、どうせ役目を下ろされるのなら、王子の要求に応えようと思った。
「良し。来い!」
「では改めて、行きます」
結局、訓練はマルトが全勝した。王子は一勝もしていない。それどころか三回は転んだし、膝も擦り傷で血がにじんでいたし、打ち身やら何やらが出来ていた。
けれども、王子は非常に楽しんでいた。マルトも自由に動けてスッキリした。
ただ、初めのほうはマルトの圧勝だったが、王子は段々動きが良くなっていった。
彼は恐ろしく飲み込みが早かった。一度打たれたら同じ技ではそう簡単に引っかからない。
最後のほうには、互角とは行かないまでも、長く打ち合いが続く程度には腕をあげていた。
荒い息を吐きながら、上品さを少しも損なわない笑顔で王子は言った。
「そなた、気に入ったぞ。次も来い」
「……お許しいただけましたならば」
「近衛隊長か?」
マルトはただ小さく頷いた。
王子は子供にしては意地の悪そうな顔をちらりと見せ、頷き返した。
「案ずるな。排除する」
後日、マルトが王都屋敷で自主鍛錬中に、知らせが入った。
第一王子殿下の武術訓練のお相手として、王宮へ通うように、とのことだった。
どうやったのか知らぬが、近衛隊長は王子の武術訓練担当ではなくなったそうだ。
代わりにその任に就いたのは、かつて王宮警備兵と訓練兵の指南役だった、ヴェスト領出身のフェヒター子爵とのことだ。とうに軍を引退していたのを王都ミッテルに呼び寄せたらしい。
ここからマルトの、王子との長い付き合いが始まった。




